偏愛映画館 VOL.13 『こちらあみ子』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

 映画×物書きの仕事をしていると、時々いただく質問。「映画を観る前に原作は読みますか?」。正直、どこか試されているようなひやひやする質問ではある。先日、とある映画監督と話した際にも「原作との差異の話をよく質問される」と語っていた。確かに、原作がある映画のティーチイン(質疑応答付きイベント)のMCを務めさせていただく際も、お客さんからはほぼ確実に原作についての質問が出る。

 これはひょっとしたら「忠実性」「再現度」を重視する日本人の国民性なのかもしれないが(或いはマンガの実写化が多いからか)、「原作へのリスペクトの強さ」というひとつの視座を与えてくれる。上に挙げた質問で想定されている「映画」は基本的に日本映画である、というのも興味深い。あくまで私見だが、海外の映画について原作の話を持ち出されることはあまりない印象だ。製作発表されてから公開までの間に原作を読む、という楽しみ方を選ぶ方が多いからかもしれないが、この部分に潜む“意識”には、さらりと見過ごせない何かがある。

 恐らく、土着的な意識として「0から1を作る」という行為に対する圧倒的な畏敬があり(これがいつ、何から生まれて現在まで脈々と受け継がれてきたのは定かではないが)、その表れであろう。そんなこんなで「実写化」、とくに原作が有名なものだとなかなか厳しい目で観られる向きもあるように感じる日本映画。そんななかで、驚くべき作品に出合った。7月8日に劇場公開される『こちらあみ子』だ。

 本作は、『星の子』や『むらさきのスカートの女』で知られる小説家・今村夏子のデビュー作『こちらあみ子』(初出時のタイトルは『あたらしい娘』)の実写映画化作品。実写版『星の子』を手掛けた大森立嗣監督の助監督を務めてきた森井勇佑の初監督作となり、主人公のあみ子を演じるのは、応募総数330名のオーディションで選ばれた新星・大沢一菜。監督・主演ともに本作が初陣という、なかなかにチャレンジングな布陣だ。

 あみ子の両親を井浦新尾野真千子という実力派が演じているものの、原作ファンからすると未知の部分が多く「どういう仕上がりになっているのか?」とソワソワしていたのではないか。しかも、素人考えだが――『こちらあみ子』はかなり映像化が難しい部類に入る。空気感が非常に重要な作品であるし、性質上「作為」が入ってはいけないからだ。

 本作は、広島の田舎町を舞台にした小学5年生・あみ子の成長ドラマ。あみ子は同級生や家族といった周囲の人々とは少し違っていて、彼/彼女たちの中にある社会通念が通用しない。みんなから「変わっている」と言われ、孤立している人物だ。ただあみ子にはあみ子の“普通”や“疑問”、喜びや悲しみがあり、自分が周囲とズレていることを認識もしている。この作品で非常に重要なのは、あみ子/他者のどちらかに偏向しないということ。それぞれの“常識”がかみ合わないという純然たる事実が淡々と提示され、我々観客はその観察者となる。

 ここに作為が入ってしまうと、あみ子が被害者のように描かれるなど、何かしらの「こういう方向に持っていく」という演出が施されることになる。確かにそうすれば手っ取り早く「泣ける」物語になるのかもしれないが、逆に言えばその瞬間、作品全体が何かの側に与することになる。この映画はそれを行わない。「あみ子の世界」「他者の世界」それぞれを等量に並べ、「対話が成立しない」地点までを映し出す。その先に「切なさ」や「痛み」あるいは違う何かを感じるのは、観る者それぞれにゆだねられているのだ。

 あみ子は、遠巻きに見ていたり、離れていってしまう人々となんとかつながろうとする。しかし同時に、断絶している何か(そしてそれはきっと埋まらない)を本能的に感じてもいる。あみ子の周囲の人間は、彼女を異物として扱うことで自分たちの世界を守ろうとする。どちらの感覚も、観ている我々にはわかってしまう――。この引いた目線の「豊かさ」の強度に、僕はただただ震えてしまった。しかもこれは、原作に漂う空気感を踏まえつつ、そのひとつ向こうを見せている。

 初めて原作を読んだ際、僕の体内に訪れたのは「恐怖」、そして「吐き気」だった。あみ子の無垢さがもたらす残酷さ、それによって壊れていく家族というものに打ちのめされ、その夜は寝付けなかった記憶がある。いま考えると、あみ子よりも彼女の父や母に肩入れして読んでしまっていた。それはひとえに僕個人のテンションによるものだが、今村夏子の文章が纏う静かなる毒素もあるように思う。こちらの甘い幻想が音もなく切り刻まれるような、無機質な中にも有無を言わせぬ容赦のなさを感じてしまったのだ。

 しかし、だ。森井監督は映像化するうえで、さらにこの物語をフラットにした。それでいて、どこかとろみのある澄んだ透明性を付加。水のよう、とでもいうべきか……。原作が硬質なイメージであれば、映画は軟質。同じ距離から人物を見るにしても、そこはかとない柔らかさが感じられるのだ。性善説と性悪説、シニカルとヒューマニティ、中立の中にも、「世界」や「人間」に期待するかどうか――といったようなスタンスの微妙な違いが見えるよう。

 印象的だったのは、人物へのまなざしだ。原作小説の世界から抜け出してきたようなあみ子役の大沢一菜の存在感にはただただ敬服させられるが、彼女を映し出すカメラの動き――“視線”に、慈愛が感じられる。それだけではなく、あみ子の家族にも、周囲の人間にも、木々や風、水といった自然にも、それは分け隔てなく注がれる。これはもはや感覚的なものなので言語化がなかなか難しいのだが、時にシビアな物語の中で、優しさが全編通して定量に流れ続けている。先ほど「作為」と「中立」の話をしたが、何にも寄らない本作は、画面に映る全てと距離をとるのではなく、全てを公平に愛しているのだ。

 象徴的なのは、劇中、あみ子が繰り返し歌う「おばけなんてないさ おばけなんてうそさ」。これは本来、おばけを否定することで恐怖心を回避するまじないのようなものだが、この映画はおばけすら排斥しない。映画オリジナルシーンであり、実に映画的な文法でもって、解答を示している。このシーンに出合ったときの鳥肌たるや! それでいて、原作の輪郭からはみ出していないから恐れ入る。ひょっとしたらこの映画、原作を知っている者ほど驚かされるかもしれない。

 映画『こちらあみ子』のほぼすべての構成要素が、原作を踏襲している。むしろよくここまで完璧に実写化してくれたと感謝したくなるほどの“再現度”である。オリジナルのシーンも数えられるほどだ。森井監督の演出力と大沢のハマり具合は、感嘆すべきレベル。両者の相性の良さは、まさに『こちらあみ子』のためにあったような座組といえよう。

 しかし――。99.9%が原作準拠でありながら、0.1%……ほんの一滴の新色の配合で、本作は丁寧に積み上げた“世界”を更新する。原作を愛してやまない我々の手を取り、次の場所へと連れていくのだ。なんと鮮やかで、幸福な「映画化」だろうか。

『こちらあみ子』
主人公は、広島に暮らす小学5年生のあみ子。優しい父、兄、書道教室の先生でお腹に赤ちゃんがいる母、憧れの同級生ののり君などたくさんの人に囲まれながら元気いっぱいに過ごしていた。だが、あみ子の純粋すぎるがゆえの行動が周囲の人々に影響を与え、否応なしに変えていく。奇妙で滑稽、しかし愛おしい人間のありようを描く。異才、今村夏子の同名小説を原作とする。

森井勇佑監督・脚本、大沢一菜、井浦新、尾野真千子出演。2022年7月8日(金)より、東京の「新宿武蔵野館」ほかにて全国順次公開予定。アークエンタテインエント配給。(c) 2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ

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