偏愛映画館 VOL.51
『システム・クラッシャー』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

Cillian Murphy is J. Robert Oppenheimer in OPPENHEIMER, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

不思議なもので、“快”よりも“不快”が強い作品であってもクオリティが図抜けていれば人に勧めたくなってしまうものだ。小説でいえば“イヤミス”などはまさにそうだし、YouTubeの映画紹介チャンネルなどはサムネイルに「鬱展開」「二度と観たくない」といったような敢えてネガティブなワードを並べて“釣る”ものも多い。それが上品/下品、好き/嫌いは置いておいて、不快だから観ないということにはならないから面白い。

ただ、今回紹介する映画は「不快」の中でも立ち位置がやや特殊だ。たとえば「汚い」等の不快ではなく、自分の倫理観や道徳心と照らし合わせてそう感じる方に近いのだが、「不快」と言い切ることにもためらいを覚えてしまう。画面の中で繰り広げられていることに対して不快だと思っても、なぜそうなったのかまで考えると暗澹たる気持ちになる――。感情がズタズタになるのに映画としての質は圧倒的で、愛しているとは言いたくないのに頭から離れなくなる一本。児童養護施設をたらい回しにされる9歳の少女を描いた『システム・クラッシャー』(公開中)だ。

Cillian Murphy is J. Robert Oppenheimer in OPPENHEIMER, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

過去に受けた虐待のトラウマから、怒りが抑えられずに周囲に攻撃的になってしまったベニー(ヘレナ・ツェンゲル)。被害者であるはずの彼女は、他の子どもたちにとっては加害者になってしまい、施設の秩序と他の子の安全を守るために拒否されてしまう。かといって天涯孤独というわけではなく、支援者もいる。ただ、彼女の傷を癒すことは誰にもできない。強いて言うなら彼女が盲目的に愛している母親なのだが、母は母で下の子たちを育て上げるので精いっぱい。弟や妹のことを考えるならベニーと一緒に暮らさせるわけにはいかず、責任を放棄する形で施設に預けてしまう。悪いのは誰か?といえばそもそもベニーを虐待した人物なのだが、本作では過去にさかのぼることはなく、ただただ現在の「壊されてしまった人物が周囲を壊していく」やりきれない現実を見つめていく。

L to R: Cillian Murphy is J. Robert Oppenheimer, Olli Haaskivi is Edward Condon, Matt Damon is Leslie Groves, and Dane Dehaan is Kenneth Nichols in OPPENHEIMER, written, produced, and directed by Christopher Nolan.
L to R: Cillian Murphy is J. Robert Oppenheimer, Olli Haaskivi is Edward Condon, Matt Damon is Leslie Groves, and Dane Dehaan is Kenneth Nichols in OPPENHEIMER, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

僕自身、2児の父としてベニーをそんな目に遭わせた人物を許せないし、ベニーの母に対してもやりようはあるはずだ、と思ってしまい、観ている間はずっと憤っていた。つまり創作の中のキャラクターではなく、現実に生きている他者として捉えてしまったのだが(それは裏返せば、本作の人物描写が突出しているという証拠でもある)、「じゃあ自分はベニーに手を差し伸べられるのか?」と考えたときに、情けないことに目をそらしてしまう己を発見した。僕にも守るべき家族がおり、危険にさらすわけにはいかないからだ。劇中には、ベニーを更生させようとする非暴力トレーナーのミヒャ(アルブレヒト・シュッフ)が登場するが、彼は「自分のできることには限界がある」と痛感し、心を開いて縋り付いてくるベニーよりも自分の家族を優先する。それはごくごく自然な“選択”だが、ベニーからしたらどうか。「助けてくれるんじゃなかったの!? 私のことを見捨てるんだ」とまた傷ついてしまい、暴力性に拍車がかかっていく。当初の目的からすると前進どころか後退なのだ。そのさまを見ながら、「自分に憤る資格があるのか⁉ ミヒャと同じ立場に置かれたら、僕も同じ顛末になるに違いないのに」と絶望したあの心持ちから、僕は未だ立ち直れていない。ベニーがミヒャの子どもに近づくシーンがあるのだが、自分が親になったからこそというのもあるだろうが――あそこまで映画観賞中に胃がキリキリして心臓が早鐘のように鳴った状態は、自分の映画人生でほぼ経験がない。

Robert Downey Jr is Lewis Strauss in OPPENHEIMER, written, produced, and directed by Christopher Nolan.

公式サイトによると、「システム・クラッシャー」とは、あまりに乱暴で行く先々で問題を起こし、施設を転々とする制御不能で攻撃的な子供のことを指す言葉だという。ただ個人的には、もう少し根深い意味が込められているように感じる。システム=調和や秩序を乱し、破壊=クラッシュする存在であり、システムの脆弱性や限界を暴くバグでもある。そして、このシステムは施設だけでなく各々の家族にも当てはまる。ベニーの母も、ミヒャも自分たちの現行のシステムを守るためにベニーを受け入れられない。彼女はどこにいてもシステムをクラッシュする存在になってしまい、もう元には戻れないのかもしれない。それはあまりにも悲劇だが、じゃあどうすればいいのか?は答えられない……。なんと残酷な映画だろうか。

社会に横たわる問題を描いた優れた映画を観て「自分には何ができるだろうか?」と考えることはよくあるし、そうした積み重ねが他者への理解や共助を促進し、社会がもう少し良くなる一助にもなっていく豊かな行為だとは信じている。ただ『システム・クラッシャー』を観た後は、「何かできる」と思うこと自体が安全圏からの幻想なのではないかと感じてしまった。きっとこの先も、自分の心の中に生乾きのまま横たわり続けることだろう。

『システム・クラッシャー』

9歳の少女、ベニーは幼少期に父親から受けた暴力的なトラウマを受けて、手のつけられないような暴れん坊になる。里親やグループホーム、特別支援学校とどこに行っても追い出されてしまう。母親の元に帰りたいと願うベニーに、非暴力トレーナーのミヒャは、3週間の隔離療法を提案し……。第96回ベルリン国際映画祭銀熊賞、モルゲンポスト紙審査員賞の2冠を受賞。

​​監督・脚本:ノラ・フィングシャイト 撮影:ユヌス・ロイ・イメール 音楽:ジョン・ギュルトラー

出演:ヘレナ・ツェンゲル、アルブレヒト・シュッフ、リザ・ハーグマイスター、ガブリエラ=マリア・シュマイデ

東京・渋谷の「シアター・イメージフォーラム」ほかにて全国順次公開中。

WEB:https://crasher.crepuscule-films.com/

© 2019 kineo Filmproduktion Peter Hartwig, Weydemann Bros. GmbH, Oma Inge Film UG (haftungsbeschränkt), ZDF

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