偏愛映画館 VOL.18『あのこと』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画を主戦場とする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー、レビュー、コラム、イベント出演、推薦コメント寄稿など映画にまつわる執筆を幅広く手がける。「CINEMORE」「シネマカフェ」「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。
Twitter:@syocinema

 突然の告白だが、僕は「べき」という言葉が苦手だ。よく映画周りだと、記事などで「観るべき」みたいな感じの言い回しが使われるのだが、「観たほうがいい」「観なくてはいけない」という強めの薦め方は、「観ないと人生損してる」的な暴論に向かっていく気がしてしまう。それは非常に危険だ。

 そんなわけで、一読者として記事などでたった二文字の「べき」を目にした瞬間、急速に冷めていく自分がいる。そもそも観ないといけない映画なんてあるのだろうか? 自分の人生は自分で決めさせてほしい……という理由から、自分が書く文章でも極力この言葉は使わないようにしている(もちろんアベンジャーズ系などのシリーズものの映画を観る前の準備として、これは観ておくべき!的な例外はあるが、せいぜいそれくらいだ)。

 ただ、頭の片隅では映画史における重要作として「これは押さえておくのがベター」=「観るべき」名作があるのは完全に理解しているし、このワードが話者の「どうしても観てほしい=それくらい薦めたい」という熱意の表れだということも納得している。ではなぜ苦手なのか?と考えると、ある種の権威的なものに対する忌避の感情からだ。きっとこの「偏愛映画館」を読んでくださっている方々はお気づきのことかと思うが――僕の正体はひねくれた人間なので他人に“上から目線で”指示されるとすぐ心で反発してしまう……。

 しかし僕がそんなことを思えるのは、自分で自分の生き方を選択できる権利・立場を(無意識的に)有しているからだ。それは先人たちの努力の恩恵を享受しているからであり、基盤を作ってくれた両親のおかげであり、自分で勝ち取った功績ではなくこれまで出会ってきた人々の優しさによるもの。僕は個人的な座右の銘に『僕のヒーローアカデミア』の名ゼリフ「(僕は)誰かに救けられてここにいる」を掲げているのだが、まさにそんな気持ちだ。一見矛盾する言葉かもしれないが、「誰かに手を差し伸べてもらえたから、自分らしくいられる」はある種の真理だと感じる。そんなことをつらつらと考えてしまったのは、12月2日(金)に劇場公開される『あのこと』に触発されたからだ。

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 本作は、本年度のノーベル文学賞にも輝いたアニー・エルノーの自伝的小説「事件」を映画化したもの。舞台は1960年代のフランス。女子大生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)はある日、自身の妊娠を知る。大学の学位取得、その先にある教員になる夢のため、いまは子どもを産めない。しかし、当時のフランスでは中絶は違法。その話題を口にすることすら憚られる孤立無援の状況で、アンヌがとった行動とは……。

 あらすじから察せる通り、そして「あなたは<彼女>を、体験する。」というキャッチコピーが実に秀逸なのだが――観る者は60年代のフランスに転送され、アンヌを通して妊娠した女性たちのリアルな境遇を疑似体験する。個人的な観賞後の感覚を言語化するなら、痛みに切り裂かれるようだった。以前、本連載の『灼熱の魂』回で「覚悟を要する」と書いたが、『あのこと』も観た後に無事では済まされない“きつさ”がある。アンヌが感じる身体的・精神的な痛みが、僕たちにも流れ込んでくるからだ。

 そのため安穏と観ることは難しいものの、だからこそこの映画が果たす意義はとてつもなく大きいと感じる。それこそ、私たちの“いま”がどのようにして作られたのか、地表の下にある地層を知ることで価値観が変わるというか――。本作は2021年の第78回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に選ばれたが、大いに納得する見ごたえ……いやもっと強くて近い、それこそ「体験」があった。

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 先ほど「べき」が苦手と書いたが、「知るべき」事柄は世にあふれているように思う。要はそれを他者に押し付けられるのが是か非かというだけで、自分が自分に「知るべき」と課すことは「知りたい」ことでもある。その点、『あのこと』は僕にとって「観るべき/知るべき」映画だった。本作の情報を知ったとき、気持ちに余裕を作って挑まねば呑まれるなとは感じたものの、それがハードルにならなかったのは「観たい/知りたい」感情が勝っていたからに他ならない。そしてその欲求は、僕が映画を観続ける根源的な動機のひとつでもある。

 人生には限りがある。生まれた環境が恵まれていても、重要なフェーズごとに選択が生じ、選ばなかった方のルートがなくなることはない。それを補完してくれるのが、映画という存在だ。映画によって時代や年齢、性別や主義、国や地域も超えて様々な生き様を疑似体験し、自身の過ごせなかった人生が拡張していく。そうして感性が豊かになり、自分自身の人生に立ち戻ったときに輝きや彩りが増している――こうした“効果”が、僕はとても好きだ。

 自身の身体的特徴として、妊娠と出産を己が身で体感することはやはり難しい。体感は経験として自身の心身に刻まれていく……とすれば、経験できないことは「わからない」ことにもなりかねない。しかし、「わからない」と思考を止めてしまえば、相互理解なんて夢のまた夢だし、想像力の欠如が叫ばれる時代はもっと続いていくだろう。他者のことを知りたいし、理解したい。そんな自分になりたい。そう感じる人にとって、『あのこと』はきっとかけがえのない映画になる。観賞中、凄まじい痛みに襲われながらそのことを思った。

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 アンヌは、数え切れぬほどの「べき」と対峙する。「未婚の女性はこうあるべき」「学生はこうあるべき」或いは「こうするべきだった」との批判――。回想シーンがない本作で描かれるのは、徹底的に“いま”だ。アンヌは「ルームメイト」「知人や友人」「親」「医者」「教師」「セックスの相手」といった様々な関係性の人々と接していくなかで、いま、自分が生きている世界を再認識していく。妊娠した瞬間、周囲の人々がいかに非協力的になるかを……。

 奇しくもいま、『17歳の瞳に映る世界』『セイント・フランシス』『きっと地上には満天の星』等、中絶がひとつのテーマになった映画や、シングルマザーが生きていく困難さを当事者目線で描いた劇場映画が継続的に国内で観られるようになってきた。ただ、これらの作品は基本的に現代が舞台であり(だからこそテーマやメッセージが刺さるのだが)、『あのこと』とはまた少し立ち位置が異なる。ケータイもネットもなく、自身の交友関係のなかで思考し、行動せねばならない。にもかかわらず中絶が違法のため、大っぴらに助けを求めることもできない……。

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「中絶」自体についてどう捉えるかは、各々に依るところだろう。信仰や信条にもかかわる部分であり、僕でいえば親になってからはまた感覚も異なってきた。ただ、本作で描かれるのは責任の所在がひとりに一任されてしまう危険性。なぜアンヌひとりが責め苦を負わねばならないのか? 「自由」と「権利」が剝奪された状況は健全とはいえず、観賞中は痛みと共に多くの怒りや疑問が浮かぶことだろう。そして、それが筆者の体験に基づくものという事実が、重くのしかかってくる。その上に2022年があり、いまもなお本当の意味で健全で平等な社会は訪れてはいない。我々がそういう気持ちで挑まずとも、1960年代のフランスに生きていたある女性を通して、いまを新たな目線で考える自分が立ち現れるはずだ。

 僕は観賞から日が経ったいまも、『あのこと』を考えている。そしてそれは、この作品に出合わなければ生じなかった変化だ。不寛容の時代だとしても、僕たちは自身の意識次第でいかようにも変わっていける。その道程に、『あのこと』は在る“べき”映画だ。

『あのこと』
舞台は1960年代のフランス。大学の寮に暮らす学生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、教授からも特別扱いされるほど頭脳明晰で、学位をとって教師になる夢に近づいていた。そんなある日、彼女に妊娠が発覚する。アンヌは医師に何か策はないかと訴えるが、「中絶は違法行為。荷担したら刑務所行きだ。君もね」と即座に拒絶されてしまう。別の医師にもあたるがこれといった効果はなく、また、中絶という言葉を口にすることさえ忌避される時代にあって友人達に打ち明けることもできず、お腹の子の父親である青年もいい加減だ。頼れる人も情報もない中、アンヌは日に日に変化する身体で不安と恐れにさいなまれていく。ついに、アンヌはある思い切った行動をとってしまうーー。
オードレイ・ディヴァン監督・脚本、アナマリア・ヴァルトロメイ、ルアナ・バイラミ、ケイシー・モッテ・クライン、サンドリーヌ・ボネールほか出演。
2022年12月2日(金)より、東京・渋谷の「Bunkamura ル・シネマ」ほかにて全国順次公開予定。ギャガ配給。
©2021 RECTANGLE PRODUCTIONS-FRANCE 3 CINÉMA-WILD BUNCH-SRAB FILMS
WEB:https://gaga.ne.jp/anokoto/

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