
グライムやUKドリルをはじめとするヒップホップ、ベースミュージックの進化や新世代が席巻している現代ジャズシーンの活況、ジャマイカ、アフリカ移民が持ち込んだ音楽のケミストリーなどを糧に、注目のアーティストが続々登場しているイギリスの音楽シーン。イギリス出身でガーナにルーツを持ち、ネオソウルと西アフリカ音楽を融合しつつある26歳のシンガーソングライター、ネクター・ウッドもその一人だ。7月に発表したサードEP『it’s like I never left』を携えて初来日公演を行った彼女に、イギリスとガーナに育まれた音楽表現について、お話をうかがった。
Photographs:Jun Tsuchiya(B.P.B.) / interview & text: Yu Onoda
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音楽と作詞作曲で自分を表現したい。
──ネクターさんは音楽好きの父親とファッションに携わる母親のもとで生まれ育ったということですが、何をきっかけに音楽家を志したんでしょうか?
「クリエイティブな家庭で育ったので、自分を自由に表現することができました。幼い頃から音楽と作詞作曲で自分を表現したいと思い、それが奨励される環境だったので、クリエイティブな発散として音楽を選ぶことは容易なことでした」
──70年代のミニー・リパートンや90年代のローリン・ヒルに影響を受けていることですが、ネクターさんが生まれる前の時代の音楽のどういうところに惹かれますか?
「70年代と90年代の音楽は特に表現力が豊かで、新しいものを創造する力があると思います。そして、どちらの時代もとてもソウルフルで、特にローリン・ヒルから大きな影響を受けています。彼女のアコースティックアルバムでギター一本で観客を魅了する姿に感銘を受けました。そして、YouTubeで観た彼女のライブで演奏された7分もある曲から伝わってくるアーティスト性にインスピレーションを受けると同時に、彼女と同時代のエリカ・バドゥやディアンジェロなども聴くようになりました。彼らはソウルミュージックにとって新しい時代を築いたと思います」
──今の時代の音楽より70、90年代の音楽の影響が大きいですか?
「父が家でソウル、レゲエ、ハイライフ(西アフリカの音楽とヨーロッパの音楽が融合してアフリカ音楽)などの音楽をよく流していたので、私は自分の意思とは関係なくそれらを聴いて育ったので、自分で音楽を探求し始めた時には、すでにそれらの影響を受けていました。ティーンエイジャーの頃は親と違う音楽を聴きたくて(笑)、現代のポップミュージックに走った時期もありましたが、18歳頃から再び元々家で聴いていた音楽に戻りました」


音楽シーンと音楽家との出会いを求めて。
──生まれ育った(イングランド中部)ミルトン・キーンズを離れ、大学進学のためにロンドンに出たことで、音楽にどのような影響や変化がありましたか?
「ロンドンに引っ越したのは活発な音楽シーンと様々なタイプの音楽家との出会いを求めてのことでした。大学進学後、ジャズ専門の大学や、ポップ寄りの学校など、様々な場所から人々が集まってジャムセッションをしたり、ジャズのスタンダードやネオソウルのカバー曲を歌ったりしていました。観客の前で即興で演奏することは、オリジナル活動のための準備期間として自己成長のための貴重な経験となりましたし、ロンドンの高い家賃を払うためにもなりました(笑)。また、そこで出会った仲間たちとコミュニティを形成し、8年経った今でも親しい関係を続け、同じような音楽ジャンルで活動しています」
──ネクターさんの周りの音楽コミュニティはどのような感じですか?
「(ネクター・ウッドの存在を知らしめたコラボレーションを行った)マム・トゥーディーやエリクソン・カナーと今でもお互いに応援し合い、ライブでも一緒に演奏することがあります。また、MRCYというバンドのメンバーは以前私のバッキングボーカルをしていましたが、今は自分のバンドでヨーロッパツアーをしています。ソル・パラダイスやティア・ゴードンなど、ロンドンで同時期に出てきたアーティストたちとも互いに応援し合い、SNSも活用しながら一緒に曲作りもしています」
──今回の初来日ライブでは70年代のロックバンド、フリートウッド・マックの「Dreams」をカバーしていましたが、ネクターさんが理想とするサウンドや曲とはどのようなものですか?
「ソングライティングの面では、ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、フリートウッド・マックなどの詩的な歌詞を重視しています。詩的な歌詞をソウルやジャズのコードと組み合わせることが自分のユニークな特徴だと思います。異なる要素を組み合わせて一つのものにすることを目指しています」

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