2023年に創立100周年を迎えた文化服装学院。その長い歴史の中で、ファッション業界はもちろん、エンターテインメントや芸術、表現の世界に携わる多くの〝感性〟を育み、輩出してきた。そんな文化の100歳をお祝いした好評連載の6回目。今回は、文化服装学院出身者同士で働く二つの企業・ブランドにフォーカス。文化服装学院で学んできたからこそ、共に目指せる地平がありました。
photographs: Jun Tsuchiya (B.P.B.)
ご紹介している二つの企業・ブランド
1p 佐藤繊維
2p Tamme / DAT
佐藤繊維(Sato Seni)
(左から)ニット部 営業 大澤翔太郎さん、ニット部 製品企画課 大澤千絵子さん、代表取締役 社長 佐藤正樹さん、ニット部 営業課長 齊藤 愛さん
佐藤繊維は、1932年、山形県寒河江市に創業した紡績・ニットメーカー。糸作りから製品の仕上げまでを行い、2001年には自社ブランド〝エムアンドキョウコ〟をローンチ。その後、〝フーガフーガ〟や〝キューキューイチ〟といったブランドを展開。OEMやODMの研究開発も。日本のものづくりを大切にし、オリジナリティあふれる製品を提供する。
簡単にものを作れる時代だからこそ、ものづくりの基礎を知っていることが大切
【佐藤繊維代表取締役 社長 佐藤正樹 Interview】
文化服装学院で得たもの
国内有数のニット産地である山形で、紡績からニットの生産、オリジナルブランド製品の製造と販売までを一貫して行う佐藤繊維。日本最大のニットメーカーである同社は、独創性と品質が高く評価されており、顧客には国内外の有名ブランドが名を連ねる。そんな佐藤繊維を、経営とクリエイティブの両面で率いるのが、4代目社長の佐藤正樹さん。佐藤さんは、文化服装学院マーチャンダイジング科(現・インダストリアルマーチャンダイジング科、以下、MD科)出身だ。
「当時のMD科は、ものづくりを起点にマーケティングを教えていました。それが今の仕事にも生きています。今、佐藤繊維では、世の中にない新しいものを作ることを大切にしていますが、それは隙間にマーケットがあることを意識した上で行っていること。そうした経営感覚は今にして思えば、文化で培ったものだったんですよね。また、徹底してものづくりを教わったのもよかった。文化ではトワルや手刺繍、パターンもすべて学びます。ニットにトワルは関係ないと思うでしょう。でもホールガーメント®︎の編み機は、立体の知識がないと満足に扱えないんですよ。昔習ってきたことが、働くうちにどんどん役立つようになるんです」
ものづくりを教わる強み
佐藤さんは自身の経験から、文化服装学院が大切にしている手仕事を起点にしたものづくりのカリキュラムこそ、今の時代に必要だと考えている。
「文化の素晴らしさは、ものづくりの基本からきちんと教えるところ。学生時代には積極的にやりたいと思っていなかったものづくりの基礎・基本が、今の私の糧になっているんです。私のように経営を行う人間にもその知識が役立つのですから、デザインやものづくりにおいては、文化で学んだ基礎は必ずや成長のエンジンになってくれるはず。そしてヨーロッパにおいては、今も評価されるのは〝きちんとした作りのもの〟です。デジタルで簡単になんでも作れる時代だからこそ、今後、文化で学べる本質的なものづくりの価値が上がるかもしれませんね。ものづくりの知識ともう一つ、私の財産は、文化で得た友人です。繊維業界ではどうしても横のつながりが希薄になるものですが、私は文化にいたおかげで、多くのつながりがありました。それが仕事の幅や深さに影響することはもちろん、友人たちの多くが取締役や社長になっているのも嬉しいですね。今の学生には素晴らしい教育を受けていることを実感してもらいつつ、〝その先〟を、ぜひ自らの行動力で見つけ出してほしいです」
Masaki Sato
山形県寒河江市出身。文化服装学院マーチャンダイジング科卒業。都内のアパレル会社で営業企画を経験し、1992年、帰郷して佐藤繊維に入社。各製造現場を学び取締役ニット部長、専務を経て2005年、4代目社長に就任。自社ブランドのデザインや糸の制作などにも携わる。
齊藤愛さん、大澤千絵子さん、大澤翔太郎さんが語る文化服装学院の強みとは?
齊藤 愛(以下、齊藤)高校生の頃からミシンを踏んだり編み物をしたりと手を動かして作ることが好きで、文化服装学院に入学しました。2年生でニットデザイン科に進んだのは、菱沼良樹さんの「3Dニット展」(2005年)を見たのがきっかけ。原型操作の方法やダーツの入れ方を勉強したけど、ホールガーメント®︎の機械ならそれがいっぺんにできる、これからはニットだ!と思ったんだよね。
ホールガーメント及びWHOLEGARMENTは株式会社島精機製作所の登録商標です。
大澤千絵子(以下、千絵子)動機がちゃんとしてる! 私が文化に入ったのは『装苑』がきっかけでした。好きで読んでいた『装苑』に載っていたことから文化服装学院の存在を知り、ここに行きたいと思って。私はファッションは好きだけど縫製は得意じゃなくて、ニットを選びました。
大澤翔太郎(以下、翔太郎)わかるなあ。ニットはほどいたら元に戻るけど、布は切ったら終わりだから怖いよね。僕は大学を出てから文化に入っています。ある時、雑誌『ハイファッション』で3Dニットの記事を読み、文化にホールガーメントの機械があることを知って興味を持ちました。初めはデザイン科に進むことも考えていましたが、入学してみたら「布を切るのが怖い」と(笑)。ホールガーメントを覚えればその苦手を克服できるな、とニットデザイン科を選びました。
齊藤 ニットデザイン科では、棒針、かぎ針、手動編み機、コンピューターニットと、一通りニットの基礎を教わったよね。
千絵子 そうそう。それによって、自分の向き・不向きに気がついた。
“ニットを一通り学べた経験が生きている”
齊藤 ニットの醍醐味は、テキスタイルから最終のシルエットまでトータルでデザインができることなので、様々なハリ・コシ感や落ち感などを作りながら経験できたのは本当によかったと思っています。あと、いろんなファンシーヤーンを組み合わせて編む「商品企画」の授業も勉強になった。糸と編み地の相関関係を知ったことが自分の経験値になっています。
翔太郎 手編みの経験は僕にとっても大事。今、仕事で使っているのはコンピューターニットですが、手加減や編み地にかかる負荷を実際に経験しているからこそ、より細かな想像のもと、機械を扱うことができています。そして様々なことを学んだけど「全部できなくていいから、得意なことを一つ作りなさい」という先生の懐の深さも感じていました。
千絵子 そうだったね。私は先生から話を聞くのが好きでした。難しいことはできないけど頑張ります!という姿勢でいるとよくしてくださり、いろいろな技術や知識を教えてもらえたんです。あと、課題の締め切りは絶対守っていました。納期の中でベストを尽くすことと、社長にチェックしてもらいながら進めていくことは、ニットデザイン科時代の課題とその点検に似ているかもしれません。
齊藤 僕は有志の「学友会」に参加したりショーの照明係をしたり、産地ツアーや工場見学に行ったりして、課題はあまり真面目にやっていなかった……(笑)。
翔太郎 僕も課題は遅いほう。文化祭では、CGの映像を自学自習で作っていました。あとは、文化祭のショーを作る「聞き取り→試作→本番」という一連の流れは、今の仕事の練習のような時間だったな、と思います。
千絵子 私も、今、商品企画の仕事をする上で使っている「全体を把握する力」は、様々なことを学んだニットデザイン科で培ったと思っています。
齊藤 この3人では、文化のニットデザイン科を出ているという、同じ知識を持っている前提で話せるよさがあります。業界には、例えばニット工場の方でも手編みは経験がなかったり、あるいは機械編みのプログラムをやっているけど手動編み機は使ったことがないという方もたくさんいます。それが、僕らは手作業で編むことも、糸などの基礎的なこともすべてわかった状態で仕事ができている。その基礎の共有は大きいと思いますね。
翔太郎 取引先の方とは「文化卒」や「ニットデザイン科出身」が共通言語になることも。親近感が湧いて、年齢が離れていてもグッと距離が縮まって。実はそういうことも期待して文化に入っていたので、そうした場面にも、作ることと同じくらいの喜びがありますね。
Shotaro Osawa
1983年生まれ、埼玉県出身、山形県在住。文化服装学院ニットデザイン科卒業。卒業後、山形県内のニット工場勤務を経て、’20年に佐藤繊維入社。現在はホールガーメント製品の企画、生産、営業までを手がける。
Megumi Saito
1986年生まれ、埼玉県出身、山形県在住。文化服装学院ニットデザイン科を経て、ファッション高度専門士科卒業。2009年に佐藤繊維に入社し、現在はニット部の営業課長。個人として手編みのワークショップなども開催。
Chieko Osawa
1989年生まれ、埼玉県出身、山形県在住。文化服装学院ニットデザイン科卒業。卒業後、東京のアパレル会社、山形県内のニット工場勤務を経て、’20年に佐藤繊維入社。現在はニット部の製品企画課で働く。
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