偏愛映画館 VOL.26
『ザ・ホエール』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

(from left) Burt Fabelman (Paul Dano), younger Sammy Fabelman (Mateo Zoryan Francis-DeFord) and Mitzi Fabelman (Michelle Williams) in The Fabelmans, co-written and directed by Steven Spielberg.

 3月末に、名古屋に出張に行った。伏見ミリオン座で行われる『ザ・ホエール』の試写会トークイベントのゲストに呼んでいただけたのだ。元々大好きな作品だったということもあるのだが、その旅の中で見た風景が素晴らしかった。この先も自分の思い出の大切な場所に在り続けるような確信があって……。今回はその部分も含めて、作品への偏愛を綴っていきたい。

 まずは簡単に、『ザ・ホエール』の概要を。偏愛映画館でも取り上げた『カモン カモン』『MEN 同じ顔の男たち』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の製作や米国での配給を手掛けた映画会社A24の作品で、『ブラック・スワン』ダーレン・アロノフスキー監督がメガホンをとった。体重272㎏の男性の最期の5日間を描く物語だ。

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 僕がこの作品に興味を持ったきっかけは、A24作品だから。そして主演がブレンダン・フレイザーだから。1987年生まれの自分は、彼が出演したヒット作『ハムナプトラ』シリーズのリアタイ世代で、地元・福井の映画館に家族みんなで観に行った覚えがある(観た当時の思い出が強く残っている作品のひとつだ)。彼はセクハラ被害等で心身のバランスを崩し、表舞台から遠ざかっていた。そのフレイザーが久々に戻ってきたのが、本作だった。自分にとっては、少年時代のスターのひとりがカムバックした感覚であり、現場などでも「早く観たい」と話していた。自分にとって、今年(日本公開)の注目作だったわけだ。

 映画祭でのスタンディングオベーション動画や本国予告編を観ながら気持ちを高めていたとき、WOWOWの番組に呼んでいただけることになった。斎藤工さんがホストを務める「ミニシアターに愛をこめて」だ。旧作4本とミニシアターについて対談する最高の企画なのだが、そのうちの1本がアロノフスキー監督の『レクイエム・フォー・ドリーム』。救いようのない鬱映画ではあるが、僕は大好きな1本で工さんと「『ザ・ホエール』楽しみだね」と話していた。いちライターがこういった場に呼んでいただける機会は、僕の知る限りはほぼない。工さんやスタッフ陣に感謝すると共に、『ザ・ホエール』との奇縁を感じていた。

 そして……ついにマスコミ試写会で本作を観賞できる日がやってきた。あの日のことは、鮮烈に覚えている。自分でも訳が分からなくなるほど泣いてしまい、なかなか現実に戻ってこられず最後の一人になるまで席を立てなかった。正直に告白すると、まさかここまで心を揺さぶられるとは予想していなかったのだ。

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 『ザ・ホエール』の主人公チャーリーは、重度の肥満症で家から出られない。彼はオンライン講師を務めているが、姿を映すことはしない。人々から投げかけられる視線に耐えられないためだ。そんな彼のもとに、友人や宗教の勧誘、ピザ屋、そして長年疎遠になっていた娘がかわるがわるやってくる。それぞれとの対話の中で、チャーリーが抱えるトラウマや苦悩、過去の秘密が明かされていく――というのがざっくりしたあらすじ。いわばワンシチュエーションの室内劇であり、力作であることは予期していたものの、シンプルで淡々とした味わいがある、静かに沁みていくようなタイプの映画だと思っていた。

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 しかし、である。本作は例えるなら渦、或いは荒波のように観る者を吞み込み、もはや力技に近い感覚で感情を引きずり出してくる。とてもとても劇的な映画なのだ。登場人物は少数・室内劇ながらブレンダン・フレイザー含めた俳優陣の演技が凄まじく、各人が自身の心身を削り続けるようなナイーブかつ重量級の芝居を繰り出してくる。いわゆる激しい感情演技の応酬が繰り広げられるのだが、ただ叫んだりがなったり号泣したりするものとは訳が違っていて、「そりゃあそうなるよ」という物語としての説得力(各々のキャラクターが背負っている過去)+生身の痛みが伴っているため、観ているこちらも感情を動かさざるを得ない。

 そこに、序盤からクライマックスか!?と思うほどのドラマティックな劇伴、アロノフスキー監督のぐいぐい引っ張ってくるうねりの演出が加わり、僕はスクリーンから迫ってくる圧に驚きながらボロボロと泣いてしまった。迫る死期と娘との絆の修復、孤独との向き合い方、贖罪……様々なテーマが怒涛の勢いで突き進み、ラスト10分ほどはもう、スクリーンに向けて叫びたくなるような、登場人物たちに「見守ってるぞ!」と訴えたくなるような衝動に駆られてしまった。激情を誘発するような導火線、或いはカンフル剤だろうか……とにかく強い力に引っ張られるような経験をしてしまったのだ。

 映画は終わるが、現実は続く。

 素晴らしいフィナーレを迎えた後、身体を何とか動かして会場の外に出たものの、情緒がバグってしまっている。普段はある程度落ち着くまで待つのだが、冷静になるためにも感想ツイートを投稿してみた……が、まだまだ戻ってこられない。知人に「ザ・ホエールやばかった」と感想をシェアしてもまだ帰れない。会場近くのスターバックスに入り、席に座ってカフェモカをすすり「ようやく落ち着いてきた」と思ったのだが、ここで急に、まるで波が返すように“ぶり返し”が来てしまってまたぼたぼた泣いてしまった(カウンター席なのに)。元々自分は感受性の弁がゆるい人間ではあるが、全く制御できなくなってしまい、焦った。正直、サントラを聴きながらこれを書いているいまもまたぶり返して仕事場で独り泣いている。これは何なのだろう。まだ分析しきれない。

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 いつもの何倍も時間をかけて落ち着かせ、「これは間違いなく個人的な今年のベスト10に入るな」と感じながら家に帰り、なんとか日常に帰って……。とはいえ食らうほどの感動はずっと体内で脈打っていて、現場でも本作の話を頻繁に出すように。『零落』の取材時に工さんと再びお会いした際、忙殺されていないかと気遣ってくださったのだが「『ザ・ホエール』が良すぎて復活しました!」と答えた。本作に戻ってこられなくなるほどの感慨をもらったことで、確かにあのとき僕は浄化されたのだ。

 その後、これも本当に運命的なものを感じてしまうのだが――冒頭の伏見ミリオン座からイベントのゲストに声をかけていただいた。実はその頃、公私ともにうまくいかないことが続き参ってもいたのだが、この依頼をもらった瞬間に「あっトンネルを抜けた」と感じた。出演者でも著名人でもなく、都内で活動しているライターをわざわざコストをかけて呼ぶなんてことは、普通だったらしない。去年『カモン カモン』で呼んでもらえたときにも歓喜したものだが、まさか再び機会を与えてもらえるとは思わず、大げさでなく光が差したような感覚に包まれた。

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 そして――第95回アカデミー賞において、本作は主演男優賞とメイクアップ・ヘアスタイリング賞を獲得する。当日、僕はレポート記事の作成を仰せつかり(これも本来はベテランのライターが請け負う案件だからとても嬉しかった)、時間勝負の仕事ということもあってかなりカリカリしていたと思う。授賞式の最中に娘が体調を崩して早退することになり、土砂降りのなか保育園を往復するアクシデントもあって心が千々に乱れていたのだが――ブレンダン・フレイザーが主演男優賞に輝いた際、一気に感情がこみ上げてきてまた泣いてしまった。

 こうして振り返ってみると、『ザ・ホエール』は自分を感情の純粋なる源泉に何度も連れ戻してくれた。実は伏見ミリオン座のイベントに向かう最中、仕事のアクシデントに巻き込まれてメンタルを削られたのだが、本作について考えていたら一気に気持ちは切り替わった。また思い出深いのは、本作を観た人々の顔を見られたということ。今回のイベントは上映前に行われたのだが、劇場にお願いして上映後に来場者を見送る機会を作っていただいた。出てくる人々の多くは感動に包まれた(というかあの日の僕のように現実に戻ってこられていない)顔をしていて、お話しさせていただいた何人かの方は「涙で目が腫れてしまっている」と教えてくれた。その姿を眺めながら、しみじみと本作の力を感じていた。

 伏見ミリオン座は、映画愛がことさら強い劇場だ。トイレや壁を映画のチラシや雑誌の切り抜きなどでデコレーションしたり(スタッフの手作り)、劇場に入って出るまで、映画愛で包み込む空間づくりを行っている。そういった場には映画に救われた人々が集まるものだ。そんな場所で、『ザ・ホエール』が歓待されている光景を見て、「劇場で映画を観る意義」に改めて感じ入りもした。現実と切っても切れない縁を結ぶような作品には、そうそう出合えるものではない。この作品とは、まだまだドラマがありそうだ。

『ザ・ホエール』
恋人を亡くしたショックに打ちひしがれ、現実逃避するように過食を繰り返してきたチャーリーは、大学のオンライン講座で生計を立てている40代の教師。歩行器なしでは移動もままならないチャーリーだが、頑なに入院を拒み、亡くなった恋人の妹で、唯一の親友でもある看護師リズに頼っている。そんなある日、病状の悪化で自らの余命が幾ばくもないことを悟ったチャーリーは、別れて以来長らく音信不通だった17歳の娘エリーとの関係を修復しようと決意する。ところが家にやってきたエリーは、学校生活と家庭で多くのトラブルを抱え、心が荒みきっていた……。
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:サミュエル・D・ハンター
出演:ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、タイ・シンプキンス、サマンサ・モートン
2023年4月7日(金)より、東京・日比谷の「TOHO シネマズ シャンテ」ほかにて全国公開。
WEB:https://whale-movie.jp/
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VOL.40『理想郷』
VOL.41『私がやりました』
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