
峯田:神田くんはいつ洋服やろうってなったんですか?早稲田に入ってから洋服やろうと思ったの?
神田:僕は大学に入って出逢った友人たちを通してファッションに目覚めるんですよね。だから峯田さんの高校時代の周り人たちのファッション感度が高いし早いなと思って……。
峯田:うちの高校が変だったの。
神田:やばい高校だと思うんですよ。ニルヴァーナを聴いてる人がたくさんいるとか。
峯田:うちの高校、洋服が好きなやつが多かったね。俺はファッション疎かったけど、周りは好きな人が多くて。斎藤正樹(元・マネージャー)とか、村井くん(元・銀杏BOYZドラマー)とか、あと庄司信也くん(元「youth records」主宰)とかね。みんな変なやつ。で、俺が入ってた軟式野球部は、普段の練習の時の格好が自由なんですよ。だから野球やってんのに、ACミランのユニフォーム着てた(笑)。
神田:一周回ってファッションですね(笑)。
峯田:マッシュルームカットで、ACミランでピッチャーやってた(笑)。応援団もさ、普通、高校の応援団っていったらヤンキーみたいな奴が多いじゃないですか。でも、うちの高校の応援団は全員モッズだったの。
神田:ハイブリッド過ぎる!
峯田:で、あいつらが文化祭になると、Oasisのコピーバンドをやってるの。完コピで。しかもちゃんとカスタムするんですよ。学ランをなんかモッズっぽい仕様にしててみんな。
神田:超かっこいい。短くして?
峯田:うん。かっこよかった、ポール・ウェラーみたいな感じで。
当時、腰ばきが流行ってきて、あの渋谷系の感じが山形にも伝播してて。男子はみんな腰ばきしてたんだけど、応援団のあいつらは、くるぶしも見せて、ピチピチのズボンはいてモッズだった。女生徒は何人かがルーズソックスを履き始めてる中で、クラスの三割くらいの男が腰ばきになってきてっていう、いろんなファッションが混在した変な高校で面白かったな。
神田:僕は高校時代あまり友達が出来なくて、早稲田に入ってから一気に世界が広がって、面白い友人たちに恵まれたんです。ファッションの面白さを教えてくれたのも大学の友人でした。そこから服にのめり込んで、後の人生が切り開かれていった。結局、学生時代にどういう友人と出逢えるかなんですよね。
峯田:そうだね。俺もヨシダくんからニルヴァーナ、アベくんにはザ・ストーン・ローゼズ。アライミツルくんにははっぴいえんど、モリくんにはハードコアパンクっていう影響を与えてくれたこの四人のルーツのまんま来ちゃった(笑)。
当時の早稲田は結構刺激が多かったんじゃないですか?三浦大輔さん(劇作家・演出家)も早稲田でしたよね。
神田:三浦さん面識は無いんですけど、1学年上にいらしたみたいですね。小鳥くん(川島小鳥)も同じ時期に大学に通ってて。いろんな人がいたので、本当に刺激が多かったですね。
【後編】に続く……。
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Kazunobu Mineta
1977年生まれ、山形県出身。’96年にロックバンドGOING STEADYを結成。2003年、同バンドの解散後にソロ名義で銀杏BOYZを始動。その後、バンド編成となった銀杏BOYZの活動と並行して、’03年公開の主演作『アイデン&ティティ』で俳優デビューを果たす。以降、『少年メリケンサック』『色即ぜねれいしょん』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』などの映画や、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』といったドラマにも出演。11月からは、宮藤官九郎が作・演出を手がける舞台『雨の傍聴席、おんなは裸足…』への出演も控えている。
Keisuke Kanda
1976年生まれ。早稲田大学、文化服装学院卒業。大学在学中から服づくりを始め、’05年に自身の服飾レーベル「keisuke kanda」をスタート。全国の顧客のもとへ直接赴き、対話しながらオーダーを受けるという独自の販売方法を確立。’23年よりアーティスト・椎名林檎のツアー衣装も手がける。銀杏BOYZとは、’14年から続くライブグッズの共同制作、’21年の「GOD SAVE THE わーるど」MVで監督を務めるなど、唯一無二の関係を築いてきた。’25年、初のメンズライン「keisuke kanda BOYZ」を始動。
峯田さん着用:つなぎ ¥77,000 keisuke kanda BOYZ 、Tシャツ 非売品
銀杏BOYZ
WEB:https://gingnangboyz.com/
X:https://x.com/gingnangboyz_mv
keisuke kanda
WEB:https://www.keisukekanda.com/
X:https://x.com/keisuke_kanda
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