劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
映画ライフを登山に例えるなら、その道中で運命的にハーケン(金属製のくさび)のように欠かせない作品と出合い、人生の岩壁に打ち込んで登っていくものだろう。そしてまた次、次と――。「この作品で自分はできている」と思えるような、命を預けられる映画たち。僕の中でその1本といえるのが『スリー・ビルボード』だ。
2018年に日本公開された本作、恐らく試写で観たのは前年末だったろうか。愛娘を殺した犯人が捕まらないことへの抗議文を道路脇の看板に掲げた母親の物語は「赦さなくてもいいし、赦してもいい。復讐するかどうかもその場で決めればいい」というメッセージで僕の凝り固まった常識を破壊した。とはいえ言葉では説明できない魅力に取り憑かれ、公開後には劇場へも足を運び、いまだに「あの作品と同等かそれ以上の映画に何本遭えるだろうか」と次のハーケンを探している。
あれから5年。多くのことが変わったがその想いは変わらず――僕はまた1本の映画と出合った。『スリー・ビルボード』を生み出した劇作家・映画監督のマーティン・マクドナーによる新作『イニシェリン島の精霊』だ。この期間、日常の隙間に「マクドナー監督は次にどんな物語を作るのだろう」と夢想していたのだが……そんなある種のファン心理を持ってしまっても「マジ!?」とプチパニックに陥るような衝撃作(いや本当に試写会場で慌ててしまったほど。マジで)。今回はこの奇異なる映画について、語っていきたい。
『イニシェリン島の精霊』は、構造自体はいたってシンプルだ。舞台は1923年・アイルランドの孤島。本土は内戦の危機に瀕しているが、島民はこれまでと変わらない日々を過ごしていた。パードリック(コリン・ファレル)もルーティンで生きているような男だったが、親友コルム(ブレンダン・グリーソン)に突然絶縁宣言をされたことで、日常が一変する。つまり本作は「親友に絶交された」ただそれだけのお話なのだ。
このあらすじを聞いた時点で、僕は「やられた……」と感じてしまった。個人的に憧れる書き手は、いかに上手く日常を非日常化させるか、その手練れたち。本作はまさにそうで、「ある日突然親友に絶交された」→「その理由を教えてくれないどころかブチギレて行動がエスカレート」→「関係がどんどん悪化」というありそうなところから始めて、ありえない/見たことない場所にまで連れていく。そして当然ながら「それだけ」では終わらない多重構造にもなっていて、物語を把握するどころか逆に吞み込まれるような感覚に陥る。常人には計り知れない“何か”と接してしまったような……この怖さを言い表す言葉を、まだ僕は持っていない。それもあって「マジ!?」状態になり、わかりきれない現実に打ちのめされてしまった次第だ。
復縁したい/理由を知りたいと思うパードリックの気持ちは、非常に納得できるものだ。一応コルムから「自分の人生がこれでいいのかと思った」的な説明は受けるのだが、俗にいう「中年の危機」だとしても、到底納得できるものではない。それなのにコルムは「これ以上しつこいと俺は指を切り落とすぞ」と脅してくるのだ。明らかに常軌を逸している、なのに理由がわからない。昨日まで親友だと思っていたのに……。よくある「決して言えない切ない秘密があった」系の映画なら感動の方向に持っていけるが、本作はどこまでも壊れていくコルムを呆然と見つめるパードリックが、ある事件を境に彼以上の修羅に堕ちていく展開を見せる。歯止めが効かなくなった男たちの衝突は、観客を置き去りにして加熱し……。
正直、観ている間ずっと「なんで!?」という感情が消えない映画ではある。それは、作品の出来についての話ではない。ただただ「他人が何を考えているかわからない」という残酷な真実をひたすら突きつけられるからだ。そして、ふっと思い至る。「この構造は……」と。劇中、本土で上がる内戦の炎を見てパードリックはつぶやく。「勝手にやってろ」と。まさに「対岸の火事」状態だが、この構造がそのままパードリックVSコルムを観ている我々に重なってくる。パードリックは、海の向こうの彼らがなぜ争うのかわからない。そして我々は、画面の向こうの彼らがなぜ争うのかわからない。しかし争いは終わらず、むしろ苛烈化していく。
そしてさらに、現実問題として我々自身がいまこの感覚を日常的に味わってしまっているのではないか。戦争や政治的牽制に挑発……すべて海の向こうで起こっている出来事であるものの、それは波及して我々の生活につながっている。にもかかわらず(個人に依るとはいえ)どこか“遠さ”を感じてしまっている人もいるはずだ。結局、己が身に火の粉が降りかかるまで、リアルな痛みとして感じられないものなのだろう。
本作は、いわば三重構造で我々自身の日常とオーバーラップし、他者を理解する限界や無意識的に出来上がってしまった自分本位な心を見せつけてくる。となると、パードリックもコルムも、得体の知れない存在ではなく我々自身とどこか接続しており、彼らと同じヤバさが私たちの中に眠っているのではないか?
しかも、「ちょうど100年前の人々も変わらず愚かだ」という“気づき”や「犬やロバのように言語を介さない相手となら友好的でいられる」という描写が、さらに絶望感を煽ってくる。「変わりたい」と願い行動を起こしたコルムと彼に引きずられて「変わってしまった」パードリックが、図らずも人間が持つ醜悪な「変わらなさ」を露呈してしまうという痛烈な展開……。かつて僕にハーケンになる作品を与えてくれた作り手は、個人で扱いきれないほど凶暴な新作を生んでしまった。
面白いという言葉がかすむほど、ヤバさがぎらつく『イニシェリン島の精霊』。
5年間、自分なりに研鑽を積んできたつもりだったが完敗である。あぁ悔しい。
『イニシェリン島の精霊』
本土が内戦に揺れる1923年のイニシェリン島。この平和な小さい島で、気のいい男パードリックは友人コルムに突然絶縁を告げられる。動揺を隠せないパードリックだが、理由はわからない。美しい海と空に囲まれた穏やかなこの島に、死を知らせると言い伝えられる“精霊”が降り立つ。その先には誰もが想像しえなかった衝撃的な結末が待っていた…。第80回ゴールデングローブ賞で作品賞、主演男優賞(ともにミュージカル/コメディ部門)、脚本賞の最多3部門で受賞。また、2023年1月24日(現地時間)に発表された第95回米国アカデミー賞では、作品賞や監督賞など主要8部門・9ノミネートされている。
マーティン・マクドナー監督・脚本、コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドンほか出演。
2023年1月27日(金)より、東京・日比谷の「TOHOシネマズ シャンテ」ほかにて全国公開予定。ウォルト・ディズニー・ジャパン配給。
WEB : https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin
(c)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『装苑』2023年3月号には、『イニシェリン島の精霊』の衣装をニットを中心に読み解く記事を掲載!こちらも要チェック↓
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