偏愛映画館 VOL.57
『時々、私は考える』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

FURIOSA

「日本は洋画の劇場公開が遅い」とよく言われる。その理由の一つは日本特有の映画マーケットで、アニメを中心とする国産の作品が強いがためにスクリーンが空かず、超大作であっても時期をずらすものや、費用対効果の側面から買い付け金額が落ちるのを待つ――といったものなど複数のパターンが挙げられる。ただ一方で、日本ほど多様な国・地域の作品を劇場で観られる国は稀だという。もちろん地域による格差はあるため都内在住の自分が恵まれているとは思いつつ、「この作品劇場配給してくれるんだありがとう!」と思うことのほうが僕は多い(これだけコンテンツがあふれる状況になり、タイムラグはそこまで気にならず「その間に他の作品を消化しておきます」とマインドが変わったこともあるかもしれない)。

May December, Natalie Portman as Elizabeth Berry. Cr. François Duhamel / Courtesy of Netflix

今回紹介する『時々、私は考える』もそんな気持ちにかられた1本で、本国の予告編を観て「これは俺が好き系なにおいがするぞ」と思いつつも「日本公開するのかな……」と懸念も抱いていた。主演・プロデュースは『スター・ウォーズ』シリーズのデイジー・リドリーとビッグネームだが、内容が実に繊細でささやかな(それでいて切実な)ものだったからだ。舞台はアメリカの閑散とした港町。人付き合いが苦手で自宅と職場の往復で日々を過ごすフラン(デイジー・リドリー)は、時々ファンタジックなシチュエーションで「自分が死ぬ」妄想をしている。そんななか、新たな同僚ロバート(デイヴ・メルヘジ)との交流がきっかけでフランに少しずつ変化が訪れ……。

May December, L to R: Julianne Moore as Gracie Atherton-Yoo with Charles Melton as Joe. Cr. Courtesy of Netflix

このあらすじから察せられる通り、特段大きな事件は起こらない。わかりやすくドラマティックで強く心を動かされるエモーショナルな展開があるかといえば、そうでもない。ただ、僕はこの映画をとても観たかった。自分がこの世界を生きていくうえで必要な「酸素」や「水」のように思えたからだ。半ば生命維持活動の一環のような心持ちで作品を入れる――「面白そう」とか「感動できそう」とは少し異なる感覚であり、そう感じた理由は直感としか言えないのだが、自分の心身を形作る成分と極めて近いもので出来ている作品であろう、という確信めいた予感があった。どうしようもないくらい自分がすり減って、映画が必要な夜というのが(少なくとも僕には)ある。そんなときに「これがある」と思える常備薬的な作品をいつも探していて、そのセンサーに『時々、私は考える』が引っかかったのだ。

May December, Natalie Portman as Elizabeth Berry. Cr. Courtesy of Netflix

そして――その勘は見事に当たった。先ほど「酸素」や「水」と書いたが、本作を観ているときの感覚はまさに自分に最適化された空気や水に浸されているようなもので、ひんやりして、寂しくて、どこまでも心地よかった。そういった作品に出合えたときは「目」や「耳」や「心」だけでなく、身体全体で作品を感じられる。「没入」は作品の中に自分が入り込むような感覚だが、作品が自分の日常にまでやってきてくれるような……大仰な言い方をすれば「救済」の時間だった。

ここまで個人的な感覚の話に終始してしまい恐縮だが――『時々、私は考える』は先に紹介したあらすじが全てであり、そこに付随する主人公フランの生活と心、それらとリンクする映像全体のトーンや構図等々にハマれるかどうかが、生命線のような気もする。「彼女がなぜ孤独なのか」といった説明があるわけではなく、孤独だから孤独なのだ、という形で進んでいくこと。それは時々どうしようもなく独りを感じる(かといって自分から人々に混ざりに行くことが苦手な)僕にとって自分自身を肯定されたような気持ちになるが、全く別の属性の方からすれば「???」となるかもしれない。そうした意味では、この世界にいるたった一人に寄り添おうとするタイプの映画なのだ。そして自分は、その対象だった――ということなのだろう。

May December, L to R: Natalie Portman as Elizabeth Berry, & Charles Melton as Joe Yoo. Cr. Courtesy of Netflix

デイジー・リドリーの演技や、新鋭レイチェル・ランバート監督の作家性等々、見どころを挙げていくことはもちろん可能なのだが、「そういうことではない」と言いたくなる自分もいる。それら一つひとつの感性が際立たないほどに見事に手をつなぎ、どこまでも澄んだ寂しさ一色に染め上げること。いわば本作に携わった面々のチームワークに惹かれたのだから。この純度を言葉で壊したくない――そう感じてしまった。もしこの文章で本作に興味を抱いてくれる方がいらっしゃるとしたら、矛盾しているのだが……良ければご自身を覆う言葉の服を一度脱いで、ただふらりと浸かってみてほしい。

時々、私は考える
人付き合いが苦手で不器用なフランは、会社と自宅を往復するだけの静かで平凡な日々を送っている。友達も恋人もおらず、唯一の楽しみといえば空想にふけること。それもちょっと変わった幻想的な“死”の空想。そんな彼女の生活は、フレンドリーな新しい同僚ロバートとのささやかな交流をきっかけに、ゆっくりときらめき始める。順調にデートを重ねる二人だが、フランの心の足かせは外れないままで――。

監督:レイチェル・ランバート
出演: デイヴ・メルヘジ、パーヴェシュ・チーナ、マルシア・デボニス
配給:楽舎
東京の「新宿シネマカリテ」ほかにて全国順次公開中。
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