劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
毎日、ずっと不安だ。確かに、政治に経済に時代の空気的にもいまの日本に住んでいると不安を感じないほうが難しいし、一概に世代で括るのも危険だが――高齢化(総人口における高齢者や予備軍の増加)に伴う弊害は毎日のように感じる。スクラップアンドビルドがもう避けられないとも思う。しかしそれとはちょっと違う、この私的で恒常的な不安は何だろう?
ガラパゴス日本の問題点は、経済系のドキュメンタリーを観ることでより認識できた気がする。 仕事のなかで同世代のクリエイターとは危機感を共有できている。この絶望の中でどうイノベーションを起こすか?と逆境に立ち向かうマインドも育ってきた。有難いことに、今年の後半まで仕事も入っている。だが、自分の中のぼんやりした不安は消えない。よくわからない「俺はもうダメだ」が常にあり、錘のように心を底へと引きずり込もうとする。これは性質か、それとも病なのか……? その思索は未だに続いているのだが、この映画が一つの支えになってくれそうな気がしている。アリ・アスター監督の『ボーはおそれている』(2024年2月16日公開)だ。
本作は、極度の不安症を抱える中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)が主人公の物語。怪死した母の葬儀に向かおうとするのだが、道中でとんでもない事件が立て続き……。約3時間にわたって、一言では形容できないような時にワンダー、時にグロテスク、ホラーと不条理コメディがドロドロに溶けあったような世界が展開する。実写・絵本的なアニメーション・舞台風の演出等々、ビジュアルも多様でクリエイティブの塊のような作品だ。感覚的に楽しむのもよし、小説を読むように文学的に楽しむのもよし、「この作品/監督の影響を受けているな」なんて玄人はだしの見方もできる。
自分はどちらかというと感覚&クリエイターの後輩的な気持ちで本作に相対したのだが、トリエンナーレ等のアートフェスを回っているような「次はどんなヤバいのが見られるんだろう」というワクワクと同時に、冒頭に述べた「不安」に対して「こういうことなのかもしれない」と自分の中の“それ”と作品(を作った人々)がリンクするような状態になった。
『ボーはおそれている』は、主人公視点の作品だ。冒頭、ボーが母親の産道から出てきて最初に目にする光景が主観映像的に描かれ、「これは彼に見えている世界ですよ」と観客を導いていく。その後、成長した彼が部屋で過ごすシーンもパースが異常にかけられているし(世界に対して己の小ささが強調されているよう)、家の外には犯罪者がうろうろしていていつ危害を加えられるかわからない。妄想と現実がごっちゃになっている――というか、妄想が現実を狂気的にしている感じなのだが、観ているうちに「これこそが彼の現実なのでは?」と気づかされた。
つまり、ボーにとっては世界がこう見えていて、本気で不安だし強迫観念が消えることはないし、生きるのがしんどくて仕方がないということ。ただそれを他者に伝えると(映画というビジュアルメディアだからそれがダイレクトに出来る)、引かれたり笑われたりしてしまう。もちろん「わかる!」という人もいるだろうが、リトマス試験紙のように反応はどちらかに分かれてしまう。 ちょっとメタ的な見方になってしまうが、この映画自体がボーのような人物にとって、同じ痛みを持つ同志を見つけるものであり、そうではない他者との断絶を強めるものでもあるように感じた。そしてそれは、本作を「自分史上最もパーソナルな作品」と語るアリ・アスター監督自身にオーバーラップする。アリ監督が恒常的に抱える“不安”を映画という形で観客にシェアしたもの、という認識だ。
アリ監督に前作『ミッドサマー』でインタビューした際、「ものを作っていないと不安になる」と話していたことが印象に残っているが、作っていてもいなくてもずっと不安なのだろう、と本作を観賞して感じ、そしてそれは規模感こそ違えど、自分も同じだ――と気づいてしまった。確かに本作はぶっ飛んでいる。度肝を抜かれる瞬間も笑ってしまうシーンもあったし、他人事として気の毒に感じる場面も多かった。訳が分からない瞬間にもいくつも出会った。ただその中で、他人事のように思えない部分も発見した。それで心が軽くなった――というと少し違うのだが、自分の異常性を正常のこととして肯定できたような「独りではないのかもしれない」と思えたことは事実だ。自分に見えている世界のことは、他者からのフィルターを通したりしない限りは客観視できず、なかなか自認できないもの。そういった意味で、『ボーはおそれている』を観られたことは、自分にとって大きな出来事だった。
きっと、この「偏愛映画館」を読んで下さっている方にはものづくりの周縁で生きている方も多くいるのではないかと思う。僕たちが行なっているのは、心を使う仕事だ。しかも厄介なことに「ここから先は心は使わない」と上手に切り替えられない。だから仕事といっても、オンオフがないという点で、その実態は生きることそのものに近い。ボーのように、風呂に入っている間も夢の中でも、ものづくり(とそれに付随する精神の圧迫)=仕事は止められない。土台からしてメリハリを付けて健康でいることが難しい以上、意識的にメンタルケアを行わないと長く続けていくことは難しい。きっとこの先も不安が消えないのだから――と、自分自身もその方法論を見つけようと格闘している真っ最中だ。
先ほど「リトマス試験紙」と述べたが、ボーの世界を異質なものとして見つめたとして、それもよいことだと思う。だってこう生きるしかなかったというのは、やっぱりしんどいもの!(と同時に、こうした私的な観賞記を許して下さる装苑さんに心から感謝している)
自分の生き方は、どこなのか――。現在地や将来像を探るための機会にもなりそうな『ボーはおそれている』。お時間とお財布と心が許せば、トライしてみてほしい。本作を観て何も感じない/影響を受けないということは、ないはずだから。
『ボーはおそれている』
主人公・ボー (ホアキン・フェニックス)は、いつも不安に怯えている。近所の不良の振る舞いや、うがい薬をちょっと飲んでしまったことなど、些細なことにビクビクし、悪夢のような日々を過ごしている。ある日「いつ帰って来れるの?」と、さっきまで電話をしていたはずの母が怪死していると連絡を受ける。ボーが母の元へ駆けつけようとアパートを飛び出すと、世界は激変していた……。現実なのか?夢なのか?分からなくなってしまった世界で実家にたどり着くことができないボー。地図に載っていない道を旅しながら、ボーは生まれてから今までの人生が、転覆してしまうような体験をする。これは運命なのか、それとも?『へレディタリー/継承』『ミッドサマー』のアリ・アスターが、『ジョーカー』『カモン カモン』のホアキン・フェニックスを主演に迎えた最新作。
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ネイサン・レイン、エイミー・ライアン、パーカー・ポージー、パティ・ルポーン
2024年2月16日(金)より全国公開。ハピネットファントム・スタジオ配給。
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