グローバルな存在であること衣装とアートワークで表明した『Homogenic』。
──それでは、鮮烈な衣装が象徴的な『Homogenic』のジャケットについてお聞きしたいです。ニック・ナイトが撮影し、アレキサンダー・マックイーンが衣装とアートディレクションを担っていらっしゃいますが、あの作品は、あなにとって最もアイコニックなビジュアルの一つになりましたね。

1997年にリリースされたアルバム『Homogenic』
私はすごくラッキーだったと思うの。というのも、彼(マックイーン)とはもともと、ロンドンで同じグループで遊んでいて、パーティもよく一緒に行っていた友だちだったから。それで彼に言ったの、「ちょっと面白い矛盾をテーマにしたい」って。
というのも、当時ちょうど、私が一気に有名になって、メディアや人々が一斉に「ビョークってアイスランドの妖精でしょ、ホッキョクグマと一緒にいるんでしょ」って決めつけてきたの(笑)。でも私は、そういうステレオタイプな“アイスランドらしさ”にすごく反発してた。妖精なんて見たことないし(笑)。それって結局、ヨーロッパ以外の文化を“エキゾチック”と決めつけて見下すような、ある意味すごく植民地主義的な視点だと思った。すごく視野が狭くて、“妖精”っぽい感じって全然リアルには感じない。だから私は“そうじゃない”っていうメッセージを打ち出したかった。アイスランドや他の文化圏を、ただ“異国のエキゾチックな存在”として消費するような見方——それに対する反発があったから。
それで、じゃあ、むしろそれを逆手に取っちゃおうって考えたの。だから、『Homogenic』では、8人のストリング・プレイヤーを集めて、私自身が彼らのために弦楽四重奏や八重奏を書いた。すごくロマンチックで、いろんな表情があって、情景が浮かぶような音楽。それが、私にとってのリアルなアイスランドだった。その上に、火山の噴火のような、荒々しくて衝動的なテクノ・ビートを重ねた。すごくアイスランド的にしたかったから。
それでマックイーンに、アルバムジャケットもそのコンセプトでいきたいって言ったの。アルバムのタイトルは『Homogenic』。
“ひとつの場所から来た存在”という意味だけど、私は同時に、すごくグローバルでありたい。世界中の国々とつながっている存在として、ステレオタイプに縛られずにいたいって。私は、ただの“アイスランド出身のアーティスト”という箱に収まりたくなかった。アーティストやミュージシャン、リスナーと、世界的な規模で会話していると感じていたから。
そういう私の思いに、マックイーンが応えてくれて。アフリカのジュエリーとか、南米の要素とか、全ての大陸の文化を取り入れてくれた。それで、あのキモノの衣装もできあがったんだけど、そこにエイリアン的な冷たさ、ヨーロッパ的なマニキュアも加えて、いろんなものを全部ミックスしてくれた。
過去もあれば未来もあって、あらゆる大陸の文化を融合したような衣装。まさに、時間と場所を超えたミックスとしての私、という“ステートメント”だった。
しかも、そのアルバムは感情的にもすごく対峙する作品だったから、私は彼に「戦士のようになりたい。ちゃんと向き合って、ぶつかっていくようなイメージで」とも伝えていたの。そしたら、あの衣装を考えてくれたのよ。
この前ニック・ナイトと話してたんだけど、撮影のとき、あの衣装を着るのに2時間くらいかかったのに、実際に撮影した写真は、たぶん1〜2枚だけだったの。それで終わっちゃった!すごく早くて、ほんと、あっという間だったねって。
──それで、あのアイコニックなアートワークが生まれたんですね。最近の作品では、マイコ・タケダのヘッドピースなど、日本人のアーティストとのコラボレーションも多くみられます。そうしたアーティストとはどうやって出会ったのですか? また、彼らと一緒にやろうと思った理由は?
そうね、マイコはたしかその頃、学生でロンドンに住んでいたと思うの。彼女の作品をネットか何かで偶然見たのが最初で、それでたしか、アイルランドかダブリンだったかの公演で彼女の作品を身につけたことがあったと思うんだけど、ちょっと記憶が曖昧でごめんなさい(笑)。でもその後、東京に行ったときにも彼女に会えて、すごく嬉しかった。それで、『Vulnicura』にぴったりだと思ったから、アートワークでも使わせてもらったの。
『Vulnicura』では、失恋という感情の状態にあるときに感じる、ある特有の感覚を描きたかった。すごく傷ついて、“被害者”みたいに感じる部分があるんだけど、同時に、“聖なる存在”みたいに感じたり、自分のまわりに光の輪(halo)があるような気持ちになったりもするのよね。
ちょっと不思議な感覚なんだけど、ユング心理学を読んでいたら、「被害者としての感情の中には、同時に“光輪”のようなものが宿ることがある」って記述に出会って、すごく腑に落ちたの。どこか“聖なる存在”のような、“頭の上に光輪が浮かぶ”ようなイメージも感じてたから。痛みの中に神聖さを感じるような、そんな状態。
それと、もうひとつ大切だったのが、“癒し”の象徴であるラベンダーのキャンドル・ワックス。だから、あの時はラテックスの衣装を使ったのよね。「Family」のMVにも出てくるけれど、胸に蝋が流れて、それが傷を癒していく。蝋って、どこか絆創膏みたいな役割をしてくれるものだと思っていて。しかも、キャンドルそのものが、どこかスピリチュアルな癒しの象徴でもあるでしょ。あのアルバムは、まさに“癒し”についての作品だったから、すべてがちゃんとつながっていたのよね。
それで、トミー(Tomihiro Kono 『Fossora』のアートワークのウィッグなどを製作している)は、ネットで作品を見つけたんだったかな?もしかしたらジェームズ(・メリー)が見つけてくれたのかもしれない…しっかり覚えてないんだけど(笑)。
でも、コロナ禍に、彼はアイスランドまで来てくれて、それ以来すっかり友達になった。とても才能があるし、すごく素敵な人。ただ、残念ながらアイスランドでコロナにかかってしまって、私のゲストハウスで隔離されることになったんだけど(笑)。でも本当に素晴らしいアーティストだと思う。
「ゼロからはじめてもいいですか」と世界に問いかけたソロ初アルバム『Debut』のジャケット写真。
──本誌では、あなたのこれまでのほとんどのアルバムジャケット(一部を除く)を掲載させて頂いています。そこでまずが、ソロの1作目『Debut』のアートワークについて伺いたいです。
ジョン・バプティスト・モンディーノが撮影した、あの作品から『Fossora』まで、ビジュアルも大きく変化してきたと思いますが、デビュー作のアートワークを振り返って、今思い出すことはありますか?

1993年にリリースされたアルバム『Debut』
当時、イギリスやヨーロッパでは、シュガーキューブス(ビョークがかつて所属していたバンド)のことを知ってる人はそれなりにいたと思うの。すごく大きな存在ではなかったかもしれないけど、音楽の世界では認知されていから。だからこそ、シュガーキューブスでやっていた音楽と自分をきちんと切り離すことが私にとっては重要だったの。シュガーキューブストはまったく違う音楽の世界に進もうとしていたから。
だから、私は、自分のソロ1作目のタイトルを“自分にとっての始まり”という意味を込めて『Debut(デビュー)』にしたの。シュガーキューブスのことは一旦忘れて、真っ白なキャンバスに戻って聴いてもらいたかったし、ただ、「これが今の私です」って伝えたかった。
パリで、モンディーノと一緒に撮影したんだけど、スタイリングは、ジュディ・ブレイムというイギリスの伝説的なスタイリストで、彼は本当に最高の人だった。私にとっては贈り物のような存在ね。
彼は、「君のスタイルは素晴らしい。絶対に変える必要なんてない。誰にも変えさせるな」って言ってくれて。VOGUEの撮影のような、何百人ものスタイリストがいて、何千もの衣装があるような時でも、彼は必要な「ノー」を言ってくれた。
「彼女は彼女の服を着ればいい」って私を守ってくれたし、自分が着たいものをそのまま着ること、それだけで十分なんだって、自信を与えてくれた。業界が押しつけてくる、こうあるべきっていうスタイルに乗っかる必要はないんだって。それは私にとってすごく大きなことだった。
でもね、今の話とは、すごく矛盾してるんだけど(笑)。忘れられないちょっとしたハプニングもあって……パリまで飛行機で行ったんだけど、なんとスーツケースが行方不明になっちゃったの。だから、撮影現場に行ったとき、「えっ!嘘でしょ!?服がないんだけど!」って(笑)。そしたらモンディーノが「僕の友だちのマルタン・マルジェラが近くに住んでて、彼、この前自分の寝室で初めてのコレクションを作ったばかりなんだ」って教えてくれて。
そのときの服がまだあるはずだからとマルジェラの家に行って、バッグいっぱいに服を持ってきてそれを私が着ることになったんだけど。当時はマルジェラってまだ誰も知らないような存在だったの。それでモンディーノは、私を外交的で表現豊かに撮りたいと思っていたみたい。でも私は、それはちょっと違うなって思っていたの。シュガーキューブスのときに、そういうことはいっぱいやってきたから、私にとっては安易すぎるし、派手な衣装を着たり、バサバサのつけまつげをつけたり、ちょっとドラァグみたいなスタイルとかもそう。
だからこそ、このアルバムのジャケットでは、そうじゃない姿がすごく大事だと思ったの。だってタイトルが『Debut』でしょ?だから、無垢な“ビギナー”として写りたかった。世界が私に「ゼロから始めていいよ」って、そう許してくれるような、「ゼロから始めてもいいですか」って世界に問いかけるようなビジュアルにしたかったの。初心者としての自分を見せたかった。
だから、撮影のあとに写真を見せてもらったら、モンディーノが選んだのは、派手で外向的な写真だったけど、私は「ちがう、ちがう、これじゃない!」って言って(笑)。「この、指を合わせて、すごく控えめでシャイに見えるやつがいい。ビギナーとしての自分が写ってるこれが、『Debut』ってタイトルに一番合ってるから」って。それから、トポリーノっていう伝説的なメイクアップ・アーティストがいたんだけど、彼が私の目の下にシルバーを入れてくれて、指先にも銀のメイクをしてくれた。あの繊細な仕上げも、本当に素敵だったな。
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