劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
作劇において、「ギャップ」は効果的だ。「不良が雨の日に子犬を拾う」が慣用句的に使われているように、物語における「そうじゃないと思っていたら(いい意味で)裏切られた」的展開は、読者/観客を歓喜させる。幅広いシーンをカバーする「ギャップ萌え」もまさにそうだし、「ライバルが仲間になった」的展開は「ギャップ」の派生といえるだろう。日常だったら最悪な「良い人だと思っていたらクズだった」だって、物語の中では重要なスパイスになりうる。余談だが、ファッションブランド「GAP」の企業名の由来は「ジェネレーションギャップ」からだそうだ。
物語や人物像に動きをもたらすギャップ。ただ、作品を紹介するうえでその部分を語ることは時に観賞時の楽しみを奪う「ネタバレ」になり、自分のような立場の人間はなかなかに悩ましいところではある……。のだが、こと本作においては、そうしたギャップを踏まえたうえで観るのも大いにアリかと思い、その部分を中心に紹介したい。A24が北米配給を手掛けた実写×ストップモーションアニメ『マルセル 靴をはいた小さな貝』だ。
本作は、靴を履いて言葉を話す貝のマルセルと映像作家ディーンの交流を描く物語。ある事情から借家に引っ越してきたディーンは、その家でひっそりと暮らしていたマルセルと祖母のコニーに出会う。仲を深めていくなかで、ディーンとマルセルは離ればなれになってしまったマルセルの家族を捜すためにYouTubeに動画をアップし、情報提供を呼び掛けるも大バズりしてしまい狂乱の渦に巻き込まれていく……。
第95回アカデミー賞長編アニメ映画賞にノミネートされ、「アニメのアカデミー賞」という位置づけの第50回アニー賞では「長編インディペンデント作品賞」「長編作品声優賞」「映画作品脚本賞」の3部門受賞と、各映画賞で絶賛された本作。傑作との呼び声高く、一見するとマルセルのキャラクターデザインもあって可愛らしいほっこり系の映画に映るのではないか。実際にそういった要素は多分にあるのだが、それよりも僕が心を貫かれたのは、「可愛らしさ」と対極に行くような“エグみ”の部分。愛らしいものをコンテンツ化して消費する大衆のえげつなさが、リアルに描かれていく展開だ。
大衆の善意を信じて動画をアップロードしたら、いいように弄ばれてしまう悲劇性――。奇しくも他者の尊厳を奪うディープフェイク(画面に映る人物の顔を張り替えたフェイク映像。転じて、事実と異なる本物そっくりの加工映像全般を指す場合も)等のAIが絡んだ問題が叫ばれるなか、誰かの人生を利己的に娯楽化する愚かな人間の習性が人ならざるもの=貝の視点を通して描かれていくシニカルな構造。そうした要素が、『マルセル 靴をはいた小さな貝』ではフェイクドキュメンタリー(モキュメンタリー)で紡がれていく。観賞時、僕は「ここまで“いま”を描くのか!」と驚かされた。A24が配給を手掛けるからには何かしらのひねりがあるだろうと予測はしていたものの、映像的な完成度だけでなく物語自体の強度も非常に秀でている。
マルセルは確かにキュートで、愛でたくなる存在だ。だが、彼自身の“ライフ”を考えて接さなければ、つまりそこにリスペクトがなければ対等な関係は築けないだろう。マルセルの家に突撃したり、自身のSNSのアカウントやチャンネルで好き放題言ったり……。「そういう時代」といえばそれまでなのだが、本作の中には看過できないグロテスクな、テクノロジーによって肥大化する人間の業が克明に描かれていた。そうしたシリアスな内容と手作り感あるストップモーションアニメの温かさ、そして陽だまりを印象的に切り取った実写との「ギャップ」が、痛烈だ。マルセルを見て軽率に「かわいい!」と言ってしまったことを自己反省させられるような“気づきの芽生え”が、嫌味なく込められている。
この“嫌味なく”という部分が実に重要で、『マルセル 靴をはいた小さな貝』は観客を特定の思想に染め上げようとするような物語ではなく、あくまで「どう感じるか」を受け取る側に委ねている。自己反省する人もいれば、ピンとこない人もいるかもしれない。「それでもマルセルは可愛い」というのは、確かにそうであろうとも思う。彼らが提示するのは、こうした“事実”。そのうえで各々の受け取り方は自由で、答えを出すのは個々人だ。バイアスをかけないという意味で、本作はそれでもなお「大衆を信じる」作品。一度立ち止まって、各々の“態度”を考えてみる。その契機をくれた気がして、僕はほっと息をつけた。
同時に――メディアに関わる人間としては、「プロとは」を丁寧に描いてくれたこともとても嬉しかった。劇中、老舗テレビ番組のクルーがマルセルに取材を申し込むシーンがある。彼らはプロとしてきちんと手続きを踏み、時間をかけて了承を得ようとする。当然、本人が嫌がることは聞かないし、聞く場合にも事前に断りを入れる。もちろん企画の根本には「話題だから」や「視聴率を取れそう」といった皮算用はあることだろう。しかし優先順位は、あくまで取材対象者の気持ち。クルーたちはマルセルやディーンと膝を突き合わせて、問題解決の力になろうとする。バズればいいわけじゃない。食い物にしていいはずがない。そうした「筋を通す」“態度”の表明に、メディアのあるべき姿を再確認できた。
これはあくまで僕の私見だが、クリエイターにおいてバズる=成功では必ずしもない。メディアにおいて即時=正義というわけでもない。誰もが一瞬にして有名人になれる可能性を秘めているいま、「バズ」は実に魅惑的だ。でも、波はいつか引く。それより大切なのは、人生のペースなのか個人のメンタルなのか、他者との関係性なのか、いずれにせよ揺るぎない“何か”を手に入れることなのではないかと思う。きっとそれは、個人の生き様にもリンクしているため嘘がつけない。ということは、日々コツコツと築いていくことでしか得られないのだろう。
結局は「他者に敬意をもって接する」ことすら自分の信条や正義に過ぎないのだが、そうして出来上がった絆が生み出す“凪”は、とても穏やかで美しいと思うのだ。『マルセル 靴をはいた小さな貝』のラストシーンをボロボロと泣き腫らしながら見届けて、そう感じた。
『マルセル 靴をはいた小さな貝』
体長2.5センチのマルセルは、おしゃべりで好奇心あふれる貝。祖母のコニーと一軒家で二人暮らしをしている。ある日、映像作家のディーンと出会い、マルセルは初めて人間の世界を知る。マルセルがディーンの力を借りて離ればなれになった家族を見つけるためにYouTubeに動画をアップすると、瞬く間にバズってしまう。一躍、全米の人気者になったマルセルだったが……。
監督:ディーン・フライシャー・キャンプ
脚本:ディーン・フライシャー・キャンプ、ジェニー・スレイト、ニック・パーレイ、エリザベス・ホルム
出演:ジェニー・スレイト(声に出演)、イザベラ・ロッセリーニ(声の出演)、ディーン・フライシャー・キャンプ、レスリー・スタール
2023年6月30日(金)より、東京の「新宿武蔵野館」や、渋谷の「ホワイトシネクイント」ほかにて全国公開。アスミックエース配給。
© 2021 Marcel the Movie LLC. All rights reserved.
WEB : https://marcel-movie.asmik-ace.co.jp/
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