偏愛映画館 VOL.22
『対峙』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

Colin Farrell and Brendan Gleeson in the film THE BANSHEES OF INISHERIN. Photo Courtesy of Searchlight Pictures. © 2022 20th Century Studios All Rights Reserved.

 本連載でも度々触れているように、僕は人が苦手だ。幼少期からよく知らない他者と接することが怖くて「一人でレジに行けない」悩みがあり、大学進学に伴い上京してアルバイトをする際には「人と関わりたくない」という理由で清掃業を選んだ。社会人になってからは電話番が嫌で仕方がなかった。いまでこそ「人と話す」機会が増えたが、慣れただけで得意ではない。飲み会の帰りには「自分はつまらない奴だな」と基本的に落ち込むし、人と接する仕事が増えると時折ものすごく消耗して寝込んでしまう。

 他者が怖い。交流の中で喜怒哀楽が発生したり期待して裏切られて……みたいな事態が発生するのが恐ろしい。SNSがここまで発達したいまや「自分が他者にどう思われているのか」はその気になればすぐ調べられるのだろうが、怖さが勝ってしまい一切見ていない。そうした自分だから、単独行動が多いこの仕事は体力的にはきついものの精神的には大いに楽で「性に合っている」と感じる。結婚して子どもが生まれてもこの性格は変わらないどころか、ますます内に籠るようになった気配すらある。

 ただ、だからこそなのか――画面やページ越しに人をみるのは好きだ。映画に小説、漫画等々、描かれる人間(ないし感情を持った存在)の心の機微をインプットして“他者”に思いを馳せる――。相互のコミュニケーションを極力絶ちたい自分において、こちらが一方的に見つめる関係性はとても心地よい。

 とどのつまり、自分は人が嫌いではないのだ。興味はとてもある。できれば仲良くしたい。理解できたら最高だ。ただ、その道程で自分の心が疲弊したり傷ついたりしてしまう怯えも捨て去れない。ではどうしたらいいのか。映画・小説・漫画等々の物語を描く文化芸術には、色々な人物が登場する。僕が生きている世界や時代、日常では会えないような人も多い。要は、人間の宝庫だ。そして観賞者/読者は、物語を通して彼らを理解――とまではいかなくても知ることはできる。そうして自分の中で「人間」に対するストックが増えていき、現実で他者と接する際に「こういう人、読んだな/こういう状況、観たな」と対応策を練られる。どうやったって人と関わらずに生きていくことはできない以上、物語を“杖”としてどうにかこうにか人生を歩いている。

DAY_23_MEN_076.NEF

 そんな自分が『対峙』(公開中)という作品に興味を抱いたのはある種、自然な流れだったのかもしれない。

 例によって夜な夜な海外の新作映画の予告編を漁っていたときに、『MASS』という映画に惹かれた。2組の男女がテーブルを囲み話すだけのルックなのだが、画面には異質なまでの緊張感が漂っている。これはどういうことだろう?と調べてみると、相対しているのは銃乱射事件の被害者両親と加害者両親であることがわかった。ひりつくような雰囲気の理由に合点がいき、「打ちのめされるかもしれないが観てみたい」と思った。後からその作品が『対峙』という邦題で日本公開されることになり、観賞し……最終的に胸に湧き起こったこの感情は何だろう?

DAY_36_MEN_024.NEF

 そもそも僕がこの作品を観たいと感じた大きな理由は「なぜ?」にある。加害者と被害者の両親が、なぜ“対話”をする必要があるのだろうか。そもそも会いたくないのではないか。会ったとしたらどうしたって被害者側は加害者側を責め立てるだろうし、今回の場合は本人ではなく両親だし、どこまでもつらいだけではないのか……。この会が実施されるに至る理由を知りたいと思った。僕自身が人と直接向き合うのが苦手だからこそ、あの4人が直接対峙すると決めた心持ちを教えてほしかった。そして、このような状況に置かれたとき、人はどんな顔をするのかも観てみたかった。不謹慎かもしれないが、より深く「人間」というものを理解できる材料になるような気がしたのだ。

 そして――この作品を観賞し、僕は人間というものがますますわからなくなった。しかしその“わからなさ”は、絶望とは真逆の輝きに満ちたもの、「容易に推し量れるものではない」という畏怖に似た感覚だ。人間の心情はこちらの想定を軽く飛び越えて、びっくりするような場所にポンと腰を落ち着けたりする。ここまで壮絶な経験をした人々であっても……。平静、混沌、憎悪に赦し。極限の感情が入り乱れるさまを目撃し、人間のわからなさ=深みを体感してしまった。

 なお、その詳細を記す前に――。今回の作品においては監督や俳優陣、或いは制作秘話には敢えて触れないでおこうと思う。予備知識なく観る方が、ダイレクトに響く気がするからだ。というのも本作、「劇映画である」という事実を忘れてしまうほどに真に迫っており、作り自体もドラマ的盛り上がりは用意されているものの、劇的な誘導をなるたけ抑えたものになっている。「ドキュメンタリーかと思った」という感想が出ても不思議ではないため、この4人が役者であることを意識させるような情報はかえってノイズであろう。

 ということで、ここからは僕が「観たもの・感じたこと」を少しだけ開示したい。『対峙』は、ある種のリアルタイム進行物語だ。あるレンタルスペースに集まった、銃乱射事件の被害者両親と加害者両親。物語はそれぞれが施設にやってくるところから会談の模様、終了後に施設を後にするまでを映し出していく。描かれているのは基本的に現在のみ。回想やイメージ映像はほぼなく、まさに「いま・ここ」の出来事だけで構成されている。

Colin Farrell in the film THE BANSHEES OF INISHERIN. Photo Courtesy of Searchlight Pictures. © 2022 20th Century Studios All Rights Reserved.

 そのため、我々観客は冒頭から非常に緊張した状態で2組の夫婦を「迎える」ことになる。本来、鉢合わせてはいけない両者が対峙するとき、どのような表情を見せてどう接するのか……。張り詰めた空気になることが想像できる。だが、予想に反してファーストコンタクトは穏やかなものに。どうも4人の会話を聞いていると、対面してがっつり話すことは初めてであるものの、互いに面識はありこれまでに何度か言葉を交わしていたことがわかる。もちろんだからといって仲良くすることはできないだろうが、今回の会合が唐突なものではなく、長い時間をかけて到達したカリキュラムの集大成であることが見えてくるのだ。その時点で、僕は「なるほど」とすんなり納得していた。

 ただ、「4人がこのようにして会う理由」が何となく見えてきても、心は別だ。各々は持参した花をどこに置こうとか、水や軽食、ティッシュはどういうものがあるのかとかを確認し合うのだが、どうにもぎこちない。この空気感、覚えがある。心を許していない者同士が、表面上は平静を保つために交わすうわべの会話だ――。なんともいたたまれない雰囲気のまま、4人の対話は幕を開ける。

 そうして、いくつかの話題が通り過ぎていくのだが……。4人がその一つひとつに真摯に向き合っているのは伝わってくるも、同時に風船がパンパンに膨れ上がっている様子を眺めているような緊迫感がどんどん強くなってくる。それぞれが感情を押し殺し、本題に急いで飛び込まないように神経を尖らせているのが伝わってくるからだ。なぜそんなことがわかるのか。我々自身もきっと、心のどこかで「被害者両親が加害者両親を糾弾する」瞬間を待ち受けているから。そして、その暗なる欲望が成就したとき、4人のギリギリ保っていた均衡が決壊する――。

…なんだろうか。わかっていた展開ではあれど、そのシーンに到達した際の4人の表情が忘れられない。これはもう実際に観ていただくしかないのだが、とにかく凄まじいの一言なのだ。観ているだけでその痛みに涙が引きずり出されてしまうような……。つらくて苦しいのに、目を離すことができない。これは演技であり、各々の表現力を称える「圧倒」という言葉がふさわしいのだろうが、観ている最中はフィクションと思えぬほど入り込んでいるため、各々の痛みに「共鳴」してしまうという感覚だ。僕個人のイメージで語るなら、目の前の人間がペンキをぶちまけ、自分もその人と同じ色に一瞬で染まってしまう光景。きちんと意志を持って立っていないと、強烈なにおいと激変した視界になぎ倒されてしまう。それだけの“何か”を、僕は目撃してしまった。

Colin Farrell and Barry Keoghan in the film THE BANSHEES OF INISHERIN. Photo by Jonathan Hession. Courtesy of Searchlight Pictures. © 2022 20th Century Studios All Rights Reserved.

 そしてこの映画、先ほどちらりと述べたようにそこでは終わらない。理性的であろうとし続けた4人は、内に押し込めた感情を爆発させたのちにどこへと向かうのか。その果てを見届けた観客は、何を感じるのか――。僕は僕個人のことしかわからないが、恐らく皆、この映画を観る前後で何か……価値観なのか他者・社会へのまなざしなのか感情か、いずれにせよ自身の構成要素が決定的に変わっていることと思う。そしてその激変はすぐには咀嚼できないだろう。僕自身もまだ、うまく整理できていないままだ。にもかかわらず、ただただ人間というものに対する敵わなさを痛感してしまったという衝撃――その残滓が体内で発熱し、僕にこの文章を書かせている。「凄いものを観た」と。

人間は、わからない。だから怖い。
人間は、底知れない。だから観ていたい。
改めて、そう感じてしまった。

Kerry Condon in the film THE BANSHEES OF INISHERIN. Photo by Jonathan Hession. Courtesy of Searchlight Pictures. © 2022 20th Century Studios All Rights Reserved.

『対峙』
アメリカのある高校で、生徒による銃乱射事件が勃発。多くの同級生が殺され、犯人の少年も校内で自らの命を絶った。事件から6年後、息子に死を受け入れられないジェイとゲイルの夫妻は、事件の背景にどんな真実があったのか、何か予兆があったのではないかという思いを募らせていた。夫妻はセラピストの勧めで加害者両親に対面し、話す機会を得る。場所は教会の奥の小さな個室、立会人はいない。ぎこちない挨拶を交わした4人だが、ついにゲイルが本題について口を開く。4人の対話は思いもよらぬ方向へ進み――。

フラン・クランツ監督・脚本
リード・バーニー、アン・ダウド、ジェイソン・アイザックス、マーサ・プリントン出演。東京・日比谷の「TOHO シネマズ シャンテ」ほかにて全国公開中。
(C) 2020 7 ECCLES STREET LLC
Twitter:@taiji_movie
WEB:https://transformer.co.jp/m/taiji/

偏愛映画館
VOL.1 『CUBE 一度入ったら、最後』
VOL.2 『MONOS 猿と呼ばれし者たち』
VOL.3 『GUNDA/グンダ』
VOL.4 『明け方の若者たち』
VOL.5 『三度目の、正直』
VOL.6 『GAGARINE/ガガーリン』
VOL.7 『ナイトメア・アリー』
VOL.8 『TITANE/チタン』
VOL.9 『カモン カモン』
VOL.10 『ニューオーダー』
VOL.11 『PLAN 75』
VOL.12 『リコリス・ピザ』
VOL.13 『こちらあみ子』
VOL.14『裸足で鳴らしてみせろ』
VOL.15『灼熱の魂』
VOL.16『ドント・ウォーリー・ダーリン』
VOL.17『ザ・メニュー』
VOL.18『あのこと』
VOL.19『MEN 同じ顔の男たち』
VOL.20『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
VOL.21『イニシェリン島の精霊』
VOL.22『対峙』
VOL.23『ボーンズ アンド オール』
VOL.24『フェイブルマンズ』
VOL.25『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
VOL.26『ザ・ホエール』
VOL.27『聖地には蜘蛛が巣を張る』
VOL.28『TAR/ター』
VOL.29『ソフト/クワイエット』
VOL.30『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
VOL.31『マルセル 靴をはいた小さな貝』
VOL.32『CLOSE/クロース』
VOL.33『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』
VOL.34『インスペクション ここで生きる』
VOL.35『あしたの少女』
VOL.36『スイート・マイホーム』
VOL.37『アリスとテレスのまぼろし工場』
VOL.38『月』
VOL.39『ザ・クリエイター/創造者』
VOL.40『理想郷』
VOL.41『私がやりました』
VOL.42『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』