「PORTRAIT」 © firstVIEW/IMAXtree
2022年12月、50年以上に渡りモード、カルチャー界に大きな影響を与えたロンドンのファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッドが逝去しました。ちょうど2022年まで本誌『装苑』の連載ページでも様々なクリエイティビティを発信し、アクティビストとして思想を語ってくれました。そんな彼女の生き方やファッション界に残した功績と共にブランドを愛してきた方からのコメント集をお届けします!
『装苑』2023年5月号掲載
この記事の内容
P1:ヴィヴィアン・ウエストウッドが及ぼした影響
P2:LiSA(アーティスト)、RYOKI(BE:FIRST)、高橋らら(モデル)などヴィヴィアン・ウエストウッド愛用者からのコメント集
ヴィヴィアン・ウエストウッドが及ぼした影響
text:Tomoka Westwood
画像提供:文化学園ファッションリソースセンター
――ヴィヴィアンの生き方とデザイン
2022年12月29日、偉大なファッションデザイナーであり、アクティビストのヴィヴィアン・ウエストウッドが逝去しました。名だたるメゾンが外部からクリエイティブディレクターを迎えブランドを展開させていく中で、ヴィヴィアン・ウエストウッドは50年以上も自身で活動し続けた稀有な存在でした。
若かりし頃のヴィヴィアン・ウエストウッド。
1971年に当時のパートナーであるマルコム・マクラーレンとチェルシーのキングス・ロードでレコード店を始めたヴィヴィアンは、そこでロックテイストやフェティッシュなスタイルの服を作り始めました。その後、店の常連客だったセックス・ピストルズに服を着せたことで、ファッションと音楽が一体となったパンクムーブメントが生まれ、世界中に激震を走らせたのです。
1981-’82AW「PIRATES」
ʼ81年には海賊をモチーフに、今でもブランドの顔となっているスクイグル柄が際立つ「パイレーツ」コレクションを発表。
1985SS「MINI-CRINI」
マルコムと別れたヴィヴィアンは、その後もʼ85年の「ミニクリニ」コレクションで見られるように、フェミニンな19世紀の歴史的クリノリンドレスをアクセントに、セクシーで突飛なコレクションを披露。
木製の厚底ソールでかかと部分が欠けているのが特徴。ブーツのほか、ストラップつきのバレエシューズが人気。
今でも大人気のロッキンホースシューズが登場したのもこの時です。
1990-’91AW「PORTRAIT」Niall McInerney, Photographer. © Bloomsbury Publishing Plc
ʼ90年の「ポートレート」コレクションでは、18世紀の絵画と服から着想を得たコルセットに注目が集まりました。18世紀当時と変わらないデザインに伸縮素材で機能性をプラスしたことに関して、当時からエシカルを意識していたヴィヴィアンは、コルセットのクオリティのためにそこだけは環境に良い素材を使うことができないと言っていたそうです。
1995-’96AW「VIVE LA COCOTTE」 ©Marineau/Tordoir/Catwalkpictures.com
そしてʼ95年の「ヴィヴ・ラ・ココット」コレクションでは、バストやヒップにパッドを入れ、さらに女性の体の丸みを強調するコレクションが話題になりました。歴史から着想を得て現代に落とし込む、既存の考えを覆した奇才ヴィヴィアンの信念は、ファッションにおける表現だけではなく、彼女の生き方そのものだったのです。
――ファッション&カルチャーを体現するブランドに
ロンドンのキングス・ロードにある伝説のショップ「ワールズ・エンド」。ランドマークの時計は変わることなく時を刻んでいる。
’80年代以降、世界中がとりこになったヴィヴィアン・ウエストウッドは、もちろん日本でもムーブメントを起こします。インターネットがない当時、日英を行き来していた日本のセレクトショップオーナーやパンクファンがロンドンの「ワールズ・エンド」に買い付けに行き、日本で紹介したことが、そのきっかけに。ファッション界だけに限らず、多くのアーティストに愛用者が増え、映画の衣装として起用されるなど、日本のカルチャーシーンにもその名をとどろかせました。
1993-’94AW「ANGLOMANIA」 © firstVIEW/IMAXtree
LOUISE ハートショルダーバッグ¥89,100 ヴィヴィアン・ウエストウッド(ヴィヴィアン・ウエストウッド インフォメーション)
タータンチェックのジャケットやミニスカート、ORB(オーブ=天体モチーフのブランドロゴマーク)が施された小物、ロッキンホースシューズなどが人気で、入荷後はすぐに売れてしまうことも。ʼ96年には待望の旗艦店が東京・日比谷(現在は青山に移転)にオープン。ヴィンテージと新作をミックスするコレクターも多く、ʼ90年代には〝ヴィヴィ子〟と呼ばれる全身ヴィヴィアン・ウエストウッドをまとった若者たちが原宿を中心に全国に広がっていったのです。
――すべてはより良い世界のために
photograph : Ki Price
幼少の頃から人間が不公平であることに納得がいかずに生きてきたヴィヴィアンは、2000年ごろから以前にも増してアクティビストとしての活動に重きを置くようになりました。息子のベンは、アクティビストとしての活動を次のように解釈していたようです。
「母のデザインは彼女の人生哲学の一部で、服作りをするプロセスによって結果を導くということを意味していました。彼女は自身の服を、定められた考えを打ち破るために使っていました。その理由は、少数の人たちが支配するこの無知な社会を、もっと公平で、もっと平等な社会へと変えていきたいと願っていたからです」
どんなに小さなことでも、個人の依頼でも、心を動かされればデモやパブリックスピーチの場に駆けつける、まさに自由戦士。彼女は最後までイラク戦争の真実を暴露したジュリアン・アサンジを支持していました。
気候変動を危惧する活動団体「Climate Revolution」を立ち上げたり、英国でシェールガスが採掘されるとなると、戦車に乗って当時の英国首相の私邸前で反対を訴えるほか、様々なデモにも参加していた。
photograph : Ben Westwood
2年前に非営利団体の「The Vivienne Foundation」を設立、その目的は、ほかのNGO団体と協力してより良い世界を作ることでした。そうした活動のための資金源となるように、亡くなる直前まで服のデザインやアート制作をしていたのです。ファッションを通して世界のために活動してきたヴィヴィアンは、私たちにたくさんの課題を残しました。しかし私たちが世界のために行動すれば、彼女のレガシーが消えることはありません。私たち一人一人が、彼女のレガシーを引き継ぐのです。
――ヴィヴィアン・ウエストウッドはこれからも進む
2013-’14AW「SAVE THE ARCTIC」 © firstVIEW/IMAXtree
彼女はいつも二人の息子とアンドレアスに囲まれていました。ヴィヴィアン・ウエストウッドは、30年来のパートナーであり、クリエイティブディレクターのアンドレアス・クロンターラーが牽引していきます。「僕は最後の最後まで一緒に仕事をしていました。そしてヴィヴィアンは僕に多くの宿題を残していきました」とアンドレアスは言います。
2022-’23AW Collection
ʼ88年に出会った二人はとてもユニークな愛の形を持ったカップルでした。アンドレアスはその美的感覚に絶大なる信頼を置かれ、ヴィヴィアンの右腕としていつもそばにいました。美しい画集を鑑賞しては意見を言い合い、「私は好きじゃないけど、あなたのコレクションには使ったら?」とヴィヴィアンが冗談で言っている姿が今でも目に浮かびます。自身では好まない、彼の好むエッセンスが彼女は好きだったのです。
2023SS Collection
そんな相違を織り交ぜることで、長きにわたり美しい作品を作り続けることができたのです。ヴィヴィアン・ウエストウッドは、彼なしでは今の成功を成し得ていなかったかもしれません。アンドレアスが「これからは心の中で僕がヴィヴィアンと仕事をしていく」と宣言したように、今までと変わらず彼女の理解者となって、コレクションを作り上げていくでしょう。
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