装苑賞に挑み、現在も第一線で活躍するデザイナーたちをピックアップ。夢を持ち続け何度も装苑賞にチャレンジした軌跡と今を紹介する。
『装苑』2014年11月号掲載
Vol.2
津森千里
津森千里さんの初ノミネートは文化服装学院を卒業してすぐのころ。最初に津森さんを見いだしたのは、当時、審査員だった“イッセイ ミヤケ”のデザイナー、三宅一生さんだ。その作品が第40回装苑賞の佳作2位を受賞。
第40回装苑賞佳作2位受賞作 選者の三宅一生さんより「なかなか巧みに自分らしい世界を作っている」と高評価を受ける
その後、立続けに3作品が佳作に輝いた。全6作品中、佳作1位に1回、佳作2位に3回輝くという、装苑賞でも類を見ない受賞歴は、津森さんがすでにデザイナーとしての実力と個性を持ち合わせていたことを物語る。
(左)第41回佳作2位受賞作 2度目の選出も三宅さん。40回から一転「楽しさも、オリジナリティもなくなってしまった」と厳しい評価に。(右)第42回佳作1位受賞作 やまもと寛斎さんが選んだ作品は装苑賞まであと一歩。
第43回佳作2位受賞作 コシノジュンコさん選出。ポップな色づかいとスポーティさは、どの作品にも共通する要素。
装苑賞には惜しくも届かなかったものの、三宅さんとの出会いから1977年にイッセイ ミヤケ インターナショナルに入社。 “イッセイ スポーツ”のデザイナーに抜擢される。その頃の『装苑』でイッセイ スポーツのデザインについて、「ほんの少しどこかユーモラスで、楽しい服」と話している。
1977年11月号で、若い女性たちの活動を取り上げる連載「装苑ゲストルーム」に、装苑賞を目指すフリーデザイナーとして登場。同じ年に漫画家の竹宮恵子さんやアナウンサーの楠田枝里子さんらも取り上げられた。撮影:鈴木孝侑
1978年9月号。装苑賞で活躍した若手デザイナーのデザイン集「from SO-EN NEW AGES」から。津森さんは秋にもシックな色だけではなく、鮮やかな色を合わせることを提案。
その後は自身の名を冠した“I.S.Chisato Tsumori Design”でデビューし、’90年に“ツモリチサト”をスタート。いつの時代も女の子の心をとらえて放さない津森さんのデザインは、装苑賞の作品から最新コレクションに至るまで、常に「ユーモラスで、楽しい」ファッションであふれている。
津森千里
1976年、文化服装学院ファッションデザイン科を卒業後、’77年にイッセイ ミヤケ インターナショナルに入社し、イッセイ スポーツのデザイナーとして活動。’90年、TSUMORI CHISATOをスタートし、東京コレクションに参加。2003年10月にパリ・コレクションに進出。’17年、ニューヨーク・シティ・バレエ団『Fashion Fall GALA』に衣装デザインを提供。’18年にブランドブックを上梓し、同年、初の展覧会「WAKU WORK 津森千里の仕事展」を開催。’19年より、楽しいものづくりを目指し、活動を続ける。
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