劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
映画は言うまでもなくビジュアルメディアだ。映画にまつわる文章を書く中でも「目の当たりにする」や「目を疑う」「刮目せよ」など、視覚と結びついた表現を用いることは数多い。4D上映といったようなオプションはあれど、基本的には目(映像)と耳(音響や音楽)を使って情報をインプットし、その結果脳や心が活性化する――というのが映画を観ているときの状態だろう。
「観る」がもたらす効果は絶大で、夢の世界にトリップすることもできるし、現実社会の知らない一面を教えてくれることも。発見を指す「discover」という言葉は「cover(覆う)」の否定形、つまり覆いをはぎ取ることで白日にさらす行為を示しているが、カメラが分け入ることで僕たちの“目”は拡張し、連動して“知”も深まっていく。余談だが、かつて上空に張られたワイヤーの上を歩く男を描いた映画『ザ・ウォーク』のVR版を体験した際、自分がいるのは会議室だと頭でわかっていても、視覚が「空中のワイヤーの上」という映像で覆われてしまうと身体が錯覚して一歩も動けなくなる、という体験をしたことがある。「視覚」は、身体全体を支配するほどのインパクトを持つのだ――と知った出来事だった。
そして……。映画は「可視化」してしまう怖さもある、と最近観たとある作品で痛感した。4月14日に劇場公開される『聖地には蜘蛛が巣を張る』だ。本作は、2000年代初頭のイランが舞台。娼婦を標的にした連続殺人犯をジャーナリストが追う――というサスペンスだ。
本作は第71回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門でグランプリを受賞した『ボーダー 二つの世界』を手掛け(傑作!)、直近では大ヒットゲームを実写化して話題を呼んだドラマ『THE LAST OF US』(傑作‼)のエピソード監督を務めたアリ・アッバシ監督の新作で、ザーラ・アミール・エブラヒミが第75回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞している……といった情報もあり、観るのを楽しみにしていた。僕が思うアッバシ監督の作風は、一言でいうと「食らう」。もちろんショッキングな描写はあるのだが、それ以上に観る前後で価値観を激変させられてしまうのだ。そのためある種の“耐性”はついていたはずだったのだが、『聖地には蜘蛛が巣を張る』を観て大いに驚かされた。それが先ほど触れた「可視化」だ。
まずこの映画、序盤から娼婦連続殺人事件の犯人が「可視化」されている。追われる側と追う側で二人の主人公がいるような構造になっていて、犯人のサイード(メフディ・バジェスタニ)にジャーナリストのラヒミ(ザーラ・アミール・エブラヒミ)が徐々に近づいていくさまが描かれる。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』など、最初から犯人が明かされていることで、心理戦や攻防に重きを置くタイプの作品は過去にもあったが、『聖地には蜘蛛が巣を張る』の特徴はサイードの人物像。
彼は一見すればごく普通の男性で、日々勤勉に働き、妻も娘もいる。ただその生活の延長線上で、街で娼婦を見かけては声をかけ、殺害する。しかもその殺し方がずさんで行き当たりばったり。「なんでこんなことをするんだ?」「なぜこれで捕まらないんだ?」と様々な疑問が浮かぶが、次第に彼の中に渦巻く、ある“思想”が可視化されてくる。サイードは夫であり父であり(当然ながら)息子でもある一方、強烈な女性蔑視(ミソジニー)思考の人物なのだ。そしてその歪んだ思想は、社会全体に蔓延していて――。
実は『聖地には蜘蛛が巣を張る』はイランで実際に起きた殺人事件に着想を得ているのだが、16人もの女性を殺害した殺人犯サイード・ハナイは敬虔なイスラム教信者だったという。公式サイトに掲載されているアッバシ監督のインタビューを引用すると、「普通の世界なら、16人も殺した男は犯罪者として見られるはずだ。しかし、ここでは違った。一部の市民や保守派メディアは、(犯人の)ハナイを英雄として称え始め、ハナイは“汚れた”女たちを街から始末するという宗教的な務めを果たしただけだと擁護したのだ」とのこと。
そしてアッバシ監督は、こうも語っている。「連続殺人犯の映画を作りたかったわけではない。私が作ろうと思ったのは、連続殺人犯も同然の社会についての映画だった。イラン社会に深く根付いている女性蔑視(ミソジニー)の風潮は、宗教や政治が理由というわけではなく、単純にそういう文化として存在している。女性蔑視は、国に限らず、人々の習慣の中で植え付けられる」と(※)。
※出典 https://gaga.ne.jp/seichikumo/about/
この言葉の通り、ジャーナリストのラヒミは入国時から、数々の女性蔑視にさらされる。ホテルマンのチェックインの対応や、現地警察の態度。そして同じように性差別に耐える女性たちの姿……。
ラヒミとサイードを通して、我々観客は可視化された「女性蔑視の被害者/加害者」の双方を目の当たりにするのだ。個人的に特に強烈だったのは、女性蔑視を行う側の主張を知ってしまったこと。サイードは娼婦たちに「聖地を汚している」と憎悪を抱き、彼女たちが視界に入る度に殺意がうずく(なぜ彼女たちが娼婦の仕事を行うようになったのか、その社会的背景からは目を背けて)。そのミソジニーは、妻や娘にも「こうあるべき」という一方的な考えを押し付けることで発露していて、控えめに言っても観るに耐えない。ただ、本作を観賞したことで、ひとつの(忌避すべき)生態をインプットしたような感覚にもなった。
1億2000万人総ネットユーザー社会とも言われる現代日本。特にSNS上では、姿を見せない女性蔑視主義者が跋扈している。なぜ“そう”なのか、正直なところ僕にはわからない(そもそも近づきたくもないのでシャットアウトしてしまう)。しかし『聖地には蜘蛛が巣を張る』という作品を通して、アノニマスな“誰か”が具体的な個人に可視化されたように思えて、どこか一歩進んだような手ごたえと、「同じ人間なんだ」という新たなる絶望と――様々な感情と思考が荒れ狂った。
女性差別は現代の深刻な社会問題だが、まだこの世の中には、性別のほかにも、人種やジェンダー、年齢などを理由に、他者を憎悪する人間が想像よりもはるかに多くいるのだろう。憎悪はマイナスでこそあれ、エネルギーを要する。その根源は一体どこにあるのか?とも思う。『聖地には蜘蛛が巣を張る』でそれは信仰だったが、全てのケースには当てはまらないだろう。今この瞬間も、誰かが他者を憎み攻撃している社会で、自分自身がたとえ不条理な憎しみを向けられたとしても(そんなことがないのが理想だが)他者に憎しみを抱かずに、どう生きていくのか。可視化された映像を観て、痛みを引き受けてしまった自分にはまだ見えてこない。
ただ、個々人が他者を知り、自分の頭と心で考えて行動することだけが、環境を変えるための着実な方法なのだろう、とも思う。そうした意味で、『聖地には蜘蛛が巣を張る』は大いなる役割を果たすのではないか。初見時、怒りと痛みに震えながら、同時に「観てよかった」とも思った。この映画の先に、自分たちの目と心が生み出す、未来への希望を託された気がしたのだ。
『聖地には蜘蛛が巣を張る』
聖地マシュハドで起きた娼婦連続殺人事件。「街を浄化する」という犯行声明のもと殺人を繰り返す“スパイダー・キラー”に街は震撼していた。だが一部の市民は犯人を英雄視していく。事件を覆い隠そうとする不穏な圧力のもと、女性ジャーナリストのラヒミは危険を顧みずに果敢に事件を追う。ある夜、彼女は、家族と暮らす平凡な一人の男の心の深淵に潜んでいた狂気を目撃し、戦慄する——。
監督・共同脚本・プロデューサー:アリ・アッバシ
出演:メフディ・バジェスタニ、アーラ・アミール・エブラヒミ
2023年4月14日(金)より、東京の「新宿シネマカリテ」「ヒューマントラストシネマ渋谷」「TOHOシネマズ シャンテ」ほかにて全国順次公開。R-15。ギャガ配給。
WEB : https://gaga.ne.jp/seichikumo/
©Profile Pictures / One Two Film
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