偏愛映画館 VOL.20
『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画を主戦場とする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー、レビュー、コラム、イベント出演、推薦コメント寄稿など映画にまつわる執筆を幅広く手がける。「CINEMORE」「シネマカフェ」「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。
Twitter:@syocinema

 良い映画に出合えると、自分の心の容量をどれだけか明け渡す感覚になることがある。心を敷地に例えるなら、「この分のスペースを提供しますよ。どうぞ住んでください」という契約を交わすような――心には限りがあるため、全ての作品にその申し出はできない。数日、数週間、数カ月といったように期限付きで契約する場合もある。むしろ大抵はそうだ。いつか終わりが来て、また新しい居住者がやってくる。

 しかし、そんななかで、ごく稀に“終の棲家”とさせてしまいたくなるような作品とめぐり合う幸運に恵まれる。この先もこの作品と歩みたいな、この先も日常の隙間でこの作品のことを思い出すだろうな、と自然と思える映画だ。まさに“偏愛映画”なのだが、今回紹介する映画はきっとそこに属するものなのに自分の中でうまく立ち位置が見つけられない。凄絶な宿命を背負った作品だからだ。

 1月13日に劇場公開される映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』。試写会で観た1か月前から今日まで、何をしていても頭の片隅にこの作品があった。この連載でどうしても紹介したいという激情に似た想いがあり、でも同時に「どう伝えたらいいのか?」という正解が見えない。そうして〆切が近づいたいまだに、心は揺らぎ続けている。

 本作は、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる長年の性的暴行(ワインスタイン事件)を告発したニューヨーク・タイムズの記者たちの実話。ピューリッツァー賞を受賞したノンフィクション『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』に基づいた劇映画で、キャリー・マリガンゾーイ・カザンが記者に扮している。告発記事が出るまでに何があったのか、決して消えない傷や苦しみを抱え、勇気を出した人々に応えたいと血のにじむような想いで取材をし、声を届けた記者たちの信念が映し出されていく。

DAY_23_MEN_076.NEF

 個人的に、この作品の情報を知った際に「観たい」と思った。ただその感情を因数分解していくと、「キャリー・マリガンの出演作品は面白いから」「『スポットライト 世紀のスクープ』のように、力作である可能性が高いから」「製作がPlan Bアンナプルナだから」といったものと同時に、どこかこの出来事自体を消費してしまっている自分がいるのではないか?という不安も生まれてきた。ワインスタイン事件は、その一部を知っただけでも「怒り」という言葉では到底収まらないほどの……言語化できない感情で煮えくり返りそうになるものだ。この映画が生まれてしまった事実を思うと、身が引き裂かれるような気持ちが押し寄せる。だからこそ、安易に「観たい」と思ったり、それを表明してはいけないのではないか――観賞前にそんなためらいがなかったといえば嘘になる。

 でもやっぱり「観たい」という感情は真実なわけで、自分なりの受け止める覚悟をして本作と相対し――僕は泣き腫らしてしまった。その涙は、感動物語として消費する涙ではなく、彼女たちの苦しみを1000万分の1でも引き受けたことに端を欲する涙だと、自分は信じている。そしてこれこそが、実在の事件を映画化する意義のひとつなのだと改めて痛感した。観客が約2時間を費やして向き合い、映画を観ることで当事者性を獲得し、意識が変わること。理解につながり、少しでも健全な世に向かうこと――。『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』からは、そうした効果を生まんとする祈りにも似た気概を感じた。

 ただ、各人が生きるだけで精一杯な苦難の時代に、どれだけ崇高な意義を纏っていたとしても、映画をお金と時間を費やして、心を明け渡して受け入れる余裕はなかなか持てないものだとも思う。だが僕は『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』においては、半ば賭けのような感情で「観てほしい」と伝えたい。
 社会から理不尽な暴力を少しでも減らしたい、その意識改革につながるからという想いは、もちろんある。ただそれだけでなく、本作は映画として、優れた表現があまりにも多い。冒頭、犬の散歩中に映画の撮影隊に出会い、制作スタッフとして働き始めた若い女性が次のカットでは泣きじゃくりながら疾走しているこのふたつの“つなぎ”、複数のホテルの廊下を映し出し、そこにある音声を重ねる演出……。そして、俳優たちの魂を切り取って差し出すような熱演に、『ムーンライト』等で知られるニコラス・ブリテルの劇伴。抑制のきいた脚本とどこまでも真摯な演出(それでいて感情を持っていかれるドラマ曲線の見事さ!)。実在の事件が基になっており、作品が生まれた背景にある性被害はいまなお横たわっている問題のため単体の映画として語るのは難しいかもしれないが、クオリティが抜群に高いのだ。

DAY_36_MEN_024.NEF

 そして、個人的に胸打たれたのは育児と仕事の両立の難しさを丹念に描いている部分。序盤、育休を取っていたミーガン(キャリー・マリガン)は育児ノイローゼに陥ってしまい、仕事に復帰することで精神のバランスが保たれるようになる。ジョディ(ゾーイ・カザン)は日夜取材に明け暮れ、家庭よりも仕事を優先せねばならなくなる。その背中を押すのが、それぞれの夫たちや同僚、上司なのだ。

 僕自身、親になったことで生活は激変し、仕事と育児をどうバランスよく成立させるかに日々きりきり舞いの状態なのだが、本作はそうしたリアルな悩みや、共助の必要性がはっきりと描かれていて救われたような気持ちになった。例えば海外出張を命じられたジョディがまず夫に確認をするシーンなど、さりげないが日常にはあるであろうやりとりをちゃんと描いてくれることで、作り手たちをものすごく信頼できる。これはほんの一例で、本編にはいくつもこうした日常の些事ともいえるディテールに敬意を払った描写が並んでいた。

 …ここまで書いて、いまようやくわかった気がする。『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』は作り手がどこまでも心を砕いてくれた作品だからこそ、こちらも「痛みを背負ってしまうかもしれないが、どうしても観てほしい」と勇気をもって声を上げることができたのだと。そしてその先にあるのは、きっと連帯だ。本作を通して各地の人々が同じ意識を持つようになって間接的につながり、目には見えずとも手を取り合い、痛みのない未来へと進む。どうか、そうなってほしい。

DAY_02_MEN_022.tif

『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
2017年、ニューヨーク・タイムズ紙がある記事を出す。数々の名作を手掛けてきた大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラと性的暴行事件の告発記事。この記事が出ると、映画業界はもちろん、業界を超えて世界中から性犯罪の被害を訴える声があふれ、それは#MeToo運動として社会現象を巻き起こした。本作は、ピューリッツァー賞を受賞した調査報道をもとに制作された映画。問題の本質は業界の隠ぺい構造にあると知った記者たちが、調査を妨害されながらも信念を曲げず、証言を決意した勇気ある女性たちとともに歩み、そして真実が明らかになっていく。マリア・シュラーダー監督、キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソンほか出演。全国公開中。東宝東和配給。(c) Universal Studios. All Rights Reserved.
WEB:https://shesaid-sononawoabake.jp/

RELATED POST

偏愛映画館 VOL.19『MEN 同じ顔の男たち』
偏愛映画館 VOL.16 『ドント・ウォーリー・ダーリン』
偏愛映画館 VOL.18『あのこと』
偏愛映画館 VOL.14 『裸足で鳴らしてみせろ』
偏愛映画館 VOL.10 『ニューオーダー』
偏愛映画館 VOL.17『ザ・メニュー』
偏愛映画館 VOL.13  『こちらあみ子』
偏愛映画館 VOL.15 『灼熱の魂』
偏愛映画館 VOL.11 『PLAN 75』
偏愛映画館 VOL.12 『リコリス・ピザ』