偏愛映画館 VOL.15 『灼熱の魂』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画を主戦場とする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー、レビュー、コラム、イベント出演、推薦コメント寄稿など映画にまつわる執筆を幅広く手がける。「CINEMORE」「シネマカフェ」「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。
Twitter:@syocinema

 映画の価値とは何か、近年よく考える。考えるようになってしまった時流が、哀しい。

 ここ数年、歴史あるミニシアターがひとつまたひとつと姿を消し、生活圏内からレンタルビデオ店(DVD&ブルーレイも扱っているものの、親しみを込めてこの呼称で)がなくなっていく。そのたびに、思い出と共に身体の一部が削り取られたような気持ちになる。かたやサブスクには一生をかけても観きれないほどの作品があふれ、日々更新されてゆく。便利になればなるほど圧縮され、一作品ごとの重みがなくなってしまった世界に我々は生きている。

 この質量のなさは、極めて深刻だ。作品を観ることが簡単になりすぎて、記憶に残らない。観ているときは「面白い、傑作だ!」と感極まっても、一週間経てばその感動を忘れている。そんなことが増えた。それはきっと、僕だけが患っている症状ではないだろう。日々怒涛の勢いで供給される新たな作品を摂取するための適応と言ってしまえばそれまでだが、少なくとも今の自分には――この“変化”は進化どころか劣化のように映る。

 そもそも僕たちは、生きているうちにできるだけ多くの作品を観たいのではなく、1本でもいいから一生をかけて愛することのできる生涯の傑作を探しているのではないか。もちろん暇つぶしのお供に観られるのも映画の良さだが、軽い気持ちで観るにしても面白い方がいいし、面白ければ面白いほど“生涯の推し”になる可能性は高くなる。「効率重視」の観賞スタイルが浸透しつつあるともいわれるが、早送りであったりファストに映画の上澄みのみをかすめ取ったところでどうせ何も残らないわけで、実に効率が悪い。たった2時間で数年残るようなとんでもない1本を観たほうが、よっぽど手軽で楽だろう。

 そして、その成功体験はやはり映画館で起こりうると自分は思う。映像や音響の質が最上級なのはもちろんのこと、観る側の姿勢に依る部分も大きい。動く自由を捨てて、予定も調整して、その作品と向き合うためだけに自分の状態を仕上げてきているからだ。そりゃあ吸収もよくなるし、記憶にも残るというもの。腹を空かして、上手いものを味わう。それが思い出になる――。時代が移ろいツールが生まれて価値観が変わろうとも、動かしようがない単純明快な真理だ。

 もちろん、それを許さないほどに「忙しい」時代なのだろう。傑作とは言わないまでもそれなりに面白そうなコンテンツは追いきれないほどあるし、お金も時間も体力も有限であり、そもそも映画にそんな労力を費やせないほどにいまの日本は貧しいから。映画館というスタイルがいよいよ時代に合わなくなってきたのかもしれないと思う節も、確かにある。「近くに映画館がない」とか「家事・育児・仕事に追われて時間が捻出できない」等々、物理的に難しい方も多いことだろう。僕自身もそうで、地方住まいの際はレンタルビデオ店が救済措置だったし、娘が生まれてからは映画館になかなか足を運べていない。ただ、そうしたライフスタイルの変化以上に、この追い立てるような生き急がせる時代の圧を感じずにはいられない。

 この負のスパイラルの中に生きているからこそ、余計にこう思うのだ。「暇で良くないか」と。情報収集も最小限でいいし、たくさん観られなくてもいい。その代わり、自分の人生が変わりそうな作品を逃さない。それもまたひとつの、過多な現代のサバイブの仕方として有用ではないか。

 前置きが随分長くなってしまったが、今回紹介する作品にはそれだけの「観たら忘れられない」力が備わっている。『メッセージ』『プリズナーズ』『ボーダーライン』『ブレードランナー 2049』『DUNE/デューン 砂の惑星』――絞れないほどに傑作を連発する名匠ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、それらにたどり着く前に作り上げた渾身の映画『灼熱の魂』だ。

“INCENDIES”

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。

 2010年製作の本作(日本公開は2011年)が、『灼熱の魂 デジタル・リマスター版』として8月12日より劇場公開される。デジタル・リマスター版、つまり最新技術を使って映像・音声等をアップデートさせたバージョンのこと。言ってしまえば新作ではなく、上映館数も限られてはいる。ただ、この映画を己が身に摂り込んだ際には、きっと大げさでなく価値観が変わるはずだ。個人的な感覚でしかないので押し付けるのは危険なのだが……、この早回しの時代に居心地の悪さを感じている方がいたらそっと薦めたいと思う。

『灼熱の魂』は、母を失った双子の姉弟が、彼女の遺言に従って知られざる母の半生を知っていく物語だ。壮大なミステリーであり、壮絶な歴史ドラマであり、戦禍を生き抜いた人々の痛みと傷を容赦なく描くヒューマンドラマであり、宗教とテロリズム、カルマに踏み込んだテーマ性を内包していて――。ヴィルヌーヴ監督ならではの知性×暴力性×悲劇性がブレンドされた「静謐で涼やかさすら感じるが、中身は凶暴」という力作。

 本作の詳しいあらすじを書けば、確かに「重い」。だが、それは受け取るものの大きさに比例すると思ってほしい。こちらが心を砕くぶん、映画を観終えた後に強烈な感慨や余韻といった“バック”があるのだ。また、物語に食い込んでくる要素ではあれど、1970年代半ばのレバノン内戦について知らなくても大丈夫だし、予備知識は要らない。

 ただ、物語の展開上ショックを受ける暴力描写(直接的でなくても語られる内容として)は少なからずあるので、覚悟は必要だ。そしてまた、自分の中の“何か”が激変する覚悟も要するように思う。再三匂わせている通り、『灼熱の魂』は気楽に“流せる”類の作品ではない。観る者の人生を変えてしまうほどの影響力を持った映画は、それ相応の毒素もはらんでいるのだ。

 そのうえでいうならば映画を観るきっかけは正直、何でもいい。ヴィルヌーヴの監督作が好きだとか、タイトルやポスターに惹かれたとか、場面写真や予告に心を奪われたでも。たまたまた近くを通りかかったでもいい。打ちのめされる覚悟も、あるに越したことはないがそれは「そういった前提がないとなかなか飛び込めないだろうから」というこちらの思い込みなので、するりと観られる方は全く問題ないし、むしろ個人的には敬意を表する(自分もそうなれたらどんなにいいか!)。

 しかし、ここまでの説明や紹介ではまだ「何がすごいの?」とお思いの方も多いだろう。だが……僕はつまびらかに記すことを放棄したい。未知のものに飛び込む恐ろしさと楽しさがこの映画にはあるからだ。     
「まさに“映画”を観た」としか言えないようなこの感覚――。人によっては(僕自身がそうだったのだが)自分の身体が一度バラバラに分解されて再構築されたような気持ちになるだろうし、端的に「観る前の自分とは別人みたい」と評する方もいるだろう。自分は自分のまま登場人物に共感、或いは観察する方もいれば、拒絶してしまう人だっているに違いない。ただ、どの人も本作が持つ“とんでもない何か”を肌で感じ取るはず。

『灼熱の魂』には、自分を産み育ててくれた母の秘密を知ることで、それまで持っていた母親の実像も、自己アイデンティティも覆ってしまう姉弟の姿が描かれている。そして、それを他人事と思わせないほどにこちらの精神に訴えかけ、身の危険を感じさせてしまうような芯に肉薄してくるヴィルヌーヴ監督の演出――緊迫感であったり、演技の切り取り方、物語の強度……。そういったものを刻み付けられ、自分自身もまた有無を言わせずに生まれ変わってしまったような錯覚に陥るのだ。これぞ「体験」であろう。

 それがきっと、映画の本質であり正体であり、我々が映画とそれを観る場所を欲する理由なのだ。どう受け止め、どう評するかは、それぞれの感性から自然と導き出された言葉が一番。

 それに、この連載でもよく書かせていただいているように、映画を観た後無理に言語化する必要などない。それこそインスタントでつまらないだろう。「こんなの言葉で表現できない!」を身体いっぱいで体感し、その物語と生きていく。物事の捉え方が変わった心と、魂の質量が増した身体で――。だから映画は最高なのだ。

『灼熱の魂』
初老の中東系カナダ人女性ナワル・マルワンは、ずっと世間に背を向けるようにして生き、実の子である双子の姉弟ジャンヌとシモンにも心を開くことがなかった。そんなどこか普通とは違う母親は、謎めいた遺言と二通の手紙を残してこの世を去った。その二通の手紙は、ジャンヌとシモンが存在すら知らされていなかった兄と父親に宛てられていた。遺言に導かれ、初めて母の祖国の地を踏んだ姉弟は、母の数奇な人生と家族の宿命を探り当てていく。原作はカナダの劇作家、ワジディ・ムアワッドによる戯曲『Incendies』。現在と過去の2つのパートを通して、あまりにも過酷な運命を生きた一人の女性の姿を描くヒューマン・ミステリー。
※本作は、一部に暴力描写がございます。フラッシュバックの恐れのあるかたは観賞に際してご注意ください。

ドゥニ・ヴィルヌー監督・脚本、ルブナ・アザバル、メリッサ・デゾルモー=プーラン、マキシム・ゴーデット、レミー・ジラールほか出演。
2022年8月12日(金)より、東京の「ヒューマントラストシネマ有楽町」「新宿シネマカリテ」ほかにて全国順次公開。アルバトロス・フィルム配給。
©2010 Incendies inc. (a micro_scope inc. company) – TS Productions sarl. All rights reserved.

RELATED POST

偏愛映画館 VOL.14 『裸足で鳴らしてみせろ』
偏愛映画館 VOL.11 『PLAN 75』
偏愛映画館 VOL.12 『リコリス・ピザ』
偏愛映画館 VOL.13  『こちらあみ子』
偏愛映画館 VOL.10 『ニューオーダー』
東京を代表するアートの祭典「六本木アートナイト 2022」が開催!
映画『プアン/友だちと呼ばせて』のスペシャルライブ付き試写会プレゼント!『バッド...