『顔を捨てた男』偏愛映画館 VOL.75

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

FURIOSA

すごい映画に出合った。いち作品として衝撃的に面白く、物語・演出・人物造形・心情描写・演技――どこもかしこも攻めており、現代性を纏ったテーマが強烈に突き刺さって「よくこんな作品を作ったものだ……」と放心してしまった。仕事の現場などで「最近のオススメは?」と聞かれるたびに真っ先に挙げるほど心を奪われたのだが――同時に、ある厄介な悩みに付きまとわれてもいる。

この映画、なんとも言葉にしにくいのだ。より正確にいうなれば、言葉にするのをためらわれる。傑作だから薦めたいのに、保身の感情が邪魔してモゴモゴしてしまう自分が憎らしくて仕方がない。そんな状態に突き落とした映画の名は、『顔を捨てた男』(公開中)。

原題は『A Different Man』であり、個人的推しの映画会社A24が製作・配給を手掛けたことで早くから注目していたが、この邦題に安部公房の戯曲「棒になった男」や自身がアート作品になり売買される難民を描いた映画『皮膚を売った男』を想起し、「きっと挑戦的な映画に違いない」とますます楽しみになったことを覚えている。

本作のあらすじはこうだ。俳優を目指すエドワード(セバスチャン・スタン)は、顔に極端な変形を持つがために周りからの視線におびえ、劇作家志望の隣人イングリッド(レナーテ・レインスヴェ)に惹かれながらも気持ちを押し殺して生きていた。そんなある日、彼は外見を劇的に変える手術を受け、念願の新しい顔を手に入れる。企業の広告塔を任されるほどの整った顔立ちとなり、名前も過去も捨てて順風満帆な第二の人生を歩み始めたとき、かつての自分と似た風貌だが性格は真逆のポジティブな男オズワルド(アダム・ピアソン)と出会い、心をかき乱され――。

「自分と見た目はそっくりだが中身は違う別人に人生を乗っ取られそうになる」という設定自体は『複製された男』『嗤う分身』、或いは『ドラえもん』のエピソード「かげきりばさみ」等々、古今東西の様々な作品に見られるもの。『顔を捨てた男』も一見そのフォーマットに沿った寓話的な要素を持った不条理劇のように思えるが、それはほんの序幕に過ぎない。そこからのドライブ感が絶妙であり、驚異であり、脅威でもあった。

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先に述べたように僕はA24好きで、本国での情報解禁時に英語で書かれていた簡単なあらすじを粗く日本語訳してみたのだが――違和感を覚えた。「夢にまで見た外見を手に入れた男が、元に戻そうとする」と書かれていたのだ。なぜ?と思った。

例えば後遺症が酷い等のリスクや呪われた等のホラー的展開があるならまだわかるが、そういうことでもなさそうだ。金原ひとみが美容整形を題材にとった小説「デバッガー」や“若さ”を求める社会の犠牲者を描く『サブスタンス』のように強迫観念にかられるのだろうか――そんなことを考えながら本編を観て、冒頭に述べたような衝撃を受けた。

理想の《外見》を手に入れたエドワードは、理想の《内面》を持つオズワルドに嫉妬するのだ。この(恐らく、当事者にしかわからない)心の動きは僕の凝り固まった想像力では到底たどり着けないものであり、同時に何とも言えない後ろ暗い感覚に襲われた。

エドワードは手術を行うまで、自分の人生がなかなか理想通りにいかないのは「顔の病気のせい」だと考えていた。実際、俳優として求められる場所や演じられる役にも限りがあり(彼がどういう作品に起用されるかが非常にシニカルでゾッとした)、電車や街中で奇異の目で見られることも少なくない。そういった環境下で本音を押し込めるようになったため、顔の問題さえ解決すれば一発逆転できると思っており、実際にその通りになる。

しかし、内面の豊かさや才能、社交的な性格で人生を謳歌しているオズワルドと出会ったとき、同族嫌悪のような感情に襲われ、かつての自分にあった特権性を再認識し、羨ましさから暴走してしまう……。新たな顔で内面を磨こうとするのではなく、外見だけを「元に戻そう」とする狂気性と、エドワードがそうなった原因に僕たち外野が無関係ではないという罪の意識――。

しかも本作が特異なのは、オズワルドがエドワードの人生に介入したり乗っ取ろうとしていないところ。結果的にそれに近い状況にはなるのだが、オズワルド本人はそうしたつもりはなく、むしろ気遣いを見せる(そのことがさらにエドワードの神経を逆なでしてしまうのだが)。対立構造を作ってしまうのは、イングリッドが象徴する部外者のマジョリティなのだ。

『ワンダー 君は太陽』のように相互理解を温かく見つめるのではなく、違法薬物で顔面を崩し、同情を集めようとする“承認欲求おばけ”を描いた『シック・オブ・マイセルフ』からさらに踏み込み、マイノリティが望んでマジョリティ側となり、社会的な成功を掴んだのにそのことを“擬態”としか思えなくなって、元の姿に戻りたいと新たに願うこの物語は、切実ながら危うさに満ちていた(一例を挙げるなら、新たな顔を手に入れて別人となった彼は、周囲の“普通の人々”がいかに外見にとらわれているかを痛感する。美男子となったことで外見を褒められる機会が増え、どんどん心がざわついていくシーンが痛烈だ)。

ここでいう「危うさ」はマジョリティによる偏見とも言い換えられ、まだまだ世にある作品の多くには無自覚に含まれてしまっているものかと思うが、本作においては極めて意識的に作品に組み込まれており、だからこそマジョリティ側である自分の醜悪な痴態を突き付けられたようで戦慄させられる。それが冒頭に述べた「言葉にするのをためらわれる」感覚を引き起こしてしまうのだ。

この映画で起こることに対していち観客の自分が感じることに、ルッキズムの意識が全くないと言えるだろうか? 本作を観たいと思った主な理由はA24の新作映画であり、作品選びが卓越しているセバスチャン・スタン(『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』ほか)とレナーテ・レインスヴェ(『わたしは最悪。』『アンデッド 愛しき者の不在』)が出演しているからだが、この題材自体に野次馬的な興味を持っていなかったか? 

あのとき「理想の顔を手に入れたんなら万事OKでしょ」と思ってしまった僕は、 旧来の価値観で物事を捉えてしまっていたのではないか? 正直、ここにこうして書くこと自体もこわい。つくづく、とんでもない映画である。

『顔を捨てた男』
顔に極端な変形を持つ、俳優志望のエドワード(セバスチャン・スタン)。自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼は、ある日、外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、かつての自分の「顔」にそっくりな男オズワルドだった。その出会いによって、彼の運命は想像もつかない方向へと逆転していく—— 。
監督・脚本:アーロン・シンバーグ
出演:セバスチャン・スタン、レナーテ・レインスヴェ、アダム・ピアソン
全国公開中。ハピネットファントム・スタジオ配給。
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