
「差入屋」という耳慣れない言葉は、刑務所や拘置所への差入代行を請け負う、実在する職業の名前だ。罪を犯してしまった人々やその家族と関わりを持つ「差入店」の日々を描き出す中で、店を営む男の過去と内面が炙り出されていくオリジナル脚本のヒューマンサスペンスが、映画『金子差入店』(2025年5月16日公開)。主演を務めたのは、SUPER EIGHTのメンバーとして活躍し、ベースプレイヤーとしても高い評価を得る丸山隆平さん。本作が8年ぶりの映画主演作となる。本作で、暗い過去を背負う男、金子真司を演じた丸山さんに、表現者としてどのように本作と向き合ったのか、その裏側や、今望んでいる表現者としてのありようを語っていただいた。
photographs : Jun Tsuchiya (B.P.B. ) / styling : Taichi Sumura (COZEN) / hair & make up : Ryuji Nakashima (HAPP’S.) / interview & text : SO-EN
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覚悟の上で、ご縁だなとお受けしました。
――古川豪監督の公式インタビューには、脚本をお渡しした際、丸山さんから「こういう役を演じたかった」とお返事があった、と書かれていました。今回演じられた金子真司という役のどこに惹かれたのか、社会的なテーマを扱った作品に出演を決められた理由もあわせて教えてください。
丸山隆平(以下、丸山):まず「差入屋」という職業自体を初めて知ったので、こういう世界があるんだ、という発見がありました。と同時に、脚本には普遍的なことが描かれていて、家族や身近な人のこと、この社会のことを深く考えさせられるような物語だなと思ったんです。参加することにとても意義を感じて、ぜひよろしくお願いしますとお返事をしました。
あとは、監督の人柄もありますね。古川監督は自分の中に色んなものを背負いながら葛藤されている、とても人間らしさのある方。こういう方と一緒にものづくりをしたら一体どんな作品になるんだろう、といったワクワク感がありました。
社会的なテーマを扱った作品に参加することについては、「わーい!こういうのやりたかった!楽しい♪」みたいなニュアンスでは決してなかったです。金子を演じるには、エンタメの世界の中で自分がやっていることを見直したり、自分自身とも向き合わなければいけなくて。
作品を届けるには相当なエネルギーが必要ですし、テーマ性によっては責任もあると思っています。 あとこの仕事をしていると、ちやほやしてもらったりして、どうしてもまともな感覚からはズレが生じやすくなってしまいます。一般社会で生きる一人の人間を演じるにあたって、そういうズレた感覚のままやってはいけないと思いますし、それはその職業で働いている方に対して失礼になってしまう。
自分の精神性含め、家族や近所の人々、塀の中にいる人や被害者のことも受け止めながら丁寧にやっていかなければいけないと思っていました。通るべき道ではあるけれど、本当は避けたいくらい……(苦笑)。でもそれも覚悟の上で、ご縁だなとお受けしました。

映画『金子差入店』より

――「差入屋」という職業を演じるにあたり、どのように役を作っていかれたのかも気になりました。
丸山:監督は、『金子差入店』を構想して脚本執筆をしている11年の間に、実際の差入屋さんともお話をされていたようですが、職業柄、大変な個人情報を扱っているということもあって、望んでも僕が直接お話を聞くことは叶わなかったんです。ただ、監督を通じていろんなエピソードを聞かせてもらいました。
それだけ、僕らには想像もできないような緊張感がある仕事なんですよね。実際、差入店のそばには拘置所もあります。お話を聞くだけでも、かなり繊細な出来事に向き合い続ける仕事だということがわかって。そこには相当のストレスがあると思いますし、それが肌や髪にも現れるはず。心ががさつくとともに肌荒れもするかもしれない、というのは、表面的なことではありますが、想像がつきました。
だから、自分の見た目を気にしているような肌艶のいい人物が登場するのは違う気がして、金子という人間を演じるにあたっては、あまりスキンケアをしないようにしたり、髪を洗ってもシャンプーで終わらせるような生活を心がけていました。自分の見た目のことよりも、とにかく日々、仕事で関わる人々に対して心を尽くしきっている人間の体がどういう状態になるのか?ということを意識して、役にアプローチしていました。
「意図せず」がよく計算されていた
――とても面白いお話です。衣装も、周囲に溶け込んで馴染むような色合いのものや、ベーシックなアイテムが多かったように思います。衣装あわせの時からその方向性は決まっていたのでしょうか?
丸山:そうですね。衣装あわせの時から、監督の中でほぼほぼイメージは固まっていました。おっしゃる通りで、「周囲に馴染むような服」というのは、結構ほかの登場人物の皆さんもそうなんですよね。 パッと見てどこのメーカー・ブランドのものかがわかるような服は着ていなくて、それが物語の邪魔もせずに普遍性を持っているというところは、とても意識されていたような気がします。
その中でも、ただみんなが無色でいればいいわけではないというところでの衣装の選別においては、古川監督は、信頼をおくスタイリストの前田勇弥さんにお願いをして、そのツーカーの関係性の中、阿吽の呼吸で衣装を選ばれていました。僕もそれを着用してみて、迷いなくしっくりくるものを最初の段階で用意してくださっていたので、衣装あわせはスムーズでした。

映画『金子差入店』より

──洋服はベーシックでしたが、差入店の店内はすごく風情がありましたね。あのセットは丸山さんのお芝居や精神にどのような影響をもたらしましたか?
丸山:(セットは)料理人でいう台所だったりしますもんね。 あの場所には、妙な懐かしさと安心感がありました。それは、差入店にいらっしゃる方がいろんな思いを抱えていることとも関係があるのかもしれません。
それから、手の届く範囲に全てのものがあって、早く手続きができたり、用件を聞くことができるようにしているのかなと思いました。一見、駄菓子屋さんみたいな雰囲気がありますが、僕が見た実在する差入店も、シャッターは閉まっていたのですが、共通する風情がありました。もちろん、違う雰囲気のところもあるとは思うのですが。
セットの差入店は実家に帰ってきたような安心感がありつつ、手の届く範囲に全てのものがあるので、こういう動きをするんだろうということがわかりやすくて、お芝居をしやすかったです。「意図せず」がよく計算されていたセットなんじゃないかなと思います。
あとは思ったより狭くて、そのほうが依頼人にとっては身近に感じられるからいいのかな、とか、その上でちゃんと距離も取られていて絶妙だなとも感じていました。初めて聞かれた質問です、面白い。
──ありがとうございます。金子にとって、罪を犯してしまった過去はどのような重みを持っていたのか、丸山さんの体感としてはいかがでしたか?
丸山:それぞれみんな、生きていたらきっと何かしら悔い改めたい過去はあると思うのですが、常にそのことを考えているわけではないですよね。
例えば、家族でご飯を食べている時には忘れていても、ふと風呂場で一人になった時や、リビングでたばこを吸っている時、 寝る前などの、すっとできた日常の隙間に「今、俺は正しいのだろうか?」みたいな思いがよぎることはあるはず。そういうシーンも、この映画の中には言葉なくポン、と置かれていたと思います。
重たい過去があるからといって、常に暗い人間でいることも違う気がしたので、どこかにそれがあることは意識しつつ、日常の隙間や、ふと、何かのきっかけがあった時に──今回なら、近所で起きた殺人事件のような出来事──をきっかけに、沈んでいたヘドロがブワッと浮かび上がってきてしまって、自分ではどうにも収まりがつかないような、そういうシーンを作っていくことができればいいなと考えながら演じていました。
掘り返されたり、自分で勝手に掘り返してしまった時に、そういう過去が滲み出ればいいな、という考え方です。だからきっと、ご覧になられた方の中には、金子に対して「どういう気持ちで生きているんだろう?」と感じる方もいると思います。それに、被害者からしたら、当然「どういうつもりなんだコイツ」ってなるはずですし。
僕自身も、劇中、どんどん追い詰められていったので、ずっとその部分を考えていたわけではないのですが、監督や共演者の方々と丁寧にシーンを積み重ねることで、そうしたグラデーションを作ることができたように思います。

映画『金子差入店』より
守るべき存在がいることが、救いであり呪縛
――緊迫感があったのは、北村匠海さん演じる小島高史との対面シーンです。互いにどんどん挑発していくような丁々発止のやり取りは、現場ではどのような感じだったのでしょう。
丸山:撮影って意外と地味なもので、撮っている間、お互いの心が動いていることはわかるのですが、劇的なことが起こっているという感覚はあまりないんです。シーンが全部つながり、映画が完成してスクリーンで見た時に初めて、「こんな劇的なことが起こっていたんだ!」とわかります。だから現場で「すごいやりとりをしたな」という思いはあまりありませんでした。
ただ、あのやりとりの中で、金子と小島はお互いを人間として探り合っているんですよね。その探り合いに違和感がなかったことが印象的でした。
自分の中では意図していないことだったのですが、小島と対話をしていると、だんだん目の前の小島に腹を立てているのか、それとも自分に対して腹が立っているのかわからない、ぐちゃぐちゃな状態になってきて。金子として自分自身と対話しているようでもありました。
なので、役者・丸山隆平としてはどうでしたか?と聞かれても、格好つけているわけではなく心からの思いとして、「あの場面は金子としてどうもできなかった」ということに尽きます。
ちょっと、呪いっぽい感じでもあると思うんですよね。自分が過去にしてしまったことに対峙しなければならない呪い。そこに向き合わなければいけない状況下だったこともあり、なんだか、自分のことではなく、他人の話をしているようなすっきりしない言い方になってしまって、ごめんなさい。
──いえいえ、映画を拝見すると、今言っていただいたことはよくわかります。金子と小島は相似形というか、母親への複雑な思いを抱えていることを含め、どうしても二人の像が重なって見えました。その中でも金子と小島が歩んでいる道は違って、金子は塀の外に出て自分の仕事を持ち、社会復帰をしていますが、小島にはそういう救いの気配を感じ取ることができません。丸山さんからご覧になって、金子が救われた理由というのは……。
丸山:伯父さんと子供と、妻かなぁ。家族の存在って、人は一人では生きられないということの象徴じゃないですか。そこには、きっと母親も入ってくるとは思うのですが。ただ、救いってこんな残酷やねんなって思いました。
──残酷でしたか。
丸山:それでも生きていかなきゃいけないし、守らなきゃいけない。でも守れるかどうかもわからない。自分に対して怒りを抱えて生きて償っているつもりでも、被害者からしたらそんなことは関係がない。
だから救われているようで救われてはいなくて、ちょっと報われている時があるだけなのかもしれません。家族や守るべき存在がいるということが、彼にとっての救いであり「生きなければ」という呪縛であるように感じます。

映画『金子差入店』より
