2023年に発売50周年を迎えたリーン・ロゼのロングセラーソファ、「ROSETTOGO(ロゼトーゴ)」が、アートディレクターのとんだ林蘭さんをコラボレーターに迎え、新たなソファを生み出した。これを記念して、2023年11月20日にはとんだ林蘭さんの出身校である文化服装学院で特別講義が開催。『装苑ONLINE』では、文化服装学院ファッション流通科スタイリストコースでの特別講義の内容と、ROSETTOGO 50th ×とんだ林蘭モデルの誕生秘話、講義後に行ったインタビューをお届けします!
photographs:Josui Yasuda(B.P.B.)
この記事の内容
p1 とんだ林蘭特別講義・前編「アートディレクターの仕事とは?」
p2 とんだ林蘭特別講義・後編「コラボソファ誕生秘話」
とんだ林蘭
1987年生まれ、文化服装学院卒業。東京を拠点に活動。イラスト、ペインティング、コラージュ、立体、映像などの手法で作品を制作。CDジャケットや広告のアートディレクションも行う。
ROSETTOGO
ligne roset(以下リーン・ロゼ)のブランドが立ち上げられた1973年と同年にミッシェル・デュカロワがデザインしたソファ。蜂の腹をモチーフにしたユニークなシェイプが人気のロングセラー。
文化服装学院での特別講義で語られた、アートディレクターとんだ林蘭が生まれるまでのエピソード
あいみょんのメジャーデビュー以降、アーティスト写真、CDジャケット、ツアーロゴなどのアートワークを継続的に手がけるとんだ林蘭さん。特別講義では、アートディレクターとしてお仕事をはじめるまでのお話を伺いました。
「本格的にアートディレクションをすることになったのは、あいみょんのデビューのタイミングです。担当の方から、今度デビューするシンガーソングライターの子がいるんだけど、そのアーティスト写真やジャケットをやってみない?とお話をくれたんです。はじめてのアートディレクターとしてのお仕事は、実験的に手がけたアーティスト写真でした。
私は、今アートディレクターとしてさまざまなお仕事をさせていただいていますが、もともとアートディレクターを志していた訳ではありません。文化服装学院のスタイリストコースを卒業した後は、販売員やOLを経験。その後、25歳で漫画家を目指し始めました。漫画家は面白いストーリーを考えることはもちろん、話を表現するための重要な背景を含めた全ての絵を描かなくてはなりません。作品を編集部に持ち込んだりと夢を実現するために頑張っていたのですが、途方もない才能が必要な仕事だと感じ、2作ほど書いたところで挫折しました。漫画家の夢は諦めることになりましたが、5年続けて30歳までにお仕事になればいいなという楽観的な考えで、イラストは描き続けました。
はじめてのイラストのお仕事は、フライヤーのデザイン。当時住んでいた浅草にある、The Three Robbersという洋服屋さんで出会った方に依頼をいただきました。その頃、暇さえあればお店に入り浸っていたので、そこで「とんだ林蘭」の名付け親であるレキシこと池田貴史さんや、Maison MIHARA YASUHIROの三原康裕さんなど、好きなことを仕事にする大人にたくさん出会いました。The Three Robbersではイラストの個展も開催させていただいて。その時、人に見てもらう機会をいただいたことで、それまで黒いペンで描いていたイラストを少し寂しいと感じ、アクリル絵の具でカラフルな絵を描くことにも挑戦し始めたんです。
当時は夢中になって絵を描いていました。開設したてのインスタグラムには、自分の作品帳をつくるように、作品をアップしていました。毎日何かしらを作ってインスタにあげるぞ、と自分の中の取り決めのような気持ちでやっていましたね。独学で始めた身で、美大などで勉強してきた人には敵わないと思っていたので、とにかく数をこなすぞという思いで頑張っていました。
そのうち、自分の手で描くものに限界を感じてコラージュに興味を持ち始めました。知り合いが美容室の移転で雑誌を大量に捨てると聞いた時には、コラージュ素材を集めるために浅草と表参道を何往復もしたことも(笑)。飽き性なところがあるので、コラージュに飽きたらイラスト、イラストに飽きたら絵の具を使って、とさまざまな表現を試しました。OLを続けながら作品を作り続け、The Three Robbersでも何度か個展をさせていただきましたが、なかなかお仕事には繋がらなかったです。
そんな中、中目黒のVOILLDというギャラリーがオープンするタイミングで、個展をしないかとお声がけくださいました。そこでの個展開催以降は、徐々にいろんな人に知っていただいた感覚があります。
インスタグラムにアップしていた作品をきっかけに依頼をいただくことも多かったので、毎日の積み重ねでお仕事をいただけたことが本当に嬉しかったです。当時アートディレクターという仕事も知らなかったのですが、面白そうという気持ちで、いただいた依頼には挑戦させていただきました」
大切なのは、自分がいいと思うものを突き通すこと。アートディレクターとしての仕事とは?
「アートディレクターってそもそも何をするの?と思われる方も多いと思うのですが、基本的には企画の始まりから世に出るまで一貫して携わる仕事です。アパレルのお仕事では、アートワークの依頼があり、コラージュやイラストを提出し、それをブランドの得意なように落とし込んでもらうケースがほとんど。最近はそれにプラスしてビジュアルのディレクションをさせてもらうことが多いです。
実現性や費用のことも頭に置きながらアイデアを考えますが、あまりそこに捉われすぎず、やりたいことが浮かんだら一度提案することが多いです。
アートディレクションをする際は事前にラフを提出しますが、コラージュの場合は即興で作っていくのが醍醐味なところもあって。ファッションブランド、kolor BEACONのルックを全てコラージュで制作した際は、デザイナーの阿部潤一さんが自由にやっていいとおっしゃって下さり、ラフなしで完全自由にコラージュさせていただきました。しかも、提出した作品をそのまま採用いただいたケースだったのでとても嬉しかったです。
広告のお仕事では、明確に伝えたいメッセージがあるので、ビジュアルを通してどう伝えるかを熟考しながら、何案もプレゼンし時間をかけて決定していきます。はじめて広告ディレクションをさせていただいたZoffのビジュアルでは、カメラマンの花房遼さんの提案で、普段私がコラージュで作る世界を実際のセットで組み、一発撮りをしました。
この頃、今の作風を表現するには欠かせない存在のレタッチャーさんとも出会い、表現の幅が広がっていきました。クリエイションを理解してもらえるレタッチャーさんがいると合成の幅も広がるため、ビジュアルを左右する重要なお仕事だと捉えています。
私は、基本的にはオファーがあればなんでもやるスタンス。この仕事を始めたのがすごく遅かったので、依頼をいただけるだけでいつもすごく嬉しくて。できそうなことは何でもやっていきたいと思っています。
今、目標が定まっている方も、まだどうしようかなって思っている方もいると思うのですが、その時やるべきことをやっていれば、自分がやれそうなこと、向いていそうなこと、テンションが上がることが見つかる瞬間があると思います。みなさんが好きなことを仕事にできるように応援しています!」
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