偏愛映画館 VOL.7『ナイトメア・アリー』

劇場上映中&これから劇場上映となる映画から、映画のプロが選んだ偏愛作品を、
その愛するポイントとともに熱くお伝えします!

recommendation & text  : SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクションや映画情報サイト勤務を経て独立。
インタビューやレビュー、オフィシャルライターほか、映画にまつわる執筆を幅広く手がける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督の作品に特別協力。「装苑」「CREA」「WOWOW」等で連載中。
X(Twitter):@syocinema

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 記憶にこびりつく映画というものがある。何年経っても鮮明に「観たときの状況」までも覚えているものもあれば、ふとした瞬間に思い出す作品もあり、そこには甘みも苦みもあって――。往々にして好きな映画の場合が多いが、トラウマ的な意味で心の領域の一部を明け渡してしまった場合もあろう。

 自分だと、高校生の時に自宅で母と観た『エターナル・サンシャイン』は、当時の家の様子や窓から差す光までも覚えているし、映画館で観た『her/世界でひとつの彼女』『怒り』は映画館の座席と共に記憶されている。これらは好きな作品の場合で、幼少期に親戚の家で見せられた『風が吹くとき』はトラウマのほう。かわいいアニメだと思ったら戦争の恐ろしさを壮絶に描き切った作品だった。

 陶酔と畏怖。魅了される一方で、おぞましくも感じる。新作『ナイトメア・アリー』が日本公開を迎えたギレルモ・デル・トロ監督の作品は、まさにその境界を行き来するものといえるのではないか。『パンズ・ラビリンス』『クリムゾン・ピーク』に、アカデミー賞を席巻した『シェイプ・オブ・ウォーター』――。『パシフィック・リム』『ヘルボーイ』『ブレイド2』のように派手な作品もあれど、共通する不気味で美しい世界観にとらわれてしまった方は多いことだろう。夢に出てきそうな異形の存在と、目を奪われる瀟洒な美術――。デル・トロ監督の作品には、いつだって“美醜”が混在している。『ナイトメア・アリー』は、そうした彼の作家性を継承しつつ、さらなる洗練を感じさせる一作であった。

Bradley Cooper in the film NIGHTMARE ALLEY. Photo by Kerry Hayes. © 2021 20th Century Studios All Rights Reserved

 本作は、1930~40年代のアメリカを舞台にしたノワール調のサスペンス。「ノワール」というのはフランス語で「黒」という意味で、フィルム・ノワール=ダークな犯罪映画を指す。定義は諸説あるが、一例として挙げるなら、善悪を明快に区別するのではなく、物語や映像を通して“闇”を描くイメージだ。直近の映画では『THE BATMAN ザ・バットマン』にもその傾向が見られる。

 カーニバルの一座を訪れた、どこか陰のある男スタン(ブラッドリー・クーパー)。座長のコートリー(ウィレム・デフォー)に取り入った彼は、一座の一員として働き始め、他者を惹きつけるカリスマ性と話術を開花。やがて読心術を身に着けたスタンは、恋仲になった同僚のモリー(ルーニー・マーラ)を伴って独立。瞬く間に一流の興行師としてのし上がるのだが――。

Rooney Mara and Bradley Cooper in the film NIGHTMARE ALLEY. Photo by Kerry Hayes. © 2021 20th Century Studios All Rights Reserved

 興行師の栄光と挫折を描くという意味で、ダークでシニカルな『グレイテスト・ショーマン』というとイメージが湧きやすいかもしれないが、本作で描かれるのは、端的に言えば人間の残酷さだ。スタンの栄枯盛衰を通して、観る者は人間の内に潜む闇、その深奥と徹底的に向き合わされる。

 貧困から脱するために人間の尊厳を捨てること、野心に囚われて他者を踏みつけにし、挙句壊れていく哀しみ、因果応報、見世物小屋に代表される「人が人を“観賞”して面白がる」闇深さ……。直接的(視覚的)なグロさはこれまでの作品に比べて控えめだが、作品全体に漂うエグさの濃度はより増しており、観賞中/後に心を容赦なく突き刺してくる。『シェイプ・オブ・ウォーター』の中にも込められていた弱者の迫害と弾圧、人間の怪物性というテーマが、より深化した印象だ。

 その中で僕が特にぞっとさせられたのは、格差の描写。『パラサイト 半地下の家族』『万引き家族』ほか、格差は昨今の映画における重要なテーマだが、本作は様々な経済状況の人々を通して、“心の格差”をより細分化して描き出すのだ。

 例えば、スタンは身を寄せたカーニバルで「獣人」と出会う。獣人は人か獣かわからない存在として見世物になっているのだが、従来のデル・トロ監督の作品であれば人間とは別の種族として描かれそうなもの。しかし、本作においてはそうではない。獣人は妖怪でも怪物でもなく、人間の成れの果てなのだ。貧乏人が、さらに困窮した人々を見世物に「仕立てて」日銭を稼ぐ世界。つまり、一概に貧困層といってもそこには大きな差があるということが、ありありと映し出される。

 かと思えば、劇中に登場する経済的に裕福な人物は、大切な存在を亡くした喪失感で抜け殻状態になっており、幸福とはいいがたい。様々な思惑を持つ人物が入り乱れ、格差のグラデーションが細かく設定された『ナイトメア・アリー』は、描く闇の濃淡のバリエーションの豊富さでもって「経済的な裕福度が、心の幸福度に必ずしも合致しない」ことを突きつけてくる。人に言えない過去を抱えるスタンと清らかな心を持つモリーは、どちらも経済的なステータスは対等だが、人間性に大きな違いがある。では、ふたりを分けるものは何なのか? それは、自制できないほどの野心=幸福への渇望の有無。経済的な貧富によらず幸福を追い求めてしまう人間の哀れさが、どこまでも暴き出されるのだ。

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 見れば見るほどぞっとさせられる『ナイトメア・アリー』だが、我々を“他者”にしてくれないのもまた、恐ろしい。スタンのように名声に取りつかれて破滅していく人々の姿は、SNS全盛期のいま、我々が日常的に目にしているものでもあろう。リターンを欲しがるあまり、リスクとのバランスが壊れて凋落してしまう危険性には、いまや誰しもが接している。1930~40年代の時代背景や、当時を見事に再現した美術や衣装に魅了されつつも、人間の欲望は時代を経ても変わることがないという真実に、暗澹たる気持ちにさせられる。本作で描かれる物語は、現代を生きる我々にとって過去のおとぎ話ではないのだ。

 …と、こういう風に書くと完全なるトラウマ映画にしか見えないかもしれないが、ビジュアルやストーリー、豪華キャストの演技含め、悔しさを通り越してしまうほどにいちいち完成度が高く、観るしかない状態にさせられてしまうのもまた事実。徹底して人間を描き切った美醜のハイブリッド作『ナイトメア・アリー』。“食らう”覚悟を携えて、ぜひ挑んでいただきたい。

Willem Dafoe and Bradley Cooper in the film NIGHTMARE ALLEY. Photo by Kerry Hayes. © 2021 20th Century Studios All Rights Reserved

『ナイトメア・アリー』
ショービジネスでの成功を夢見るスタン(ブラッドリー・クーパー)は、あやしげなカーニバル一座を通して読心術師のジーナ(トニ・コレット)と知り合い、気に入られる。スタンは彼女の仕事を手伝い、そのテクニックを身につけ人気者に。彼は一座を離れて活動を始めるが、ある日精神科医を名乗るリリス(ケイト・ブランシェット)と出会う・・・。1946年出版の小説『ナイトメア・アリー 悪夢小路』を原作とし、ギレルモ・デル・トロ監督ならではの美的感覚と演出術で完成したサスペンススリラー超大作。
ギレルモ・デル・トロ監督、ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェット、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、ルーニー・マーラ、ロン・パールマン、メアリー・スティーンバージェン、デヴィッド・ストラザーンほか出演。2022年3月25日(金)より全国公開中。ウォルト・ディズニー・ジャパン配給。
©︎ 2021 20th Century Studios. All rights reserved.
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