ジャージって俺にとっては“戦闘服”だった(峯田)

──峯田さんは今日、神田さんが手がけたメンズラインの服を初めて見て、そして着てみて、いかがでしたか?
峯田:もうずっと着ます……。着やすい。でもジャージはずっと好きですね。ジャージ素材。
神田:今回着ていただいたジャージのつなぎは、本当に峯田さんに着てもらいたくて、そのイメージでつくらせてもらったものなので、着てもらえてとても嬉しいですし、実際めちゃくちゃ似合ってて、それもまた感慨深いです。
峯田:ジャージといえば、今、そばにいる江口くん(マネージャー)は、出会った時の格好が衝撃的だったの。俺たち、地元が一緒なんですね。でも、地元にいる頃は知り合ってなくて、東京に来てから知り合ったんです。俺と高校時代から仲良かったトモヤくんっていう友達がいて、トモヤも大学でこっちに来てて、ある日「同じ山形から上京してきたやつを紹介したい」って、連れてきたのが、江口くん。
で、その時の江口くんがフレッドペリーのジャージのパンツをはいてたんだけど、スネの部分に、ザ・クラッシュのロゴとか、GOING STEADYの歌詞を手書きしてたの。もう衝撃的で!よくパンクの人って革ジャンにペイントしたり、いろんなパッチを貼ったりするでしょ? でも彼は、ジャージにやったんですよ(笑)。
神田:突き抜けてるな~(笑)。初めて聞きました。
峯田:本当にあの江口くんが、俺にとってすごく革新的だった。日本のパンクを見たね、あの時初めて。「日本でパンクはここまで進化したか」って……。
俺にとっても、ジャージって“戦闘服”だったんですよね。学校で支給されてて、一番身近で機能的で……。ジャージが俺にとっての革ジャンだった。だから神田くんとコラボして洋服を作ってみようかっていう時も、ジャージを作ってもらったし。俺、いまだに見たことないですよ、ジャージにペイントしてるやつ。あの時のお前だけだよ。誰かの真似したの?なんであんなことができたの?
江口:単に書きたかっただけなんじゃないすか?(笑)
峯田:衝動で?すごかったよね。まだ缶バッジつけるとかならわかるよ。でもマーカーでペイントって。
神田:その“戦闘服としてのジャージ”に感化され、影響を受けました。それこそ、学生時代からジャージのデザインは色々試して来たんですけど、峯田さんのジャージと出会ってから深淵まで辿り着けるようになった。そして、スポーツブランドでもない僕らが20年に渡ってたくさんのジャージを作って来たのは、そこに競争がなかったからなんですよね。
ただ昨今はファッションブランドも当たり前にジャージを作るようになったし、それこそスポーツブランドが、僕らが昔やっていたようなリボンやフリルやレースのジャージをつくっちゃう時代。あの頃僕らが抱いていたジャージのイメージと、今の若い世代の人にとってのジャージの印象は随分と変わっているなと感じます。悲しいことに、もはやジャージはダサくない。
峯田:そっか。“ダサい”が何年か経つと、“かっこいい”に変わったりするんだ。
神田:そうなんですよ。僕はひねくれ者なので、こうもファッションのメインストリームになってしまうと、昔のような気持ちでジャージを作りにくくなってて。でも、この keisuke kanda BOYZ のジャージのつなぎは、峯田さんに着てもらいたいという、20年前の頃のような感覚で作った服だったので、この機会に着ていただけて本当に嬉しいですし、またあの頃の気持ちを取り戻して力をもらえました。
峯田:最近は、かっこいいジャージが多いもんな。Oasisとか、海外のバンドが着てたジャージとかもね。でも、俺が本当にかっこいいなと思うジャージって、あの頃の山形県町立山辺中学校(母校)のジャージ。日本の中学校の、何にも考えてないような、あのジャージです。
道を歩いてる中学生とか、たまにかっこいいやついるんだよね、着こなしとか。
神田:そういう郷愁のなかにあるジャージこそ最強ですよね。あと、峯田さんのジャージの着こなしで昔から素敵だなと思ってたのは、「ボトムスだけジャージ」のスタイルですね。トップスだけアディダスのジャージで、下はデニムだったりを合わせるアーティストは結構いたんですけど、峯田さんは逆が多くて。下がジャージで上はTシャツっていうバランス感が、僕はかっこいいな~って思っていました。
峯田:誰もやってないからやろうとか、そういう狙いは全くなくて。
神田:狙ってないからかっこいいんでしょうね。
峯田:ゴイステ(GOING STEADY)の後期ぐらいから、ライブでも下にジャージをはいていたのには、ちゃんと理由があって……。俺、ライブで怪我ばっかりしてて、ぶつかったりすることが多かったんです。足も打撲だらけで、普通のズボンだともうはけなくて。だから病院着みたいな感覚でジャージを着てたんですよね。
神田:戦闘服であり防護服でもあったんですね。
峯田:そう、だからズボンのジャージをはいてたってだけなんです。
神田:あと、下はジャージ、上は何も着てないとかもありましたよね。
峯田:それも、当時はライブ中にダイブしてお客さんに服を破かれたりするから、「じゃあもう着なくていいや」っていう感じになってただけで、全部しょうがなくやってるんです。ただ、後からそれを見た人が、ありがたいことに勘違いしてくれて「あれが良かった」みたいに言ってくれるんですけど、俺からしたら本意ではないのよね(笑)。
神田:今の話みたいなことって、デザインをしていてもありますよ。周りから評価してもらえたり、お客さんに喜んでもらえることって、狙ってやったことよりも、しょうがなくやったこととか、必然的にそうなっちゃったものの方が多い。ずっとその連続なので、そういうのを含めて運命だなと。神様がジャージの下だけは、はかせたんですね(笑)。逆に狙い通りだったことってあるんですか?
峯田:狙ったことはあるけど、結果、それを媒体とかで自分で見た時に「ダッセェ」と思っちゃって。「あ、これバレるな」みたいな感覚。だったらもう、狙わない方がいいんじゃねぇか、みたいな。しょうがなくなった。で、「しょうがない、これでいいんじゃん」っていう方が、いい結果が生まれることが多いかな。ライブでも着たいんですけどね、神田くんの服。本当に汚れちゃうんで、もったいなくて着られない。
神田:「しょうがない、keisuke kandaでいいじゃん」の感覚でぜひ着てください!
【中編】に続く……。
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Kazunobu Mineta
1977年生まれ、山形県出身。’96年にロックバンドGOING STEADYを結成。2003年、同バンドの解散後にソロ名義で銀杏BOYZを始動。その後、バンド編成となった銀杏BOYZの活動と並行して、’03年公開の主演作『アイデン&ティティ』で俳優デビューを果たす。以降、『少年メリケンサック』『色即ぜねれいしょん』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』などの映画や、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』といったドラマにも出演。11月からは、宮藤官九郎が作・演出を手がける舞台『雨の傍聴席、おんなは裸足…』への出演も控えている。
Keisuke Kanda
1976年生まれ。早稲田大学、文化服装学院卒業。大学在学中から服づくりを始め、’05年に自身の服飾レーベル「keisuke kanda」をスタート。全国の顧客のもとへ直接赴き、対話しながらオーダーを受けるという独自の販売方法を確立。’23年よりアーティスト・椎名林檎のツアー衣装も手がける。銀杏BOYZとは、’14年から続くライブグッズの共同制作、’21年の「GOD SAVE THE わーるど」MVで監督を務めるなど、唯一無二の関係を築いてきた。’25年、初のメンズライン「keisuke kanda BOYZ」を始動。
峯田さん着用:つなぎ ¥77,000 keisuke kanda BOYZ 、Tシャツ 非売品
銀杏BOYZ
WEB:https://gingnangboyz.com/
X:https://x.com/gingnangboyz_mv
keisuke kanda
WEB:https://www.keisukekanda.com/
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