
劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

最近よく思い出す言葉がある。漫画「ブルーピリオド」の「悔しいと思うならまだ戦えるね」だ。藝大を目指す主人公・矢口八虎はどれだけ努力しても自信が持てず、他者の才能を目の当たりにしては落ち込むばかり。そんな彼に友人のユカちゃんがかけたエールがこれ。僕も八虎と全く同じで「他人はスゴい、自分はダメだ」状態が常だが、この自己嫌悪の気持ちは実は悔しさであり、次に進むためのエネルギーなのかもしれない――と同作を機にネガポジが反転された。恐らく、悔しさは恥ずかしいことではない。「良薬は口に苦し」と同じで、つらさの代わりに推進力を与えてくれるものなのだ。ならば、悔しさとの出合いはきっと進化のチャンスなのだろう。
僕が最近、とにかく悔しかったときはいつか。この映画を観賞したときだ。『悪人』『怒り』の小説家・吉田修一×監督・李相日の最新タッグ作にして、吉沢亮と横浜流星が共演した『国宝』(2025年6月6日公開)。

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第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に選出され、上映時には約6分間のスタンディングオベーションが巻き起こった話題作だ。約3時間にわたり、ある歌舞伎役者の約50年に及ぶ半生を圧倒的な熱量で描き切っている。
抗争によって任侠の父を亡くした喜久雄(青年期以降:吉沢 亮)は、芸の才を見出されて歌舞伎の名門の当主・半二郎(渡辺 謙)に引き取られる。半二郎の息子・俊介(青年期以降:横浜流星)と共に厳しい稽古を積んで芸を磨き、頭角を現していくも、幾多の試練が彼らを待ち受けていた――。
喜久雄に扮した吉沢は撮影期間も含めてなんと1年半を役作りに費やし、歌舞伎界の稀代の女形に身も心もなりきった。そのライバル・俊介役に抜てきされた横浜も凄まじい努力を重ね、スクリーンの中でしのぎを削っている(その過程を知らずとも、結果を見れば一目瞭然)。渡辺 謙や田中 泯といったベテラン勢の熱演も強烈で、各々が本作に刻み付けた輝きは今後も語り草になるだろう。

しかも、ただ「とんでもない芝居が見られる」作品なのではなく、エンターテインメントとしての「見やすさ/入り込みやすさ」と「どうしようもなく心を動かされてしまう深み」が同居している。観客に歌舞伎の知識がなくてもついていける親切設計になっていながら決して軽くなく、痛みが詰まっているのに爽快であり、長尺にもかかわらず飽きず疲れず、斜に構えていても否応なしに真の意味で“感動”させられてしまう――。
物語構成の面でも画力(えぢから)の面でも、演出においても非の打ち所がない。かといって、本作があらゆる面で緻密に計算し尽くされた徹頭徹尾隙のない一作かといえばそうではない。
むしろ、強固な設計をパッションが飛び越えてくる瞬間――画面全体のバランスを崩してもなお、その刹那を映し出そうとする「狂気も弱さも等しく歓迎する」姿勢が、僕の心を激しく揺さぶった。

その象徴が、善人でも聖人でもない喜久雄の人物像。彼は天賦の才を持つも家柄に恵まれず、御曹司の俊介に嫉妬心をさらけ出して傷つけてしまったり、出演機会を求めてタブーを冒したり、周囲の人間の人生を破壊してしまう。まさに「悪魔に魂を売り渡す」所業も行うのだが、それでいて非情になりきれず、中途半端に思いやりを持ってしまったり罪悪感に苛まれ続ける――。
それは、俊介も同じ。喜久雄を憎みながらも大切に想う気持ちはなかなか定まらず、歌舞伎に対する距離感も「家業」と「自分が好き」の間で揺らぎ、保身に回る己の弱さや甘さを恥じてもいる。
どちらも才能があるのに持たざる者でもあり、歌舞伎に取りつかれた人間でありながらどこか冷めてもいて、成功を重ねても不幸に見えてしまう。他人を蹴落としてでも成り上がろうとするまっすぐに修羅に向かっていく話ならピカレスクものとしての快感もあるのだが、周囲を傷つけて、自分も傷ついていく喜久雄や俊介のナイーブな姿はどこまでも痛ましく、同時に非難めいた感情もあり、それでいて――認めたくはないのだが――もがき続ける姿にシンパシーを感じてしまった。

漫画「ハチミツとクローバー」の有名なセリフに若き画家・はぐみの「修ちゃんの人生を私にください」があるが、きっと我々表現者は、自分の魂が指す方向に向かうだけで周囲の人生を食い物にしてしまう。僕がこうして物書きを続けられているのは妻の支えがあってこそだし、自分という人間が生まれ持ってしまった「誰かの人生を奪ったうえで成り立つ」能力の残酷さが時々恐ろしくなる。しかも厄介なことに、好きなことで食べていけても本人が常時幸せかといえばそうではない。むしろずっと苦しい。
だが別の道を選んだら心が死ぬから進むしかない。楽になれたらどんなにいいかと思いながら、それでいて向上心や責任感はあるからボロボロになりながらもまた向き合ってしまう。こうやって言葉にすると本当に面倒で傍迷惑な存在なのだが、僕たちは何かが欠落した代わりに作り続ける運命を授かったのだろうとも思う。つまり、自分の中には喜久雄も俊介も何割か重なる部分があって、それが何と言えばいいのか――救われるのに悔しくて仕方がないのだ。

最初は本作の映画としての素晴らしさに嫉妬し、「なぜ自分は観客としてしか関われないのだろう」と感じたことが悔しさの正体だと思っていたのだが、どうにもそれだけではない気がする。僕個人の本性を言い当てられ、見透かされたような恥ずかしさと、どこかしら似通っている部分があるのにどこまでも魅力的な彼らと自分の間に圧倒的な差を感じたこと、憧れと羨ましさ……。正直まだうまく整理できないのだが、いずれにせよ本作を機に得たこの“悔しさ”が、日増しに大きなうねりとなって自分の中に渦巻いているのを感じる。早くこの気持ちから解放されたくて、僕はまた書き続けるのだろう。こうして発奮させられ、背中を押されたこともまた、悔しくて仕方がない。
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『国宝』

この世ならざる美しい容貌を持つ立花喜久雄(吉沢亮)は、長崎の任侠の一門に生まれた。抗争で父親を亡くしたのち、上方歌舞伎の名門である丹波屋の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界に飛び込む。そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司の大垣俊介(横浜流星)に出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる喜久雄と俊介はライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げる。しかし多くの出会いと別れが、二人の運命の歯車を大きく狂わせていく。
監督:李 相日、脚本:奥寺佐渡子
出演:吉沢 亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、森 七菜、三浦貴大、見上 愛、黒川想矢、越山敬達、永瀬正敏、嶋田久作、宮澤エマ、中村鴈治郎、田中 泯、渡辺 謙
2025年6月6日(金)より全国公開。東宝配給。
©吉田修一/朝日新聞出版©︎2025映画「国宝」製作委員会
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