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recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。『正体』『汝、星のごとく』ほか藤井道人監督の作品に参加。杉咲花氏の公式インタビュー、中村倫也氏や横浜流星氏のファンクラブ内インタビューを担当。「装苑」「WOWOW」等で連載中。TV番組「シネマ PICK UP」ナビゲーターも務める。
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Credit: Atsushi Nishijima/Focus Features © 2025 All Rights Reserved.
時間が経っても、思い出すと胸がきゅっと締め付けられるような映画がある。「良かったなぁ……」と幸福な嘆息が漏れるような、自分が生きる現実にも作品世界が続いているような出会い。濱口竜介監督の新作映画『急に具合が悪くなる』を観終えてからというもの、心のどこかがずっと温かい。
先日行われた第79回カンヌ国際映画祭で、ヴィルジニー・エフィラと岡本多緒がそろって女優賞に輝いた本作。『寝ても覚めても』や『ドライブ・マイ・カー』をはじめ、新作を発表するたびに世界的に高い評価を得る濱口監督だけに、そして前評判の高さもあり、楽しみにしている方も多いことだろう。

本作は、フランス・パリを舞台に、介護施設の施設長マリー(ヴィルジニー・エフィラ)とがん闘病中の舞台演出家・真理(岡本多緒)が出会い、交流を深め、連帯していく物語。同じ名前を持ち、職種は違えど同じ“ディレクター”である2人が、どのように世のシステムに向き合っていくかがそれはそれは丁寧に紡がれていく。

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濱口監督の『ハッピーアワー』は317分、『ドライブ・マイ・カー』は179分、そして『急に具合が悪くなる』は196分。濱口監督は長めの作品を撮るクリエイターだが、今回も3時間超えの超大作のため二の足を踏んでいる人もいるかもしれない。
ただ、とある海外評で書かれていたように「無駄なカットは一つもない」が個人的な感想だ。それ以上に知性と豊かさに包み込まれる悦びが圧倒的に勝っており、体感としては「気づいたらそれだけの時間が経っていた」に近い。冗長なシーンはなく、カット数もしっかりあるためテンポも良い。何より「2人の人間を描くには、これくらいの時間が必要」と大いに納得させられた。

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本作をざっくり分解してみると「マリーの仕事風景や人物紹介に30分」「真理の仕事風景や人物紹介に30分」と1時間でセットアップを済ませ、次の1時間で「2人が同じ夜を過ごしながら語り合う」が丹念に描かれ、最後の1時間でクライマックスに至るドラマが展開してゆく。実に整理整頓されており、理知的な構成だ。
仮に3章構成と定義した場合、それぞれにはっと目を奪われるキラーショットが用意されているのも秀逸。
第1章ではトラム(路面電車)の車窓からのシーン、第2章では介護の作法のレクチャーから2人が抱き合うシーン、第3章では朝陽を見ながらカップラーメンを食べるシーンと、シチュエーションも動きも日常の延長ながら「さりげないのにエモーショナル」な場面が挿入され、ただの淡々とした作品とは一線を画す巧妙な計算とあふれ出るセンスに震わされた(僕にとっては特にこれらのシーン群が記憶に残ったが、観る人によってチョイスは変わるだろう。それだけ本作は各ショットが充実している)。

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かつ、僕が静かに感動したのは『急に具合が悪くなる』が「今の時代に、そして今の自分に必要な作品だ」と強く思えた部分にある。先ほど「知性と豊かさ」と書いたが、本作は二人の女性を通して他者とどう手を繋いでいくかを理性的に考えていく希望の物語でもあるのだ。
各地で戦争が起こり、資源や富の奪い合いが加速し、あおりを食って我々の生活にも打撃を与えている今。国内でも政治に対する不満や将来への不安が紛糾しているなか、映画で何を出来るのか。先述した第2章に顕著だが、本作はそうした現状から目をそらさず、マリーと真理が少子高齢化と資本主義について語り合ったり、介護と芸術のそれぞれの分野、診る者と闘病する者という当事者の立場から得た知見をオープンシェア(知の共有)する精神で出来上がっている。
しかもその姿勢や視線が押し付けではなく、我々と同じくリアルタイムで市井に生きる人としての実感に満ちているため、こちらも信頼して受け入れられる。マリーと真理は劇中で互いに手を繋ぎながら、残った手を画面の向こうにいる私たちに差し伸ばしているのだ。「一緒に考えて、対話して、生きていこう」と。
彼女たちはまだ絶望していない。そして、周囲の人々も方向性の違いから衝突することはあれど、諦めずに問題に対処しようとしている。だからこそ本作には陽光が差し込むような温かさが満ちており、登場人物だけでない僕たちが生きる社会――未来への希望を示して終わる。


『ドライブ・マイ・カー』では“言葉”が一つのテーマとなっており、言葉を交わしても分からないこと、言葉を交わさずとも分かり合えることが描かれた。そして『悪は存在しない』ではコロナ禍をフックに社会保障や、芸術と支援のシステムが言及された。『偶然と想像』にも通ずる連帯の要素含め、『急に具合が悪くなる』は濱口監督の集大成的な作品ともいえる。一人の作家が辿り着いた場所が、我々を歓待する優しさにあふれていること――それもまた、書き記しておきたい点だ。

最後に――。思い返せばコロナ禍時に「文化芸術は不要」的な論調が巻き起こり、随分心が消耗したものだ。最近も「賢く生きていくためには消費と浪費を抑えなさい」的な“正論”を目にし、その通りかもしれないけど……と忸怩たる気持ちに襲われた。
時代が暗くなるにつれて、自分が愛してきたものが「無駄」とされ、自分自身が否定されるような感覚が強まっていく2020年代。だが、僕は本作との出会いを経て、文化芸術を仕事にする自分にできることは「豊かさを手放さない」ことなのかもしれない、と思えるようになった。そのことがとびきり嬉しかった。

『急に具合が悪くなる』
介護施設で理想の介護のあり方を探求するマリー=ルーと、独創的な演劇の演出家でステージⅣのがん患者である真理。同じ名前を持つ二人が偶然に出会い、友情を超える絆を結ぶ物語。九鬼周造研究で知られ、がんの転移を経験しながら生き抜く哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が交わした20通の往復書簡から成る同名書籍を映画化。原作のエッセンスはそのままに、まったく新しい物語として紡ぎ出された珠玉の3時間16分。
監督・脚本:濱口竜介
出演:ヴィルジニー・エフィラ、岡本多緒、長塚京三、黒崎煌代
2026年6月19日(金)より、東京の「TOHO シネマズ日比谷」ほかにて全国公開。ビターズ・エンド配給
© 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
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