劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
Twitter:@syocinema
大変な時代だ。コロナ禍を境に、せきを切ったように多発的な激変が生じ、明日の我が身もわからない。ゆとり世代の僕らがかつて抱いていた“ぼんやりした将来の不安”は、いまや“明確な危機感”へと悪化しつつある。疫病、貧困、災害――それらが対岸の火事ではなく自分事になってしまったいま、何を希望に生きていけばいいのだろう? しかもこの高速化した情報過多社会では“ゆとる”暇さえ与えられず、脳に酸素が行き届かないまま生き急がされている気がする。
時代の空気というものは、大なり小なり個々人の価値観に影響を与えるものだ。例えば昔は何も思わなかった「映画=2時間」を長いと感じてしまったり、男女の描かれ方に心がざらついたり、善悪の概念が揺らいだりフィクション内の暴力に引いてしまったり……。良しも悪しもごちゃ混ぜにした価値観の変化が多すぎて、自分で自分の心がわからないこともしばしば。それを「アップデート」と一言でまとめるのは、あまりに乱暴すぎる。強制的な変化に疲弊する心をどうしたものか……と諦念気味だったとき、『アリスとテレスのまぼろし工場』に出合った。
本作は名作アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本家であり、2018年に『さよならの朝に約束の花をかざろう』で監督デビューを果たした岡田麿里の新作長編。『呪術廻戦』や『チェンソーマン』で知られるスタジオMAPPA、初のオリジナル劇場アニメーション作品でもあり、クオリティは別格だ。ただ、僕にとっては「凄い映画を観た」だけではない“変化”が、この身に生じた。
本作の舞台は、とある地方の町。製鉄所の爆発を発端に、住人たちは“永遠の冬”に閉じ込められてしまった。季節が移らず、外にも出られず、年も取らず、ただ心だけが動き続ける状態……。そんな日々に、ある日“亀裂”が生じる。きっかけは、主人公の中学生・正宗が外の世界から迷い込んだ少女と出会ったことだった。
止まった時間の中で生き続けなくてはならない閉塞感――。前もって情報をほぼ入れずに『アリスとテレスのまぼろし工場』と相対した自分に否応なしにフラッシュバックしたのは、コロナ禍による外出自粛期間の精神状態だった。いまの自分が「あのときはパニくってたな」と(恥ずかしさから)蓋をしようとしていた過日の心が、一瞬にして鮮度を取り戻して――僕は正直ビビってしまった。しかもそれだけではなく、思春期の痛々しい(が、切実な)心までもが蘇ってきてしまった。つまり、自分の現在に至るまでの各時代の心が復活し、列をなしてこちらに向かってきたのだ。これはもう岡田監督の魔法としか言いようがないが、あまりにも解像度が高すぎて鳥肌が立った。
例えば、恋心の萌芽。誰かを好きになる感情は、100%清らかだろうか? 恋は執着でもあり、他者への特別な感情は欲ともつながっていて、どこか「汚らわしい」と感じることはなかったか。少なくとも僕は、自分自身が得体のしれない何かに変化していく感じがして気味が悪かった。自分のキャパを越えた「好き」は「嫌い」でもある。その人さえいなければ、自分は今まで通りの“普通”に戻るのだから……。本作では、そうした「恋心」に振り回される自身への気持ち悪さが、岡田のこれまでの作品以上に克明に描かれている。
そこに入り込んでくるのが、「時が止まった」設定。町内では、いつ時が流れだしてもいいように変化前の状態を保つべきと「変化を禁じる」ルールが敷かれ、正宗たちは日々行動を記録した「自分確認表」の提出を命じられる。心が割れた人から謎の煙=神機狼(しんきろう)にさらわれ、消失してしまうのだ。現状に納得していないのに、閉じ込められて「ニューノーマル」に適応させられる苦しさと反発心、これはまさに自分がコロナ初期に感じていたことだ!(しかもなんだかうやむやにされたモヤモヤは未だ消えていない……)
さらに恐ろしいのは、変化した世界で急にリーダーになったり(ちょっとカルト的な主張をかざし出し)、この世界に留まろうとする人々が出てきたりすること。「止まってしまった世界」に生きがいを感じる存在が、身近に出てくる「分断」の哀しみ……。コロナ禍で様々な人間関係に変化が生じてしまい、よく知っていたはずの人が別人のようになってしまった経験をした身からすると、こうした描写は当時の痛みのフラッシュバックには充分すぎた。
しかも劇中には「この異常な世界で育った子ども」も出てくる。実は我が家はコロナ禍の突入と娘の誕生が重なってしまい、当時は「どうかこの記憶が娘に遺(のこ)りませんように、これが普通だと思いませんように」と願っていた。そうした3年間の“怖れ”までもが、立ち上がってきたのだ。冒頭の比喩ではないが、脳に酸素をどんどん送り込まれて、変化の記憶が鮮やかに蘇ってくる=向き合わされる経験――ひょっとしたらこれこそ、僕が渇望していたものかもしれない。
ネタバレを避けるため詳細は書かないが、映画はその後「元の世界に戻す(自身が消失する危険性あり)」派と「このまま留まり続ける」派に分かれて衝突していく。どこで幸福を感じるかは人それぞれで、絶対的な正義も悪もなく、結局はそのぶつかり合いでしかない。ただ、本作で“恋心”をフックに「痛い」と「居たい」がかけられているように、幸か不幸かは置いておいて――生の実感はきっと心の痛みと共にあるのだろう。そうしたメッセージが、真っ直ぐに胸を貫いた。共感や共鳴とも言い換えられるが、「納得」という言葉が自分の中では一番しっくりくる。だからこそいまは、様々な理不尽や不可解に苦しんで憎んで傷だらけになっても、受け流さずに抱えたまま、この時代を生き抜いてやろうと思っている。猛烈に押し寄せる「生きている」確かな感覚――。時代に変化させられてきた心の主導権を、久しぶりに取り戻せた。
『アリスとテレスのまぼろし工場』
14歳の少年、菊入正宗は、仲間たちといつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れが。しばらくすると何ごともなかったかのように戻ったが、しかしそれは元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時も止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。そんな異常事態の中、町の住人たちは「何も変えなければ元に戻れるはず」と信じ込む。変化を失った正宗は退屈な日々を過ごす中、同級生の佐上睦実に製鉄所の内部にある立ち入り禁止の第五高炉に連れて行かれ、この世界でただ一人だけ成長する少女に出会う……。
脚本・監督:岡田麿里
声の出演:榎木淳弥、上田麗奈、久野美咲/八代拓、畠中祐、小林大紀、齋藤彩夏、河瀨茉希、藤井ゆきよ、佐藤せつじ/林遣都、瀬戸康史
全国公開中。ワーナー・ブラザース映画 MAPPA配給。
©︎新見伏製鐵保存会
WEB::https://maboroshi.movie/
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