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劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
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今回紹介するのは『聖なるイチジクの種』(2月14日より公開中)。第77回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞に輝き、本年度のアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた力作だ。A24と並び称されるNEONが米国配給を手掛けており、167分という長尺ながら全く飽きさせないサスペンスと現代イランの諸問題をえぐる社会派なテーマ性、アナログで封建的な親世代とデジタルで疑心が身に着いた子世代の衝突をも描き切っており、初観賞時は「これはぜひ装苑読者の皆さんに紹介したい!」と息巻いていた。
「家庭内で護身用の銃が紛失。犯人は妻と2人の娘の誰かなのか? 疑心暗鬼に陥った父が暴走していく」というミニマムな紹介だけでも、物語が気になる方はいることだろう。僕もそうで、実際観たら「そこはもちろんだけど滅茶苦茶“いま”の話じゃん! こういうのを観たかったんだ!!」と興奮してしまった。
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本作は、2022年にイランで起きた大規模な抗議運動を題材に、「その裏でこんな余波が起こっていたら?」という物語が展開するリアル×フィクションの映画だ。風紀警察に逮捕された女性が、その後不審死を遂げたことを発端にイラン全土で大規模なデモが勃発。上層部が危険視した人々に刑罰を下す仕事をさせられる予審判事の父は愛国心から受け入れようとし、妻は盲目的にテレビのニュース番組を信じ込もうとする。
しかしInstagramやTikTok等の各SNSを通して現場のリアルな“いま”を目撃した娘たちは、「テレビは演出されていて、偏向報道だ」「思考停止状態でなぜいられるの? この国の今はおかしい。時代に合っていない」と反発する。そして発生する銃の紛失事件、家族の衝突、浮き彫りになる支配的な家父長制とこの国/社会を覆う常態的な闇――。
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自分は娘たちに近い世代だが、親世代の言い分も納得はできずとも理解はできるという立場で観て、家庭内の4人というある種の密室劇に近い構成でこんな物語を作れるのか!といち作り手としても震えた。予備知識がなくてもグイグイ引き込み、しっかりと魅せて、SNS等の扱い方や若い世代の価値観にフィルターをかけずにリアリティを持って描き出せている。バランス感も実に絶妙なのだ。
……ということで「すげぇ作品に出合ったぞ!」と歓喜した僕は、その勢いのまま周囲に薦めてみた。興味を持ってくれる人はいたが、どうにも反応が薄い。なぜか。
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ほとんどみんな、『聖なるイチジクの種』の存在を知らなかったのだ……。これだけ各映画賞を受賞しているにもかかわらず!と思ったが、映画業界内でさえその前提が通じない状況になりつつあることに、恐怖を覚えた。公開週に入った今、本作がどれくらい“届いて”いるのか? 現時点では、一部の映画好きでとどまっている気がしてならない。
いまの社会を鋭く描いた他人事に思えない話であり、一本の映画としても完成度が抜群のためもう少し広がってもよさそうなものだが……。
もちろん公開後に口コミで広がっていく期待はしているが、前評判の高さが聞こえてくるかどうかも極めて重要なファクターであり、このレベルの作品なら起こっていて然るべきことが自分の耳にまでまだ入ってこない。映画業界に入って10年以上になるが、なんとなく培われてきた「通常」がもう通用しない感覚が、一層強まっている。
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日本国内における洋画市場が厳しいと言われるようになってから、どのくらい経つだろう。2024年度(’23年12月公開~’24年11月)の興行収入ランキングでは、トップ10に洋画実写映画が1本も入らない事態になった。
もっともここ数年は『トップガン マーヴェリック』『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』とトム・クルーズ頼みになっており、『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』(5月23日公開予定)や『ジュラシック・ワールド/復活の大地』(2025年夏公開予定)ほか大作目白押しの今年は、復権の可能性は大いにある。ただやはり、コロナ禍が決定打となり苦戦を強いられているのは確かだし、今挙げたのはあくまでトップオブトップの全国同時展開のブロックバスター作品だ。ミニシアター~チェーン系の一部上映作品では去年でいうと『関心領域』や『落下の解剖学』『ロボット・ドリームズ』などが気を吐いた印象だが、片手で数えられるくらいにとどまっているように感じる。
一方で、観客目線でいうと劇場映画は2000円弱、2時間以上拘束される・上映開始時間に合わせて行動しないといけない等々、家の中で様々なエンタメに触れられる時代性から乖離しているとも感じる。ただ、この構造的問題は映画に限らず舞台や音楽コンサートとも同じだし、文化という意味でも守っていかなければならない。
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また、少し日本の映画業界周りの話をすると、いくら配信が活況でもオリジナル作品以外の映画は配信開始日がアナウンスされるくらいで、宣伝がほとんどされないのが実情だ。そうなるとメディアに取り上げられることもなく、いわゆるプロが紹介することもほぼなくなる。SNS等で広がる可能性はあるが、業界内でバックアップを得られないのは痛手だろう。
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逆に言えば、このまま劇場映画がビジネスとして成立しなくなれば僕たち書き手の仕事も減り、映画業界全体が衰退していくことになる。こうした諸々を考えたときに、まず「伝える/知ってもらう」ことをもっともっと真剣に考えて行動しなければならない――という危機感がここ数カ月、頭の中を支配している。無力とは言わないが微力な自分に、何ができるだろう? この偏愛映画館を通して少しでも、一人でも各国の作品とのタッチポイントを作れるように、この先も尽力していきたい。
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『聖なるイチジクの種』
市民による政府への反抗議デモで揺れるイラン。国家公務に従事する一家の主・イマンは護身用に国から一丁の銃が支給される。しかしある日、家庭内から銃が消えた——。最初はイマンの不始末による紛失だと思われたが、次第に疑いの目は、妻、姉、妹の3人に向けられる。誰が?何のために?捜索が進むにつれ互いの疑心暗鬼が家庭を支配する。そして家族さえ知らないそれぞれの疑惑が交錯するとき、物語は予想不能に狂いだす。
監督・脚本:モハマド・ラスロフ
出演:ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ
東京・日比谷の「TOHO シネマズシャンテ」ほかにて全国公開中。ギャガ配給。
©Films Boutique
偏愛映画館
VOL.1 『CUBE 一度入ったら、最後』
VOL.2 『MONOS 猿と呼ばれし者たち』
VOL.3 『GUNDA/グンダ』
VOL.4 『明け方の若者たち』
VOL.5 『三度目の、正直』
VOL.6 『GAGARINE/ガガーリン』
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VOL.8 『TITANE/チタン』
VOL.9 『カモン カモン』
VOL.10 『ニューオーダー』
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VOL.12 『リコリス・ピザ』
VOL.13 『こちらあみ子』
VOL.14『裸足で鳴らしてみせろ』
VOL.15『灼熱の魂』
VOL.16『ドント・ウォーリー・ダーリン』
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VOL.18『あのこと』
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VOL.20『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
VOL.21『イニシェリン島の精霊』
VOL.22『対峙』
VOL.23『ボーンズ アンド オール』
VOL.24『フェイブルマンズ』
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VOL.30『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
VOL.31『マルセル 靴をはいた小さな貝』
VOL.32『CLOSE/クロース』
VOL.33『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』
VOL.34『インスペクション ここで生きる』
VOL.35『あしたの少女』
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VOL.39『ザ・クリエイター/創造者』
VOL.40『理想郷』
VOL.41『私がやりました』
VOL.42『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』
VOL.43『PERFECT DAYS』
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VOL.45『哀れなるものたち』
VOL.46『ボーはおそれている』
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VOL.49『ゴッドランド/GODLAND』
VOL.50『パスト ライブス/再会』
VOL.51『システム・クラッシャー』
VOL.52『関心領域』
VOL.53『バティモン 5 望まれざる者』
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VOL.60『ぼくのお日さま』
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