
ミュージシャンとファッションデザイナー。音楽と服、異なるフィールドでありながら互いに刺激を受け合い、創作表現において相乗効果を生んできた二人だからこそ伺えるお話をお届けする本連載。
記念すべき第一回は、これまでグッズやMVなどで共作を重ねてきた銀杏BOYZの峯田和伸さんと、keisuke kandaデザイナーの神田恵介さんにご登場いただきました。
銀杏BOYZは3月から初のアメリカ西海岸ツアーを敢行し、さらに7年ぶりとなるバンド編成での国内ツアー<昭和100年宇宙の旅>も開催。神田さんも今年1月からブランドとして初のメンズライン「keisuke kanda BOYZ」を始動。
音楽とファッションを通じて表現を重ね合わされてきたお二人。変わらぬ創作への情熱と、同じ時代を共に歩んできたからこそ語られるスペシャル対談を、【前編】【中編】【後編】の3部構成でお届けします。
【前編】では、お二人の出会いから、影響を受けたファッション、そして創作における共通点について語っていただきました。
photographs : Jun Tsuchiya (B.P.B.) / styling : keisuke kanda / interview & text : SO-EN
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keisuke kandaとして初めて作った一点物の服で一番最初に着てもらいたい人が峯田さんだった(神田)


──今回は新連載の第一回ということで、グッズやMVを通して長くご一緒されてきたお二人に、これまでの歩みや現在のことなど、いろいろとお話を伺えればと思います。
峯田和伸(以下、峯田):対談なんて二人ではやったことないよね? 何話そうかなー。だって、最初に会ったのがね。なんか手作りのモッズコートがいきなり送られてきてね……。あれって、卒業制作?
神田恵介(以下、神田):文化服装学院を卒業した直後ぐらいの時期で、もう20年前になるかな。keisuke kandaとして初めて作った一点物の服でした。僕が純粋に峯田さんのファンで、一番最初に着てもらいたい人だったんです。
峯田:なんかね、結構大きい箱に入ってて、開けたら分厚いリーフレットみたいなのがあって。で、表紙に「峯田和伸に捧ぐ」って書いてあったの。
神田:完全にやばい奴でしょう(笑)。
峯田:なんだこいつ、と思って(笑)。「あぁ、洋服自分で作ってんだー、この人。へー」と思って開けてみたら、手縫いの、まさに今の神田くんのルーツっていうか、内側もすごい手描きでいろんな模様が描いてあるモッズコートで。「うぅわあ〜かっこいい!」と思って、それで keisuke kanda っていう名前を知ったんですよね。
──長年ご愛用されているモッズコートのことですよね?
峯田:はい。もうライブで着すぎて、クリーニングに出しはするんですけど、素材がボロボロになっちゃって。最近はあんまり着れてないですけど、あれは本当にかっこよくて、衝撃でした。いただいて、めちゃくちゃ嬉しかったですね。
神田:まさか着ていただいてるとは思いもよらなかったんです。当時はSNSもそんなになかったですし確認のしようがなかったので、お送りしてずいぶん経ってから、なんと、ある音楽誌の表紙で着ているのを初めてお見かけして。その時は、「えっ!嘘でしょ?」っていう感じでした。
峯田:確か『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(’10年)の公開の時に、取材で着ていて、それでいろんな人に「あのモッズコート、何?どこのブランド?」とか、結構聞かれましたよ。あの時は、まだ今のkeisuke kandaの象マークもできてない頃じゃないかな。その頃のやつをもらって、それで知り合ったんだよね。
神田:そうですね。初期も初期で、keisuke kandaとしてブランドを始める直前ぐらいの時期でした。
峯田:なんで俺にあんなことしたの?(笑)あれ、神田くんは俺の2個上ですよね?
神田:1個上ですね。
峯田:1976年か。大体そういう物を送ってくれるファンの人たちって、俺より年下が多かったんですよ。年上の人から来てくれるのって、なかなかなかった。だから最初はそれがすごく不思議でした。
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自分が本当に好きなものというのはなかなか人に言えなかった。でも、それを臆面もなく晒すことができたのが、自分にとってはバンドだった(峯田)

神田:峯田さんは昔からファッションは分からないって仰っていますが、「俺はファッションを分かってる」って言う人より何倍もかっこよくて、そこに自分も憧れました。他の人には出せない、絶対的なかっこよさや魅力がある。だからこそ僕はずっと昔から峯田さんに「ファッション」を感じていましたね。GOING STEADY(銀杏BOYZの前身となるバンド)の活動後期、ジャージをたくさん着だした頃から、「これこそ追い求めてたジャージの着こなしだ!」って感銘を受けて、keisuke kandaの初期はそのイメージからデザインしていた部分が多々ありました。
あと、若い頃の峯田和伸を、どこか女の子みたいに見ていたところがあって……。僕はウィメンズからブランドを始めているのですが、最初に「自分の服を着てもらいたい」と思ったのは峯田さんで。でも、それは僕の中ではメンズじゃなくてあくまでウィメンズなんですよ。峯田さんの中の女性的な部分にインスピレーションを感じていて、例えるならウィノナ・ライダーですかね。
峯田:昔は俺の中に“広末涼子”がいて……。広末涼子さんっていうのは、当時の自分にとって、カート・コバーンとかと同じぐらい「なりたい存在」だったんですよ。単純に好きとか可愛いとかとは違う、「この人になりたい」っていう気持ち。要素はまるで違ったとしても、憧れが強くなると、それになれたんですよ。突き詰めると(笑)。
神田:ウィノナ・ライダーではなく“広末涼子”だったのか(笑)。
峯田:髪型とか笑い方とかもちょっと意識してました。恋愛的には異性が好きなんですけど、自分の中の女性性に「あ、俺にもこういう部分がある。しかもこの部分って、作曲とかするときに結構役に立つ感性・感覚の部分だ」と気づくことが多々あって。女性性から生まれる表現みたいなものが、結構、自分の中ではアテになったんですよね。で、ちょうど俺がバンドをやってた頃のライブハウスは、「打ち上げだー!酒飲めー!うぇー!」みたいな男性性が渦巻く場所で。今思えば、そういうマッチョなものに対するカウンターみたいなのはあったのかもしれない。
でも、子どもの頃からそうで、周りが『ジャンプ』とかを読んでいる中、僕はどちらかというと『少年サンデー』が好きで読んでました。高橋留美子とか、あだち充とか。でも当時、アニメが好きで『アニメージュ』を買ってるとか、『サンデー』を読んでるっていうのは、男友達にはなかなか言えなかったんですよ。山形の田舎だったっていうのもありますし、すごく保守的で、ヤンキー文化が蔓延している中で、自分のそういう部分がバレるとやっぱり干されるっていうか。特に同調圧力が強くて……。だから、自分が本当に好きなものというのはなかなか人に言えなかった。それを臆面もなく晒すことができたのが、自分にとってはバンドだった。そこを今、なんか見抜かれたのかな、その女性っぽいっていうのも。
神田:見抜いてたと言うのはおこがましいけど、僕はまさにファッションにおいて、自分たちだけの場所を探しているときに銀杏BOYZに出会ったので、峯田さんの当時の表現活動を見て「探していたものはこれだ」って腑に落ちて、励まされた部分がすごくあって。でも、峯田さん自身は別におしゃれ野郎じゃないところが、自分にとっての指標になったし誇りだった。
峯田:ファッションは好きではあるんですけど、あんまり細かくはわかんない。ただ、感覚で「これかっこいいな」とか「こういうの着たいな」っていうのはわかってるんですけどね。でも、ちょうど俺らが高校生のときにアンダーカバーが出てきて、俺、今でも覚えてるのは、高校二年のときに1個上の先輩4人くらいが、いきなり背中にでっかく“U”って書いてあるコーチジャケットを着はじめて。「なんだあれ?」と思ったら、2か月後にはうちらの学年のおしゃれに敏感な人たちが週末に東京に行って、同じものを買ってきて、2か月でアンダーカバーが10人に増えたんですよ!
一同:爆笑
峯田:で、“U”としか書いてないでしょ。俺からしたら新興宗教みたいなさ、いきなり着はじめて「なんなのそれ!?」っていうのをはっきり覚えてて。拒否反応があったわけじゃないんですけど、ものすごくショックだったの。なんか、大変なことが起きてるっていう感じで。あれは、今思うととんでもない体験だった。
神田:怖かったんですかね?それに対して単純にかっこいいという感覚じゃないところが、凄いんだよなあ。
峯田:ちょっとなんかね、異様だった。大学で東京に来てからようやく正体が分かって、「あ、裏原宿でああいうことが起きてんだな」って。でも、当時の何も分からない田舎の高校生からしたら、いきなり2か月で10人に増えたアンダーカバー集団が、めちゃくちゃ“かっこいい”と“怖い”の紙一重みたいな感じでショックだった。それはすごく覚えてるな。あれは革命だったんだろうなと思った。
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──お二人ともニルヴァーナのカート・コバーンがお好きですが、カートを見てファッション面で影響は受けなかったんですか?
峯田:カートには憧れてたけど、カートみたいにてろんてろんのネルシャツを着ようとは思わなかったかな。部屋にポスターは飾ってましたけど。周りの友達にはカートみたいにネルシャツを着てる人もいた。でも俺は、ポスターを貼ったり、学校の机に「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」の歌詞を書いたりするぐらいで。洋服まではいかなかったかな。
神田:そこがやっぱり大きな違いで、自分はカートに憧れて、それこそネルシャツを着たし、ジーパンに穴も開けちゃいましたし、いわばカートのコスプレをしていた部分がありました。カートもきっと服は好きだったと思うけど、別にファッショニスタではないですよね。その有り様を峯田さんに重ねて見てたかもしれないです。やっぱりセンスの塊というんですかね。根底のところでセンスがある人が選ぶ服っていうのは、別におしゃれとか流行とか関係ないじゃないですか。それは、カートと峯田さんに共通して僕が憧れた部分だし、大きな影響を受けました。そんなかっこよさをずっと追い求めてはいるけれど、その距離はずっと縮まらない気もしていて。
峯田:ちょっと関係ない話かもしれないですけど、例えば、高円寺を歩いてて、あの子かわいいなーみたいに思って、すれ違うじゃん。そしたら、後ろから声をかけられて、「すいません、神田さんですか」って言われたら、いきなり冷めちゃった、みたいなことってない? 俺の洋服なんか着てるんだ……みたいに思っちゃうこと。
神田:それは、まだちょっと自分はたどりついてない境地だなぁ。
峯田:やっぱり女性には、自分と全く違う世界を持っていて欲しいっていうのがあって。少しでも俺の価値観が入ってて欲しくない。だから、俺がその人と触れ合うことによって、俺は新しい世界を知るし、彼女も……。あ、もういいや!(笑)
神田:男女がひとりぼっち同士のまま付き合う、みたいなことですか?
峯田:うん。相容れないままでいたい。知らない方が好きでいられたのにみたいなのはあります。
神田:そこだよな……。僕が銀杏BOYZを知って、ファンになった20年前からずっと変わってない部分な気がする。僕自身は、(ファンに好きと言われると)嬉しいですよ。でも、そういう承認欲求を超えた先にあるものなんですかね?その峯田さんの感覚は。
峯田:どうなんですかねー。俺が最初にその人を見て、可愛いと思うのが一番正しいんですよ。純度の高い“可愛い”なんです。僕が「彼女はこういうものを食べて、こういう服を着て、こういう音楽を聴いてるんだろうな」と思うのは自由じゃないですか。でも、それで彼女の方から(銀杏が)好きですって言われると、バグるんです。そのバグが嫌で、結果として冷める。
神田:誰もが見ることのできない、純度を突き詰めた先に見える心象風景ですね。
──女の子を想った曲もよく書かれていると思うのですが、それは一体……。
峯田:それは、純度100パーセントの“可愛い”に対して、ちゃんと距離を保っているからこそ、女の子を想った歌詞が書けているんです。あくまで、僕のことを知らない人っていうのが前提です。
神田:あー、確かにそうかも。銀杏BOYZの世界に出てくる女の子って、銀杏のことを知らなさそう。うわー、初めて気づけたかも!
峯田:うん。銀杏っていうか、僕のことを知らないで欲しい。
神田:なるほどねぇ。面白いです。
峯田:神田くんはどうして女の子に向けて作ってるのかね?
神田:峯田さんのさっきの話と少し似ていて、僕も小さい頃、『ドラゴンボール』も好きではあったんですけど、やっぱり『タッチ』とかが深く刺さってたんですよね。しかも『ドラゴンボール』なら、女の子のキャラクターに目がいくし、憧れの対象だったんです。鳥山明先生が描く女の子が好きだったんですよね。おしゃれだし、かわいいし、ポップで。悟空よりブルマに憧れるような少年だった。女の子への憧憬みたいなものがずっとあったんだと思います。音楽でも、昭和の男性アーティストの「マイハニー」的な視点にはあまりピンとこなくて。でも、GOING STEADYも銀杏BOYZもそうではない感じがした。さっきの話を聞いて、自分にも同じ感覚があったのかもしれないと、腹落ちしました。だから僕はずっとメンズは作らず、長年ウィメンズにこだわってやってきたのかもしれません。ブランドを始めて20年経った今年になってようやくメンズ(keisuke kanda BOYZ)も始められたんですよね。「HOMME」でも「MEN」でもなく、「BOYZ」と名付けたのは、もちろん銀杏BOYZにあやかってのことです。
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