偏愛映画館 VOL.74
『ルノワール』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

FURIOSA

これは映画に限らないが――物語の多くは“人間”を描くものだろう。『パディントン』『スチュアート・リトル』のように主人公がヒトでなくとも“人間性”という形で現れ出て、建物や自然を定点観測的に見つめ続ける映像にすら、まなざしという意味で人間が感じられる。逆にいうとAIにおいては現状その部分が(個人的には)感じられないため、「不気味の谷」となっているのだろうが、ここも時間の問題で崩壊してゆくのかもしれない。こうやって考えてみると、改めて我々は人間が大好きなのだなぁと感心するし、自分自身においても30年以上も映画が好きなのはそれだけ人間に興味があるのだろうとも思う。

とはいえ僕の場合は人見知りでもあり、人間自体はどうかわからないが他者は苦手だ(会社員のときに「人が無理」状態になり、でも映画は観たくて苦しんだ結果アニメ中心に観賞していた時期がある)。

映画というフィルターを通して観察するくらいが居心地がよく、他者の心に直接タッチして理解できたような瞬間になれると嬉しいものだ。と同時に、人間のわからなさを徹底して描いた作品も好きだ。僕自身が他者に感じる得体の知れなさをありのまま映し出してくれたような気がするから。

偏愛映画館でもご紹介した『PLAN 75』早川千絵監督の約3年ぶりの新作映画『ルノワール』はまさにそんな作品で、一見普通の/市井の人間の本質的な“こわさ”があっけらかんと画面の中に転がっていた。

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本作は、1980年代の日本を舞台に11歳の少女が死という事象と向き合う物語。主人公のフキ(鈴木 唯)は、闘病中の父(リリー・フランキー)がもう長くないことを何となく気づいている。避けようのない未来を前に母(石田ひかり)の態度も変化していき――。というのがざっくりしたあらすじなのだが、『ルノワール』はこの流れから予想される“感涙作”的構成に早々に決別する。

自分の周囲の世界の変化を体験したフキは、死に興味を持つのだ。本作は様々な国の子どもたちが泣いている姿を収めたビデオテープをぼんやりと観ているフキの後ろ姿から始まる。その後、彼女の葬式のシーンへと移り、泣きじゃくる参列者(特に同級生と思しき子どもたち)をどこか異物のように見つめ、フキの妄想だったことが明かされる。彼女は学校の作文で「みなしごになりたい」という不謹慎な発表をしたのだ。

この立ち上がりに僕は「こんな人間の描き方があったか!」と衝撃を受けてしまった。と同時に、まるで寓話的に感じなかった。それどころか子どもの心理をなんと解像度高く映し出すのだろうと感銘を受けたのだ。そうか、フキにとって“死”はトレンドなのか、そりゃあそうだよなと。

自分には4歳の娘と1歳の息子がいるのだが、特に1歳の息子に対して“こわさ”を感じることがしばしばある。力加減がわからない中でおもちゃを乱暴に扱ってしまい、こちらが𠮟ると彼は時として笑うのだ。これは子どもの成長過程においてよくあることで一種の通過儀礼的なものだが、ひょっとしたら自分の行為に対して父親が反応するのが面白いのかもしれないし、別に楽しくて笑っているのではないのかもしれない。

「暴力」や「破壊」といった忌むべきものをまだ判断できず、単に興味を抱いているのかもしれない。ただこちらとしては、知識や経験として「大丈夫」とわかっていても言い知れぬ不安に襲われてしまう。自分の子どもであっても圧倒的に他者で、理解できない瞬間があること。そして人間は“こわい”ものであること――。そうした僕個人が日々体感しているリアルが、『ルノワール』の中には恐ろしいほどに違和感なく映し出されていた。

しかもこの映画、フキだけでなく登場人物すべての善性とほの暗い部分を等価に見せてしまう。自身が生み出したキャラクターに対する愛がないとか容赦ないとかいう次元ではなく、そこに作り手本位な「好かれよう」とする意志が存在しない。人を人としてただ見つめ続ける達観した姿勢――早川監督の作家としての凄さを目の当たりにした。

加えて、1980年代という設定が何とも効いている。僕はこの時代にまだ生まれていないのだが、おおらかさと危うさが日常レベルに同居していて恐怖した。一言でいうと、子どもたちが守られていないのだ。いまのようにネットを介したデジタルなコミュニケーションがないぶん、全てが生身にぶつかってくる。

無防備なまま、大人たちと対面する残酷さが様々なシーンで綴られていていたたまれなくなり、しかもそれが創作や虚構なんかではないことも肌で理解していて――。早川監督に話を伺ったときに、出会い系の走りとも言われる「伝言ダイヤル」を登場させるためにこの舞台設定になったと教えていただいたのだが、年齢を問わずに自身の生の「声」を使って個人情報を不特定多数に晒してしまえる危険性とセーフティネットのなさに頭を抱え、いつの時代も変わらない“つながりたい”欲望に寒気がしてしまった。

早川監督は当時を「バブルの好景気で経済が右肩上がりになり、皆が未来に希望を持っていた。閉塞感のある現代とは真逆」と評していたが、だからこそ無邪気さと無防備さ――陰影のコントラストが痛烈に今の僕たちの目や心に飛び込んでくる。

本作は明確なコンセプトや起承転結を決めず、早川監督の心象風景や記憶が形を成した断片的なシーンを書き連ねていく形で作られていったのだという。

だからこそというべきか、先に述べた冒頭のシークエンス然り、どの瞬間もざらついていて濃く、一つひとつが強烈に記憶に残る(観賞者同士でひりついたシーンを語り合いたいくらいだ)。それぞれのシーンやエピソードの温度は極めて低く冷静なのだが、意図的に感情を排している(物語を扇情的なものにしないよう、劇伴はフキの主観シーンだけに留めたそうだ)のにそれがかえって恐ろしく、「これが人間だ」と安心もしてしまった。

わかりやすく“くらう”映画ではなく、観る者の感度によって受け取り方の深度が変わる作品でもあろうが――少なくとも僕は、この映画を思い出すときに震えが生じてしまう。

『ルノワール』
日本がバブル経済絶頂期にあった、1980年代後半のある夏。11歳のフキは、両親と3人で郊外に暮らしている。豊かな感受性を持つ彼女は、得意の想像力を膨らませながら自由きままに夏休みを過ごしていたが、闘病中の父と仕事に追われる母の間にはいつしか大きな溝が生まれ、フキの日常も揺らいでいく。大人の複雑で刺激的な世界を垣間見る、フキのひと夏の物語。
監督・脚本:早川千絵
出演:鈴木唯、石田ひかり、リリー・フランキー、中島歩、河合優実、坂東龍汰
全国公開中。ハピネットファントム・スタジオ配給。
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