ウエストを細く造形するための下着として使用された「コルセット」。
本来は19世紀以降の用語だが、その起源は紀元前までさかのぼるともいわれる。
時代とともに技術も革新され、さらに現代では下着を表層化し、ファッションとして着用されるようになった。コルセットの歴史をたどる物語をお届けする。
『装苑』2023年1月号掲載
北方晴子(文化学園大学教授)=文
text : Haruko Kitakata
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この記事の内容
1p 古代~19世紀、男性のコルセット
2p 19世紀後半~20世紀後半
古代〜18世紀
コルセットの起源
17〜18世紀(18世紀中頃)フランスのコルセット(文化学園服飾博物館蔵)
ヨーロッパのファッションの歴史は、身体の形を変形してきた歴史である。ゆえに、コルセットは服飾史において重要な役割を果たしてきた。
コルセット(corset)とは、フランス語で「身体を示すcorps」から派生した語で、上半身の体型を整えるための下着である。イギリスで古くから使われていたステイズ(stays)という言葉もしばしば使われる。
起源は明確ではないが、女性がウエストを締め、バストを強調した様子は古代から見られた。クレタの女性像にはその様子が彫刻で表現されている。そして、古代ギリシア、ローマ時代は、女性的な身体の特徴を表現することはなかった。
中世に入ると、ヨーロッパでは「女性はドレス」「男性はズボン」という服装における男女差が成立する。13世紀頃、女性はブリオー(bliaud)と呼ばれるウエストの形を整える衣装を着用した。当時の彫像からはブリオーは身体に密着している様子が分かる。今日のコルセットの原型を見ることができよう。
そして、中世末期、ヨーロッパの服の特徴になっていく身体の線を衣服で示すようになる。当時、ヨーロッパで最も豊かであったと言われるブルゴーニュ侯爵家が、豪華な衣装を着ていたことは財産目録などでも確認できる。ブルゴーニュの女性たちは、バストを高く持ち上げ、ウエストを強調したローブ(robe)と呼ばれる衣装を着用していた。
その後、16世紀頃の女性たちの服装は、上半身はボディス(bodice)、またはコール(corps)で細いウエストを強調し、スカートはファージンゲール(farthingale)、またはヴェルチュガダン(vertugadin)と呼ばれる道具で大きく左右前後に膨らませる伝統が始まる。ボディスはバスクと呼ばれる張りのある鯨のひげで支えた。バスキーヌ(basquine)、コール・ア・ラ・バレーヌ(corps à la baleine)とも呼ばれた。これはスペインのバスク地方に由来する。16世紀はスペインがヨーロッパモードをリードしたことに起因する。この時代、鉄製のコルセットも残されている。先端はとがり、着用した女性は流産や虚弱な子供を出産し、ベネチアでは使用が禁止された。
1778〜1781年 男性仕立師によるコルセットの試着『Gallerie des modes et costumes français』(文化学園大学図書館蔵)
18世紀に入ると、コルセットは胸を持ち上げ、ウエストを細くし、スカートはパニエ(panier)と呼ばれる腰枠で左右に広げた。この頃の版画には、女性がコルセットを試着する様子も描かれている。
19世紀
コルセットの時代
1880〜’90年代 白木綿地のコルセット(後ろ)74本もの細長いくじらひげが用いられている。 (文化学園服飾博物館蔵)
コルセットは19世紀に全盛期を迎える。1800年頃、ヨーロッパではシュミーズドレスというシンプルでストレートなシルエットが流行しコルセットはいったん姿を消すが、’30年頃から再び登場する。
特に、1870年代はコルセットを極端にきつく締め付け、砂時計のようなシルエットを作ることが流行した。この時期に起こった細いウエストへの熱狂ぶりは、女性とコルセットの700年余りの長い歴史の中でも、例がないほど極端であった。当時の理想のウエストの細さは、42.5㎝とも言われた。
1880〜’90年代 ピンク地にレース、リボン飾りのコルセット(文化学園服飾博物館蔵)
そして、その極端に細く締め付けることが女性たちの健康に深刻な悪影響を及ぼすという議論が活発化する。コルセットが呼吸器疾患、肋骨の変形、内臓の圧迫、損傷、虚弱体質、出生異常、流産、死産の原因になると指摘する医師や評論家が出現する。
一方で、コルセットが骨格を正しい位置に保つ不可欠な道具であるという肯定派による説もあった。また、成熟した女性にとっては、身だしなみの一つとして受け入れられた。事実、コルセットの生産量は増え、売り上げが伸び、種類も増えた。
1824年 コルセットを持つ、パリのコルセットのクチュリエールの様子『Costumes parisiens, les ouvrières de Paris』(文化学園大学図書館蔵)
当時、母親たちは小さな娘までコルセットでウエストを締め上げた。早いうちからウエストを締めなければ、良い伴侶を見つけられないという理由からであった。細いウエストは結婚市場では一定の価値を保証したのである。他にも、夫が細いウエストを好むことから、夫の愛情を失いたくないがために、眠るときもコルセットを緩めず、念願の細いウエストを手に入れた例もあった。そこには容姿の観点から、細いウエストが有益であったことが分かる。
1874〜’77年 ルーヴル百貨店のカタログの一部『Grands Magasins du Louvre』 (文化学園大学図書館蔵)
なぜ、女性はコルセットでウエストを細く縛り続けたのだろうか。細いウエストに、ペチコートの下にはクリノリン(crinoline)やバッスル(bustle)で大きく広げた非生産性は、当時の女性の社会的な地位が大きく関係していた。19世紀の女性は、経済活動には従事せず、着飾って客をもてなす、男性のために家庭の居心地を良くするという考え方が強かった。それがファッションにも反映したのである。実際に労働しているようなものは排除し、コルセットでウエストを締め上げ、身体は細く弱々しい印象を与える必要があった。家庭人としての役割が重要で、非労働的にふさわしいスタイル、それが19世紀の理想の女性美であった。その後、1900年代の「S」型コルセットまで、その時々に流行ったシルエットに体のラインを補正するために使用され続けた。
男性のコルセット
コルセットというと女性のものと思いがちだが、19世紀には男性にもコルセットが使用された時期がある。もともと男性用コルセットは、乗馬などのスポーツで身体を守るためや、高級軍人らが姿勢を保つためにも使用されたが、1815年〜’20年頃、特異な現象として、女性と同じ、背中で縛る男性のコルセット(鯨骨入り)が流行した。ダンディたちの間で、極端に細いウエストが好まれたのである。ダンディズムとは19世紀初頭のイギリスで誕生した新しい美意識である。ダンディは、身体にぴったりとした衣服が大事とされたこともあり、ウエストの細さを競い、太ったお腹はコルセットで押さえた。細いウエストを強調するために、肩はパッドでいからせ、ヒップは詰め物をして張り出させたほどである。
当時のイギリス社交界で稀代の色男と言われ、女性に大変人気のあったバイロン卿は、すらりとした体型が自慢で、体型を維持するためにスポーツ、ダイエットに励み、食事は1日1回、肉、酒、砂糖を断ったそうである。
貴族階級が崩壊し平等化した19世紀に、優雅な生活が保障されたエリート性を示すため、細いウエストで労働をしないことをファッションで表現した。
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