フランスの地方には、意外と知られていないステキなミュージアムがいっぱい。
その土地に根づいた伝統工芸、アート、モードと共に、町の魅力も発見してみて。
〜シャンティイってどんな町?〜
華麗なレースで名を馳せたシャンティイは、電車でパリから30分程度で行ける田舎町。広大な森に囲まれ、のんびりとした空気に浸りながら、フランスの芸術、歴史、文化を同時に味わえる城下町でもあります。
荘厳な佇まいのシャンティイ城。
見どころの一つは、何と言ってもシャンティイ城です。湖の上に浮かぶかのような美しい古城は、その歴史を中世に遡り、何世紀にも渡って王朝の歴史が刻まれてきました。
城の2階にあるアパルトマンは、ブルボン=コンデ家の王子たちの応接室や居住空間として使用されていた。
16世紀にアンヌ・ド・モンモランシー大元帥が所有したシャンティイ城は、モンモランシー家の親戚となったブルボン=コンデ家に受け継がれます。フランス革命時には城の大部分が破壊されますが、最後の城主であるオーマル公ことアンリ・ドルレアン(1822年–1897年)によって、現在に見られるルネサンス様式の城に再建されました。
レセプション・ダイニングとして使われていた「牡鹿の間」。オマール公は芸術家や知識人のエリートをここに迎えていた。17世紀に王立ゴブラン製作所で織られたタペストリーなど、装飾品は王子たちの趣味だった狩猟がモチーフになっている。
わずか8歳でシャンティイ城を相続したオーマル公は、フランス最後の王ルイ=フィリップの5男。ナポレオン3世時代にイギリスへ亡命していた彼は、美術品や書物の愛好家だったことでも知られ、亡命期間にも精力的に収集活動を行っていました。
偉大なコレクターであったオーマル公ですが後継ぎには恵まれず、1886年にシャンティイ城とその貴重なコレクションはフランス学士院(フランスの学術団体)に寄贈されます。その時の条件は、彼の死後にそれらを一般公開すること、その陳列方法を保存すること、コレクションを貸し出さないことでした。
フランス屈指の膨大な古書が所蔵される書庫。写真は中世の写本。まさにタイムトリップしたかのような錯覚に陥る。
そして1898年、シャンティイ城は「コンデ美術館」の名前で一般公開されるようになり、オーマル公の遺言どおりに19世紀のままの展示を見ることができるのです。
グリザイユのステンドグラスが並ぶギャラリー。ギリシャ神話に登場する美少女プシュケの物語がモチーフになっている。
シャンティーでは18世紀前半にルイ4世アンリ・ド・ブルボン=コンデによって陶磁器工房が設立され、秘伝の軟質磁器が生産されていた。東洋から多くの影響を受け、柿右衛門様式の磁器なども作られたが、時代と共にロココ調やクラシックな花柄のものに変化した。
城の後ろに広がるフランス式庭園。ヴェルサイユ宮殿の造園家ル・ノートルによって設計された。
シャンティイ城の近くにはルイ4世アンリ・ド・ブルボン=コンデのために作られた厩舎「グラン・エキュリー(GRANDES ÉCURIES)」があり、現在「馬の博物館(Musée du Cheval)」として使用されています。
「グラン・エキュリー」の入り口(写真上)と、敷地内にある乗馬のトレーニング場。
「馬の博物館」より。シャンティイ城(コンデ美術館)のチケットで入館できる。
またシャンティイは、競馬でも世界的に知られる町。「シャンティイ競馬場」では、ディアンヌ賞やジョッケクルブ賞などの名高いレースが開催され、大会時には多くの人で賑わいます。
「シャンティイ競馬場」。
サン=ドニ門。城から歩いてきてこの門をくぐると商店街になる。
そして、シャンティイはホイップクリームを意味する“クレーム・シャンティイ”でも有名。シャンティイ城で考案されたからなのだそうで、商店街にはクリームをたっぷり使ったスイーツの専門店も。シャンティイを訪れた際には、ぜひトライしてみて!
“クレーム・シャンティイ”のスイーツの看板。
サン=ドニ門の近くにある教会。小さいながらステンドグラスがすばらしい。
シャンティイの駅。
パリからの運賃は片道1,000円くらいで、朝のラッシュ時には15分間隔で電車があります。思いついたらふらりと行けて、日帰りで旅気分が味わえるのが魅力です。
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シャンティイ城(コンデ美術館)
公式サイト:https://chateaudechantilly.fr/en/
Photographs:濱 千恵子 Chieko Hama
Text:B.P.B. Paris