
劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

面白い映画を観た。ただ面白いだけではなく、作り手の勇敢さとフラットな愛情を感じさせる作品だった。2月28日より公開中の『ANORA アノーラ』だ。2024年・第77回カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールに輝き、本年度の第97回アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演女優賞ほか5部門で受賞。いま世界の映画賞を席巻している注目作だ。がっつり性描写があるため日本ではR18+指定のレイティングになり、18歳以上でないと観賞できないのだが、個人的には実にオープンな映画の印象を受けた(ちなみに近年のアカデミー賞受賞作だと『哀れなるものたち』がR18+、『オッペンハイマー』がR15+)。

ニューヨークで働くストリップダンサーのアノーラ(マイキー・マディソン)は、勤務先のクラブで御曹司のイヴァン(マーク・エイデルシュテイン)と出会う。彼が故郷のロシアに戻るまでの7日間、“契約彼女”になったアノーラは、盛り上がった勢いでイヴァンの申し出を受けて結婚。その知らせを受けたイヴァンの両親は激怒し、何とかして別れさせようとするのだった――。

「シンデレラストーリーの“その後”を描く」という触れ込み通り、刹那的なラブロマンスがままならない現実に浸食されていくなか、状況を打破しようと奮闘するアノーラの姿を見つめた本作。ベースは喜劇タッチだが、特定の属性の人々をこき下ろしたり記号的に扱ったり過度な批評性を持ち込むことなく、愚かさも切実さも含めて立場関係なく血の通った人間同士のフレッシュな物語に仕上げている。

まずもって、主人公となるアノーラの人物像がなんとも心地よい。相手が権力や身体的なパワーを持っていようが関係なしに、自分の意志を表明して貫こうとする一方で、夢のような豪遊生活の中でも浮かれすぎず、瞳の奥にどこか不安を宿している。こうした相反する強さと弱さが混在するさまが実に人間的であり、降ってわいた状況に戸惑いながらも己に誇りを持って前進しようとする姿が生き生きと描写されていく。
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「職業に貴賎なし」というものの、セックスワーカーに対してステレオタイプな描き方をする作品は少なくない。しかし、これはどんな職業にも限らず――当事者の意識は人それぞれなのが“普通”だろう。なし崩し的に今の状況に追いやられて毎日が嫌でしょうがない人もいれば、他人にどう思われようが自分の仕事にプライドを持っている人だっている。
そしてそれらはその日のコンディションによって上下したり、人生のステージの中で考え方が変わったりする。未来永劫変わらないほうがイレギュラーであり、映画はあくまで一面を切り取ったものに過ぎない。こうした“当たり前”に対する意識が、本作にはとかく丁寧に織り込まれている。
メインとなるアノーラとイヴァンの物語だけでなく、レストランの店員やレッカー車の作業員などワンシーンだけにしか登場しない人々にも生活が透けて見える人物描写が絶妙なのだ。観賞中、いち観客として軽快なテンポの良さに夢中になると共に、作品づくりのお手本にしたい!とメモを取りたい衝動にかられた。
本作の監督・脚本・編集を手掛けたショーン・ベイカーは『タンジェリン』や『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』『レッド・ロケット』等々、一貫して社会的弱者とされている人たちの内なる強さ/たくましさを描き続けてきたクリエイター。その軽やかなる凄みをまたもや見せつけられ、「これが本当の人間賛歌だよ!」と快哉を叫びそうになってしまった。

「忖度」や「コンプライアンス」、「不適切」「センシティブ」といったワードが一般化された現代、クリエイティブを行う側の自己検閲の感度も高まっているように感じる。ただ重要なのは、思考停止で守りに入るのではなく、他者へのリスペクトを忘れずにバイアスをかけない“生きた”物語を作ることではないか。
ベイカー監督はその体現者の一人で、前作『レッド・ロケット』などは「落ち目のポルノスターが地元に戻って若い女子に熱を上げる」という色々アウトな設定なのだが、各々の生活や心情を見事に映し出しているため何とも爽やかで雑味も嫌味もない。画面全体から公平な姿勢が感じられるのだ。かつ、時代の空気感も鋭敏に受け止めている感覚が伝わってくる。
『ANORA アノーラ』もまたシンデレラストーリーという古き良き“おとぎ話”に“いま感”をミックスさせており、スッと目に、心に違和感なく馴染んでくる。いまを生きる我々の居場所が画面の中に用意されているがゆえだ。
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“いま感”といっても、取って付けたような目配り的なものではない。例えば本作の劇中、依頼主である両親に依頼されてアノーラを拘束しようとする男たちは、暴力を振るわないように心がけて対応しようとする。これを「男女の不均衡に対する問題意識があるからこういうシーンにしたんだね」「男が力で女を押さえつけるなんて今の時代にふさわしくないもんね」と受け止めること自体は可能だろう。ただ、個人的にはそうではないと感じる。

ベイカー監督は、市井の人々とその生活を見つめ続けてきた人物だ。となれば、これらの行動はかれら自身の人間性によるものではないか。登場人物の一挙手一投足や行動理念に“人格”が結びついているからこそ、作為を感じない。そして、そういった作品はどうにも気持ちがいい。「このテーマとストーリーで、こんなに“面白い”だけになれるんだ」と思いながら観て、ラストシーンには心を揺さぶられ、エンドロールを眺めながら「なんと安心感に溢れた傑作だろうか」と満足感に包まれて――。
普段はあまりこういった物言いはしないのだが、本作においてはどうか気軽な気持ちで軽率に無防備に飛び込んでみてほしい。きっと存分に楽しめるはずだ。
最後に……先のアカデミー賞授賞式の受賞スピーチで、ベイカー監督は次代の映画ファンを育てる重要性を語っていた。そして劇場の文化的な重要性とフィルムメーカーたちへのエールも。未来は我々にかかっている。

『ANORA アノーラ』
ニューヨークでストリップダンサーとして働く、アニーことアノーラは、ある日職場でロシアの新興財閥の息子、イヴァンと出会う。彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5千ドルで“契約彼女”になったアニー。パーティーやショッピングと贅沢三昧の日々を過ごした二人は、ラスベガスの教会で衝動的に結婚!幸せの絶頂ーーと思いきや、娼婦と結婚したと聞いたロシアの両親が猛反対し、離婚させるため最強の男たちを息子が滞在する邸宅に送り込み、大騒動に発展!第77回カンヌ国際映画祭で、最高賞「パルムドール」を受賞したほか、3月3日に発表された第97回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞など最多5部門を受賞した。
監督・脚本・編集:ショーン・ベイカー 製作:ショーン・ベイカー、アレックス・ココ、サマンサ・クァン
出演:マイキー・マディソン、マーク・エイデルシュテイン、ユーリー・ボリソフ、カレン・カラグリアン、ヴァチェ・トヴマシアン
2025年2月28日(金)より全国公開中。
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
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