怖さとかっこよさの紙一重なところを、高円寺のお店の看板から感じた(峯田)

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──お二人はもう長くコラボレーションを続けられていますが、そもそも一番初めに協働したのはいつですか?
神田:一番初めは、銀杏BOYZが2014年にアルバム(※『光のなかに立っていてね』)を出したときですかね。あの時はまだ僕らが高円寺でお店(※2011年から2014年にかけて高円寺で開いていたkeisuke kandaの直営店)をやっていた時で、そこに峯田さんが来てくれて……。
峯田:お店の看板に書いてあった文句、良かったですね。初期のkeisuke kanda。あれなんだっけ、えーっと。
神田:『あの娘と僕をつなぐ服』ですね。
峯田:そう、そう。あんな洋服屋さんの看板、今までなかったからね! なんて言うんだろうな、英単語を使った少しおしゃれなものとは違う、さっきのアンダーカバー(前編参照)じゃないけど、異質で、“なんだこれは!?”っていう怖さとかっこよさの紙一重なところを、高円寺のお店の看板から感じた。知らないところで、変なことが起こってるっていうね。
それは、あの裏原のシーンとも全く違う。かといって高円寺の土着の感じとも違う、異質な感じがぞわぞわっときて。いろんな条件が揃ってた。なんかかっこいいな、けどこれは何者なんだっていうのを、初めてお店に行った時に思ってね。
それは、バンドで言ったらね、初期衝動とか表現の最初の発火点なんだと思う。これって一時的で初期だけなのかもしれないけど、俺はできれば銀杏BOYZにおいては、普通だったらバンド中期とか後期になって消えてしまうような、発火点をずっと作っていきたいっていうのがあって……。神田くんにもそれは感じる。
神田:その発火点を作り続けるということについては、最近の銀杏BOYZの活動からまたあらためて影響を受けているところでもあって。峯田さんが40歳を前にして「エンジェルベイビー」を発表したあたりから、初期衝動やロックの始まりを再び発火させた感じがしてて。「少年少女」とか、この前の弾き語りツアーのタイトルも<ボーイ・ミーツ・ガール>でしょ。ここでボーイ・ミーツ・ガールなんだって感動しました。(※GOING STEADYのファーストアルバムのタイトルは『BOYS & GIRLS』。昨年の弾き語りツアー<ボーイ・ミーツ・ガール>では、GOING STEADYの楽曲も一部歌われた。)僕なんかも初期の頃はセーラー服とか学ランをずっと作っていたんですけど、40代になって、大人の表現って何だろうと考えていたんです。でもあのツアータイトルを見たときに、「もうそんな考えはやめた!」って、久しぶりにセーラー服のジャージを作ったんですよね。あの弾き語りツアーがまた20年前の銀杏のファーストツアーとも重なって、今ここから昔の初期衝動を持っていた自分を覗きに行くようなものづくりが、すごくしっくりきた。
峯田:70歳超えても少年誌で、青年誌じゃ描かない。やっぱりサンデーだね。楳図かずおみたいな感じで、何歳になっても対象は子供っていうのは思います。俺はブルースは書けないと思ってて、自分も年齢を重ねていく中で、生活を詩的に書くっていうよりかは、最初に俺が受け取ったあの瞬間をずっと作っていきたいっていう気持ちがどっかにあるんですよね。それが一番あてになるんですよ。
神田:今の銀杏BOYZはまさにその境地に至ってると思います。
峯田:大人のかっこよさとか、そういうのは他の人に任せておけばいいかなって。俺はもうちょっと少年少女のところに居たいっていうのがあるかもしれないですね。
神田:僕も同じ思いですし、胸を張ってついていきます。音楽に比べるとファッションは「年齢に見合った服装」という感覚がより強くて難しい部分もあるけれど……他のデザイナーさんたちに大人の装いは任せることにして(笑)、いくつになってもボーイ・ミーツ・ガールが真ん中にある表現をやっていきたいですね。
峯田:ちょっと個人的な話ですけど、今年は俺にとって、俺を形成してくれたものにお礼参りができる年で。高校1年のときに初めてロックっていうものをニルヴァーナから知って、今の自分になった感じがあって。
今年アメリカツアーに行って、初めてシアトルにも行ったんですけど、そこにカート・コバーンが住んでた家とか、彼が座ってたベンチに世界中のファンが集まっててさ。そのベンチには寄せ書きとかプレゼントが置いてあるんですよね。ヴィレットパークっていう公園なんだけど、そこで「ありがとうございました」って言えたし。
あと、今年の正月は、山形で中学校の同窓会っていうのがあって……。やばかったんですよ!行ったら、初恋だった人が来てて。
神田:こういう話、待ってました(笑)。
峯田:もう47歳っすよ。でもその人だけ、全く変わってなかったの。びっくり。みんなもびっくりしてて、全然変わってなくない?ってなって。でもその人と一瞬だけ付き合ったんですよ。
神田:あ、付き合ったの!?そうなんだ!
峯田:何もしてないよ、ちゅーとか。当時山形で、中学校の時に告白してオッケーもらえて一瞬だけ付き合ったんだけど、自然消滅してもう全く会わなくなっちゃった。その同窓会で32年ぶりに会ったんだよね。だからそれもあの時の俺にお礼参りができたの。
神田:初恋と音楽の原点を同じタイミングで巡ったんですね。
峯田:2025年はなんか、またゼロに戻った年だったっていうか。どっか自分の中で忘れかけてたものを取り戻せた感覚があったかな。
神田:この春の銀杏BOYZアメリカ西海岸ツアーにお邪魔した時に、峯田さんにカート・コバーンのお家とそばの公園のベンチのことを教えてもらって、僕もその場所に立ち寄ったんですが、峯田さんの原点と僕の原点が重なるようなすごい体験でした。書いてあるんですよ、そのベンチに!よ~く見ると峯田さんのサインが……。
峯田:あ、あれ見つけた?マジで!?
神田:見つけたとき、「うわー!」と思って。それが僕にとっても一つのお礼参りだった。あと、峯田さんにとってのカートのような存在が僕にもいて。マルタン・マルジェラっていうデザイナーなんですけど。奇跡的にも、カートとマルタン・マルジェラってデビューがほとんど一緒なんですよ。マルタンは’89年にパリでデビューして、ニルヴァーナのデビューアルバム『ブリーチ』もたぶん’89年とか……。
峯田:’89年。『ネヴァーマインド』が’91年。
神田:シンクロしてるんですよ。で、ニルヴァーナがグランジロックと呼ばれていたのに呼応するかのように、マルタン・マルジェラもグランジファッションって呼ばれてた。そして共に90年代を代表するアーティストとデザイナーとして、それまでの既定概念をぶっ壊したっていう。
峯田:あのベルギーのね!ドリス・ヴァン・ノッテンとか。
神田:そう!ドリスとか一緒にベルギーのアントワープから出てきたんですよね。自分がファッションにおいて最も影響を受けた原点であるマルタン・マルジェラに、僕も今また立ち返っていて。ちなみに今流通している「メゾン・マルジェラ」は、マルタン本人が関わっていない全く別のブランドという認識です。あの当時集めていたマルタン本人期の服をクローゼットから引っ張り出して久しぶりに羽織ってみたりしています。アメリカでカートのお墓を見に行ったからこそ、そういう気持ちになれたんだと思います。
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