劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!
recommendation & text : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema
心をえぐられる映画を観たとき、「言葉にならない」と感じることが多い。ただその内訳には、「言葉にしたくない」が多分に含まれている。言葉にすることで鮮度が薄まったり枠の中に収めたくないから、自分の裡(うち)でとっくり向き合いたい……という僕自身のエゴだ。つまり「do not(しない)」のニュアンスが強い。どうも、インスタントな言語化はリスペクトを欠いているように感じてしまう。早回しの時代だからこそ、映画をすぐ“消費”しないことには特別な意味が伴う気がするのだ。
ただ今回紹介する『月』においては、作品の存在を知り、観賞してからしばらく経つのだが……一向に言葉にならない。この場合の「ならない」は「できない(can not)」であり、自分でもここまで言葉に変換できない作品はあまり見覚えがなく、ただならぬ映画に出合ってしまったのだなと感じる。曖昧だったり難解なわけではなく、どこまでも明確な作品だからこそ恐ろしい。理解はできるものの分かりたくない部分しかなく、それを言葉にしてしまえば何かしらの態度を“表明”することになるのではないかと――そしてそれは許されないことだと一人の人間として思うがゆえだ。
『月』は、2016年に発生した相模原障がい者施設殺傷事件を題材にとった辺見庸の同名小説を石井裕也監督が映画化した作品だ。小説を書けなくなり、障がい者施設で働き始めた洋子(宮沢りえ)は、スタッフが入所者にふるう暴力を目の当たりにする。そうした理不尽が横行している状況に憤る同僚のさとくん(磯村勇斗)は、徐々に暴走していき――。
相模原障がい者施設殺傷事件は偏愛映画館でも以前に紹介した『PLAN 75』の着想元にもなっており、当時世に与えたインパクトを覚えている方も多いことだろう。『月』は『新聞記者』『宮本から君へ』『空白』など力作を多数送り出してきた映画制作・配給会社、スターサンズの作品でもあり、相当「食らう」と覚悟をして臨んだが――観終えた後数日間、他の映画を観てもまるで心がついていかなくなってしまった。『月』の衝撃に囚われたままだったからだ。
実際の事件をベースにしているがゆえ、物語の結末は観客の多くが最初から知っている/わかっているものだ。その過程や、心理を“物語という形で”様々な人物の視点で紐解いていくという意味では、米コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにした映画『エレファント』と共通する部分もあろう(こちらも衝撃的な傑作だ)。ただ、この『月』に関しては、各々の主張が激しくぶつかり合う。つまり、コミュニケーションが成立しているうえで惨劇が起こってしまうのだ。
さとくんはある日突然凶行に及んだわけではなく、上長に掛け合ったり国に意見書を送ったりと様々な方法をとったうえで、そこに至った。劇中には、彼の凶行を予感させるような主張に対し、洋子が必死に止めようとするシーンもある。洋子の夫である昌平(オダギリジョー)に糾弾されたり、境界線上で揺らぎ続ける同僚の陽子(二階堂ふみ)の姿を見てもいる。さとくんはその一人ひとりと対話をし、意見を聞き、自分の想いを伝えて、それでもなお犯行に及ぶ。拒絶するわけではなく、分断もされず、ただ……さとくんと洋子たちの間には深い溝が横たわっている。「止められなかったのか」という我々観客の想いを打ち砕くほどの、深い溝が。
近年、映画に限らずドラマや漫画、小説でも「対話の重要性」を描いた作品がより増えたように思う。それはかつてに比べて直接的なコミュニケーションの場や機会が減ったからであろう。「孤立させ、偏向させないようにしよう」という危機感であり警鐘でもあったはずだが、『月』においては「それでも、起こってしまう」さまが無情に描かれてゆく。そして、さとくんが我々に切々と訴えかける「人間とは?」「命とは?」「尊厳とは?」といった問いだけが残される。
それと並行して描かれるのは、洋子に宿る新たな命だ。高齢出産となるためリスクを考え、産もうか産むまいか悩み続ける洋子。ここでいうリスクとは、子どもが肉体、あるいは精神に何らかの疾患を持って生まれてくる可能性だ。障がい者施設で働いている洋子は、当事者や周囲の人間の大変さを身に染みてわかっている。ただ、「だからこそ産まない」という考えは、本人にその気は全くなくとも命を終わらせる決断をするという点においては――さとくんの主張する優生思想的な考えとも重なってきてしまう。なんと残酷な対比だろう。『月』は、どれだけ心を砕いても、他人事と自分事では思考がまるで変わってしまうことを突き付けてくる。僕はこの部分について、いまだ言葉を持てない。
少しだけ、自分の家族の話をしよう。この場で初めて公にするのだが、実は第一子が生まれた際、喜びもつかの間医師からある説明をされた。日常生活に全く支障はないのだが、身体的にある特徴があり、手術をする必要があると。いまはもう元気いっぱいでその過去すら忘れてしまうほどだが、あの瞬間の絶望感は心の底にずっと沈殿している。なるべく平静を保とうとはしたが頭は真っ白で、妻子と別れてホテルに着いてからひとり大泣きしてしまった。数え切れないほどの「なんで」が脳内で暴れまわっていて、心が引き裂かれるかと思った。
繰り返すが娘はいまは体力おばけ!?ってくらいに元気で、僕たち夫婦の間では「そんなことあったね、びっくりしたね」くらいの出来事になっている。ただやはり――思い返すと息が詰まり、涙が出てきてしまう(今も泣きながらこの文を書いている)。つい先日、第二子が生まれたのだが、産後に医師から何も言われなかったことに心底ホッとした。洋子が抱える、生まれてくる子どもが疾患を持っていた場合にどうするかという苦悩――その何%かを自分は実感として知っている。他者が不可侵であるはずの生殺与奪に対し、干渉する可能性を考えなければならない恐ろしさ……。だからこそ、ボーダーを飛び越えんとするさとくんを前に愕然とし、言葉が出てこなくなってしまった。
これはあくまで一例で、『月』は私たちの心に眠る何か強烈なものを引きずり出す。観賞後すぐには現実に帰ってこられないだろうし、戻ってきた後もすぐには癒えないダメージを負っているかもしれない。なぜ「偏愛」と名のついたこの連載で、本作を取り上げるのか。随分と悩んだ。作品のクオリティは凄まじいものがあるが、ショックもそれ以上に大きい。センシティブな内容ゆえに、誰が、どこまで傷つくかもわからない。実際に、着想元となった事件では多くの犠牲者が生まれてしまっている。ただ、同時に「この映画を避けて通れない」という確信も、自分の中に芽生えてしまった。迷いながら悩みながら、答えは未だ出ず、それでも己の心を信じてこの映画を、装苑読者の皆さんに提示したい。
『月』
深い森の奥にある重度障がい者施設「三日月園」で働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は、東日本大震災を題材にしたデビュー作で評価された小説家だったが、今は筆をとっていない。夫の昌平(オダギリジョー)はアニメーション作家だが、その仕事で収入は得られない状況だ。経済的には苦しくとも、夫婦は、互いに愛と信頼をもって慎ましく暮らしていた。洋子は施設で働く小説家志望の坪内陽子(二階堂ふみ)や、絵を描くのが好きな“さとくん”(磯村勇斗)に出会い、親しくなる。また、体の自由がきかずベッドで横たわったままでいる入所者の“きーちゃん”をどこか他人と思えず、親身になる。そんな折に洋子の妊娠が発覚。一人息子を亡くした経験を持つ彼女は、高齢出産にもなるタイミングで子供を出産すべきかどうか苦悩する。さらに洋子は、施設に横行する入所者への心ない発言や暴力、虐待を目にする。園長はその事実に目を背け、訴えにもまともに取り合おうとしない。その理不尽に憤りを持つさとくんは、ある出来事をきっかけに、思いが一線を超えてしまう。社会が蓋をしてきた問題とそこに隠された人々の心情を映し出し、見る人に命の尊厳を問いかける。
監督・脚本:石井裕也
宮沢りえ、磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子/高畑淳子、二階堂ふみ/オダギリジョー
10月13日(金)より全国公開。スターサンズ配給。
WEB : https://www.tsuki-cinema.com/
©︎ 2023『月』製作委員会
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