19世紀後半〜
コルセットの衰退
1910年頃。水色の木綿地にレース、リボン飾りのコルセット(後ろ)。これまでのS字カーブのきつく締めるコルセットより、ハトメ穴の間隔が広く、着心地をよくするための工夫がされている。(文化学園服飾博物館蔵)
19世紀後半から、女性たちの間でサイクリングやテニス、ゴルフといったスポーツを楽しむようになる。しかし、当時はドレスの下にコルセットを着用したままスポーツをした。その後、少しずつ、動きやすい服を求めて服装改革は進んでいく。
1929年 パリジャンの最新作。ポール・ポワレによるデザイン『Les créations parisiennes』(文化学園大学図書館蔵)
20世紀初頭、パリのオートクチュールデザイナーからコルセットを使用しないストレートなシルエットが提案された。女性の自然な身体を重要視した20世紀ファッションを特徴づけたデザイナー、ポール・ポワレである。彼はコルセットを女性の身体から追放したデザイナーとして知られる。ポワレは、当時の時代の好みでもあった異国趣味を取り入れ、19世紀までの装飾的で身体を拘束するファッションに代わって、緩やかでシンプルなドレスを発表した。続いて、マドレーヌ・ヴィオネも自然な身体の美しい曲線を表現したドレスを提案した。遠いヴェネチアでも、マリアノ・フォルチュニが、シンプルなドレスにプリーツという装飾を加え、自然な女性の身体を表現した。スリムな若々しい身体が女性の理想像となり、19世紀の家庭を重視し、子供を産み育てる豊満な女性の身体は古いものとなった。そして、スポーツを楽しみ、社会に出て活動範囲を広げる女性の姿は新しい理想となっていった。
第1次世界大戦は、女性の意識に大きな変革を与えた。大戦下、戦場に出た男性に代わって軍事工場や病院、農場で働く女性たちは、働きやすい服装を求めるようになった。コルセットやドレスの長いスカートは必要とされなくなった。
しかし、第2次世界大戦後の1950年代、細いウエストは大ブームとなる。ʼ47 年にクリスチャン・ディオールが戦前の女性らしい細いウエストを強調した「ニュールック」を発表すると、世界中の女性たちがそのスタイルに従った。大戦下でお洒落ができなかった女性は優雅なファッションに憧れたのだ。ディオールはコルセットを使わずにドレスや上着にボーンを入れ、ウエストを細くした。下着メーカーは細いウエストにバストを押し上げた新しい整形下着を開発し、女性たちはそれを買い求めた。
その後、1970年代〜’80年代にはスポーティで健康的なライフスタイルが価値を持ち始め、女性たちは身体の形を整え、ウエストを細くするために、食生活や運動、美容整形に目を向けるようになった。昔のように、コルセットでウエストを細くする必要はなくなったものの、女性たちは常日頃から身体を維持し、自らの努力でウエストを細くすることが要求された。
ポール・ポワレ、 マドレーヌ・ヴィオネ、 マリアノ・フォルチュニ、 クリスチャン・ディオールの「ニュールック」に関する解説はこちらをチェック!
20世紀後半〜
コルセットとデザイナー
コルセットは消滅したわけではない。コルセット好きの人たちによって、フェティシズムの表現手段や女装アイテムの一つとして今も着用されている。そして、現代ではファッションのデザインとして見ることができる。1990年代、デザイナーによるコルセットが登場してくる。
アヴァンギャルドデザイナーの旗手、ヴィヴィアン・ウエストウッドは’70年代ロンドンのパンクファッションを牽引した。次第に歴史衣装からインスピレーションを受けるようになる。コルセット、クリノリン、バッスルなど過去の下着を表着にするファッションをデザインした。ジャンポール・ゴルチエは、自らもスカートを着用するなど、ファッションにおけるジェンダーを崩壊させた。当時、マドンナの衣装デザイナーとしても知られ、コルセットにヒントを得た衣装は代表作の一つとして有名になった。本来、人目に触れることのない下着であったコルセットが表着になった瞬間である。こうした20世紀末に起きたコルセットの復活は、モード界に大きな影響を与えた。’87年にデビューしたオートクチュールデザイナー、クリスチャン・ラクロワは、コルセットを原型としたドレスを発表した。
さらに、フセイン チャラヤン、ティエリー ミュグレー、ジョン ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーン、カール ラガーフェルド、イッセイ ミヤケといったメゾンもコルセットにヒントを得たデザインを提案した。2022-ʼ23 年秋冬コレクションでも、コルセットはトレンドとして注目を集め、現在でもファッションアイテムとしての重要な役割を果たしている。