beautiful people(ビューティフルピープル)
パタンナー 戸田昌良
上下どちらでも着られる、DOUBLE-ENDのレザージャケット。左側では通称「コルビジェジャケット」と呼ばれる浅いダブルフロントのジャケット、180度ひっくり返すと右側のダブルライダーズに。ギミックのきいたデザインながら着心地の良さが高い技術力を感じさせる2023-ʼ24年秋冬のアイテム。¥150,700 ビューティフルピープル(ビューティフルピープル 青山店)
自分では最高の服とも完成形とも思わずに模索を続けることが、長く仕事をする秘訣かもしれません。
熊切秀典さん、若林祐介さん、米タミオさんとともにビューティフルピープルの創設メンバーである戸田昌良さんはイッセイ ミヤケ、ツモリチサト、三陽商会で働いてきた豊かな経歴の持ち主。
「僕が服作りを面白いと思えたのは3年生の終わり頃で、熊切くんに比べたら一歩遅れていたんです。熊切くんは2年生の頃から群を抜いていたけれど、僕は4年生でトワリスト賞や遠藤賞に応募するようになって、ようやく“目覚め”た。今も終わりなき道を進んでいるような感覚ですが、イッセイ ミヤケでは忍耐力を、ツモリチサトでは自由に作ることや技術そのものを、ツモリ時代に通ったパターン学校、ハトホルでは必要な技術の多くを学びました。三陽商会時代の上司はディオール出身で、パリ仕込みの角度の見方や袖の鎌の考え方を教えてもらいましたね。その方に『君はどこに行っても順応できるだろうから、もっとチャレンジしてみなさい』と言われたことが、ビューティフルピープルに参加する大きな後押しとなったんです」
終わりなき道を歩み続けること
今年18年目となる同ブランドは、2017年に東京からパリへ発表の場を移し、「Side-C」や「DOUBLE-END」など服の構造にアプローチする野心的なコレクションを発表している。しかし、戸田さんの根底にあるものは変わらないという。
「発表の場やアプローチが変わってもちゃんとしたものを見せたいというスタンスは変わっていません。Side-CもDOUBLE-ENDも、最初のブレストから完成までに何度もトワル作成をしていて、常に模索しながら作っている感じです。また、日本の工場と対等な関係を築きながら一緒にアパレル業界を高めていきたいという思いがあります。それにはコミュニケーション能力、特に相手の意見を聞いてから話す力が大事かなと。定番のトレンチコートはサンヨーソーイング 青森ファクトリーに何度も足を運んでできたものです。それでも、まだまだ自分では最高の服とも完成形とも思わずに道を求めることが、長く続ける秘訣かもしれません」
設立当初から作っているレザーのライダーズジャケットとトレンチコートはブランドを代表する名品。数シーズンに一度パターンの見直しを行い、良さを継承しつつも改良を重ねている。右 デッドストックのように仕上げた羊革のライダーズジャケット(160サイズ)¥110,000、左 オーガニック超長綿を使用したトレンチコート¥149,600 ビューティフルピープル(ビューティフルピープル 青山店)
Q&A INTERVIEW
① 服作りの面白さに目覚めたのはいつ?
僕はちょっと遅くて、文化服装学院の4年生の頃にようやく服作りが面白いなと思えたんです。作った服を三宅一生さんに評価してもらえたことがきっかけでした。
② ビューティフルピープルの立ち上げメンバーです。設立の経緯は?
同級生だったデザイナーの熊切(秀典)くんは、学生時代から抜きん出て面白いものを作っていました。いつか一緒に仕事ができればと話していたので、時期が来て一緒にやることになりました。「どこに行ってもやれるでしょう」という三陽商会時代の上司の一言も後押しに。
③ ブランドを代表するアイテムは?
ベーシックなライダーズジャケットとトレンチコート。ミリ単位でパターンを見直してアップデートを続けながら、定番として出しています。
Masayoshi Toda
1975年生まれ、東京都出身。文化服装学院アパレル技術科を経て、ʼ98年、ファッション工科専攻科卒業。イッセイ ミヤケ、エイ・ネット(ツモリチサト)、三陽商会(エポカ)でパタンナーとして勤務し、2006年より現職。役員として経営の一角も担う。
beautiful people
1996年に文化服装学院アパレル技術科を卒業した熊切秀典がデザイナー。2006年に、熊切と同学院の同級生だった戸田昌良、若林祐介、そして米タミオが設立。高い技術力を背景に、服のサイズや性差の概念を超えたキッズシリーズが話題を呼ぶ。ʼ17-ʼ18年秋冬よりパリ・ファッションウィークでコレクションを発表。