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【KENZO】展覧会が開催中!
今再び注目を浴びる、髙田賢三の代表作をカンタン解説

2024.07.19

モード界で日本人が世界進出するパイオニアとなったファッションデザイナーの髙田賢三。2020年に惜しまれながら逝去した彼の没後初となる大規模個展「髙田賢三 夢をかける」が、東京オペラシティ アートギャラリーにて開催中。オートクチュールからプレタポルテへと移行する時期のパリで「プレタポルテの騎手」となった彼のファッション界に残した功績をご紹介します!

『装苑』2021年5月号掲載

パリを驚かせた髙田賢三のアイデンティティ

胡桃澤教子(文化服装学院専任講師)=文 
協力:文化学園ファッションリソースセンター

 1965年、髙田賢三がパリへ行こうと決意した時、文化服装学院時代の恩師・小池千枝に、あるアドバイスをもらう。「パリへ行くなら飛行機を使わずに船を使いなさい」。パリへ向かう途中に様々な世界の国の文化を見て回り、それがそのまま髙田賢三のデザインの持ち味になる。フォークロアへの視点は、’70年代の時代背景として、既成の価値観(ファッションにおいてはパリ・オートクチュール)への反発であるヒッピー・ムーブメントの民族服への注目があったことも一因である。「フォークロア」とは、ファッションでは民族的なイメージを取り入れたデザインなどを指すが、髙田賢三は’70年代のパリで、いち早く作品にその要素を取り入れたデザイナーだった。イヴ・サンローランも同時期、アフリカや中国から発想した作品を発表するが、エレガントで品のいい、あくまでパリ・オートクチュール製フォークロアという表現がふさわしい。

 ケンゾーのフォークロアルックの特徴は、ひとつに日本製であることだった。日本で買い付けた浴衣地や木綿といった安価で身近な生地を使い、着物のようなゆとりを含ませた平面裁断で、様々な国の民族衣装を日本的な重ね着で見せた。むろん、当時の髙田賢三はまだ若く、制作費にお金をかけられなかったからだというが、それがかえって西洋の目に新鮮に映り、メディアに大々的に取り上げられることとなった。それこそが、日本風でありながら、最先端のパリ・ファッションとして認められたケンゾールックである。19世紀後半、ヨーロッパに日本文化が紹介され、ジャポニスムが沸き起こったが、このケンゾールックは、パリのプレタポルテにおける日本の再発見であった。

 1960年代までのファッションは、1体でスタイルが完結する、作り込まれた服が主流であった。しかし、若者が流行を作る時代になると、彼らは高価なオートクチュールの服は買えないが、その代わりに、安価なものでも自分なりのコーディネーションでおしゃれを楽しむようになっていた。髙田賢三の重ね着の発想は、同じ型の服を重ねて着るという着物の着方からくるもので、このスタイルがぴったり時代にマッチした。それらは、花柄とチェック、花柄と水玉といった柄と柄のレイヤードも特徴で、服そのものではなく、全体の雰囲気やそれぞれの組み合わせによっていかようにもアレンジできる。それによって無限に広がるファッションの可能性をコーディネーションして見せたのだった。

 また、髙田賢三が目指した服は、体のサイズに縛られない服。オーバーサイズ、いわゆる人の身体の形にぴったりではない服が格好いいという感覚は、それまでほとんどなかった。彼が当時出会った本『Costume,Lear coupe et Leur forme コスチューム、そのカットとフォルム』において、自らの作品が日本的な直線裁断で平面的な衣服構成であり、それが結果的にヨーロッパ古代の衣装に共通点があることに気がついた。このように、髙田賢三の服には、身体に沿わせるためのテクニックであるダーツやファスナーは排除され、デコントラクテ(楽な、くつろいだ)なムードが漂う。それは、直線裁ちや平面カットによって、ゆとりを持たせた日本の着物にその発想を求めながらも、東洋の民族衣装や、ヨーロッパ古代の衣装にも見えるという点において、あらゆる国の衣服文化を垣間見ることができる。

 髙田賢三が目指したものは、「アンチクチュール」だった。この言葉は、「正統=パリ・オートクチュール」というヨーロッパの美的価値観に反発するというような意味合いを持つ。それは次に登場する1980年代における川久保玲と山本耀司が引き起こす「黒の衝撃」の先駆けになる。日本人でありながら、ファッションの本場、パリで戦うために日本人の感覚を武器にして、それまでのファッションにはなかったフォークロアや重ね着、オーバーサイズといった非ヨーロッパ的な要素をみごとにパリ風に変えた。それはパリに反発し、衝撃を与えるというよりは、時代の雰囲気とともに広く受け入れられた。

 現代ファッションにおいて、それまでに見たことのない、まったく新しいものは見つけづらくなってしまった。デザイナーたちは、様々な時代のスタイルやアイデアを集めてきては、ケンゾールックのように組み合わせ、重ねて、ミックスして新しく見せる。ジェンダーレス、エイジレス、サイズレスなど、ファッションの世界でも既存の概念を取り払ったフラットなものの見方が重視されている中で、いち早く1970年代において、髙田賢三の言う「アンチクチュール」の精神が掲げたのが、ファッションの多様性なのである。

Kenzo Takada
兵庫県姫路市出身。文化服装学院が男子の入学を認めて2年目の年に入学。同期には、デザイナーのコシノジュンコ、松田光弘、金子功などがいる。卒業後、「ミクラ」を経て「三愛」に入社。三愛時代に休職して渡仏し、1970年に自身のブランドを立ち上げ、パリでコレクションデビュー、また、ブティック「ジャングル・ジャップ」を開店。’99年、30周年を最後に〝ケンゾー〟のデザイナーを退き、自身のデザイン活動を続ける。2020年にはホーム&ライフスタイルブランド〝K三(ケイスリー)〟をスタートさせた。同年10月、新型コロナウイルス感染による合併症のため死去。享年81歳。

NEXT:没後初の大規模展覧会「髙田賢三 夢をかける」をチェック!

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