
撮影:貝原茂(文化出版局)モデル:伊藤レナ『装苑』1977年4月号掲載
装苑賞に挑み、現在も第一線で活躍するデザイナーたちをピックアップ。夢を持ち続け何度も装苑賞にチャレンジした軌跡と今を紹介する。
『装苑』2015年2月号の掲載内容を再編集しています。
【装苑賞に挑んだデザイナーたち】
Vol.4
田山淳朗
田山淳朗さんが審査員に就任したのは、第73回装苑賞が開催された1998年のこと。当時のインタビューで、なぜ審査員をするのかという問いに「自分も経験してきた、何十年もの間の装苑賞の流れで、いい意味でも悪い意味でも装苑賞らしさができ上がってしまっている。それに対して違うものを、アンチというか『ポスト装苑賞』と呼べるものを選んでいきたい」と答えている。
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第40回装苑賞候補作品。デフォルメされたデザインを評価され選ばれるも、実物は無難におさまったと、中村乃武夫先生から「今一度、こんなものを作りたい、にアタックしてください。経験の後に本物が生まれるもの」と選評された。撮影:貝原茂(文化出版局)モデル:シャーリン『装苑』1976年8月号掲載

第42回装苑賞候補作品。ビッグシルエットの鮮やかなブルーのコートと白のインナーの対比がポイント。撮影:貝原茂(文化出版局)モデル:伊藤レナ『装苑』1977年4月号掲載
その言葉が示すように、数多くの候補者を装苑賞へと導き、後進の育成にも力を入れる田山さんも、文化服装学院時代から装苑賞に挑戦している。

第73回の装苑賞審査員に就任した心境を語る。撮影:石川千絵(文化出版局)『装苑』1998年1月号掲載
候補に3回選ばれたものの、どの作品も装苑賞を受賞することはかなわなかった。しかし、初の装苑賞候補選出と同時に『ハイファッション』が主催していた、ピエール・カルダンが審査員を務める「カルダン・ハイファッション賞」に輝いている。

『ハイファッション』が主催の第14回カルダン・ハイファッション賞受賞作品。ビニールコーティング加工のコットンで作ったジャンプスーツはエレガントなレインコートのよう。『ハイファッション』1976年4月号掲載
ジャンプスーツというモダンアイテムをエレガントにデザインしたその作品は、 “ATSURO TAYAMA”の原点ともいえるだろう。

田山淳朗
1955年熊本生れ。’75年、文化服装学院を卒業し、Y’s入社。同年、第14回カルダン・ハイファッション賞を受賞。’78年に渡仏し、’82年の帰国と同時に自身のブランド “A.T”を発表。’84年、東京コレクションに参加し、’86年に毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞を受賞。’89年、再び渡仏し、パリにて “ATSURO TAYAMA”をスタートする。’91年、パリ・コレクション初参加。
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