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平安中期は位が高いほど裸に近かった!?
『陰陽師0』の衣装デザインを、伊藤佐智子さんのインタビューと資料から解き明かす。

2024.04.19

平安時代中期に生きた実在の陰陽師、安倍晴明(あべの・せいめい)が、雅楽家として才能を発揮した貴族、源博雅(みなもとの・ひろまさ)とともに怪奇事件を解決する小説シリーズ「陰陽師」。この人気シリーズが、安倍晴明生誕1100年の今年、新たな実写映画として令和に誕生した。令和版の晴明に命を吹き込んだのは、現代日本を代表する俳優・山﨑賢人さん。監督・脚本を務めたのは、原作を愛し、作者の夢枕獏さんとの親交も深い佐藤嗣麻子さんで、照明や美術、衣装、VFXにこだわり抜いた映像美の中で、青春期の安倍晴明の魅力的な物語を生み出した。

衣装を手がけたのは、日本を代表する衣装デザイナーの伊藤佐智子さん。数十回の染めが行われた衣装もあるほどのこだわりで生み出された衣装の制作舞台裏を、伊藤さんへのインタビューと貴重な資料で解き明かす。

photographs : Jun Tsuchiya (B.P.B.,still life) / interview & text : SO-EN

『陰陽師0』
舞台は、呪いや祟りから都を守る陰陽師の学校であり省庁、《陰陽寮》が政治の中心だった平安時代中期。呪術の天才と呼ばれる若き安倍晴明(山﨑賢人)は陰陽師を目指す学生とは真逆で、陰陽師になる意欲や興味が全くない人嫌いの変わり者。ある日晴明は、貴族の源博雅(染谷将太)から皇族の徽子女王(奈緒)を襲う怪奇現象の解決を頼まれる。衝突しながらも共に真相を追うが、ある学生の変死をきっかけに、平安京をも巻き込む凶悪な陰謀と呪いが動き出す。衣装をはじめ、セットとVFXが融合する映像美、映画独自に作り上げられた呪文や印など、見どころがたっぷり。
脚本・監督:佐藤嗣麻子
出演:山﨑賢人、染谷将太、奈緒、安藤政信、村上虹郎、板垣李光人、國村隼/北村一輝、小林薫
2024年4月19日(金)より全国公開。ワーナー・ブラザース映画配給。©2024映画「陰陽師0」製作委員会

お話を伺ったのは
伊藤佐智子さん
ファッションクリエイター。映画、演劇、そして時代の流れを象徴する広告の中で、一点ものにこだわった衣装を提案。衣装はもとより、1枚の布からはじまる様々な表現をジャンルを越えてクリエイションする。東京2020パラリンピック開会式衣装ディレクター。これまで手がけた作品に、舞台『人形の家』、『ペールギュント』、『キネマと恋人』、映画『オペレッタ狸御殿』、『海街ダイアリー』、『今夜、ロマンス劇場で』他多数。著書「SARAÇA VISION」ほか。http://brucke.co.jp

伊藤佐智子(以下、伊藤):2001年に公開された映画『陰陽師』の時、大作映画の仕事が終わったばかりで疲れ果てていて、お受けできませんでした。その後、どうしてあの仕事を断ってしまったのだろうと頭のどこかにずっと陰陽師があったので、今回、お話をいただいて本当に嬉しかったです。

山﨑賢人さんが安倍晴明を演じるなら、衣装も今どきのイキの良い感じをだしたいと思いました。流されずに自分の確固たる感覚で生きていて、ある部分はやんちゃで初々しい若い晴明をつくりたい、と。

伊藤:平安中期、装束の素材は苧麻(ちょま)と絹が主流でした。木綿の時代ではないので、まず衣装はその素材感にこだわっています。今でも皇室行事などで平安朝の着物を目にすることがありますが、それは大抵、フォルムのしっかりした強(こわ)装束。ですが、当時を描いた絵巻物にはもっと軽やかな装束がありますし、着物も着崩しています。佐藤嗣麻子監督は、その、ラフに着崩した衣装を希望されていました。それは、日頃、私が感じている時代劇に対する想いと合致していたんです。面白い作品になるのではないか、と可能性を感じましたね。

映画衣装の仕事は、はじめに、監督が何をしたいのかをうかがうところから始まります。佐藤監督は、『陰陽師0』に本当に熱を込めていらっしゃいました。その熱は衣装にも貫かれていて、自ら「衣紋道(えもんどう)」(装束の着付け方法)を習い、着付けのプロも知らないようなことをご存じだったほど。衣装の仕事というのは、通常、見た目の美しさが勝負。ですが、佐藤監督は、その奥にある知識も細かくおっしゃっていたんです。徽子(よしこ)女王が身につける「細長」は、監督と同行した衣紋道で正式な着方を習いました。正統を知っていなければ崩すこともできない。まず、正しい知識を得ることができたのは本当によかったです。

伊藤:日本の過去というのは、初めて知ることだらけなんです。私は骨董が好きで、そこから日本の歴史を学んできましたが、平安時代まで遡ると、誰も時代の事実はわからないんですよね。事実と真実は違います。そこがすごく面白いところで、例えば1960年代であれば映像も写真もあるので、ある程度のことがわかりますが、平安時代ではそうはいきません。

さらに、今、平安時代といって多くの方々がイメージする文化というのは、大体、後期のものです。江戸時代なども同じ傾向にあって、映画やドラマに描かれるのは決まった時期のもの、戦国とか幕末であることが多いですね。

伊藤:平安中期は、位の高い人ほど裸に近く、重ね着をしなかったといいます。絵巻物では、女性のバストが出ているような着方もたくさんありました。そこで、徽子女王のベアトップドレスのような着こなしが生まれたんです。帝は、上半身には表衣(うわぎ)を羽織っているだけの衣装もありました。

伊藤:今回の学生(がくしょう)たちの崩したような狩衣の着方は、平安を描く映画やドラマではほとんど見られないものです。私は初め、もっと崩してもいいと思っていたほどでした。袖を抜いて着ていた衣装もあります。着崩す、というのはヘアも含めて一つのポイントでしたね。かつらの制作を担当された方ともずいぶんやりとりをして、どこかが崩れたり乱れているような髪にしてもらいました。

伊藤:学生たちは、陰陽師になるために寮で学んでいるわけですから、そんなにいつもきちっと服を着ているわけがないはず。平安のお祭りみたいな時の衣装の着方と現実は違うだろう、という想像ですね。リアリティを持たせたかったんです。

伊藤:源博雅のエメラルドグリーンは、私が感じた貴族の色です。今回、安倍晴明と源博雅の二人で森羅万象を描きたいと思っていました。ブルーというのは清々しく聖なる部分がありますし、純粋性を表すこともできます。けれど、晴明のブルーはなかなか狙った色が出なくてーー何十回と染めをしました。また、染めた布は日光が当たるとどんどん変色してしまい、色が安定しなくて非常に苦労しました。初めは天然藍のみで染めるつもりでしたが、そんな理由から、あの鮮やかな青色は化学染料も混ぜて作りましたね。彩度の高い青色が、晴明を演じた山﨑賢人さんの美しさを引き立てたと思います。

伊藤:博雅の狩衣の中には、黒色のタートルネックのようなインナーを合わせています。そのことで、衣装に対して違和感がなく、また、現代性も加味することができました。平安時代の衣装の定石を崩すことができ、気に入っているものの一つです。

学生(がくしょう)たちの衣装の色彩は、当時、許されていた色の中から、映像美を元に考えました。晴明と博雅、徽子女王、公家たちは彩度が高く記憶に残る色を用いていますが、学生たちはもう一段落ちた色合いで、古色にも近い。ですが、色としてははっきりしています。寒色、暖色というわけ方もあまり好きではないのですが、晴明と博雅は寒色、徽子女王は暖色という考えです。けれど晴明と博雅も暖色寄りの寒色で、学生たちはどちらかというと「陰」な色調に。学生のほうの青は、青といっても黒を混ぜた色彩で、晴明の青とは全く違うんです。

当時はすべて草木染めだったわけですが、実は、草木染めというのはすごく華やかなんです。紅花染めはショッキングピンクのようになりますし。当時の位の高い人々は、華やかな色彩をまとっていたと思います。

伊藤:そうですね。樹木布(じゅもくふ)といって、自然災害で倒れたり森林保全のために間伐されたりした杉や檜を繊維にしたものです。

伊藤:紙布(しふ)は昔からあるものです。和紙を細く切り、紙糸にして織った布が紙布ですが、和紙の原材料は楮(こうぞ)、三椏(みつまた)などですから、これも樹木布の一種と言えるのではないでしょうか。今では、紙布もたくさん生産することはできません。紙子(かみこ、紙で作られた衣服のこと)などもありますから、昔から紙はよく用いられていたのでしょう。平安時代、紙子は僧侶の衣服に用いられていました。今回、高野山の霊木で織った布があると聞いて、これも何かの縁、ストーリーを生み出すことができると思い、安倍晴明の衣装として使うことにしたんです。

伊藤:1、2年をかけて準備をすれば、もう少しこの生地の特性がわかったのかもしれないのですが(※伊藤さんが本作衣装の準備にかけたのは8ヶ月)、実際に樹木布で衣装を仕立てると、生地の糸が切れてしまうことがありました。生地に伸縮性がないので、引っ張りに弱かったのです。映画全体の半分ほどは樹木布の狩衣を用い、主にアクションシーンには、麻のからみ織りの生地で仕立てた狩衣も作って、それを着ていただきました。さらに狩衣は、袖を縫い合わせることでアクションに対応しています。

樹木布には、独特の霊気と清々しさがあります。絽や紗などの夏の着物とも違う、涼やかさ。私自身、今回の出会いをきっかけに、今、樹木布をもっとちゃんと着られるものにしようと研究しているところです。

伊藤:現代の木綿とポリエステルの混紡です。グレーは、単色にせず、黒×白の交織のほうが味が出ておしゃれです。

伊藤:徽子女王の細長の衿や、袿(うちき)の衿の部分には刺繍を入れています。刺繍の模様は、正倉院が所蔵する、撥鏤(ばちる、染め上げた象牙の表面を彫刻することで、図柄や文様を白く表す工芸技法で作られた品)と、蒔絵などの草花模様を参照しました。この刺繍は、夜な夜な自分で手を動かして仕上げましたね。こういう草花模様には、平安期の人々の美意識が現れている気がします。

細長の後ろ丈は、12〜13mあったと思います。昔の人がそんな姿でいたなんて、信じられませんよね(笑)。そんな細長はどこにもなかったので、絹で作りました。作品の衣装すべてを絹で作ることは不可能だったので、博雅はポリエステルですが、色も含め、使い方によっては良いものです。

伊藤:博雅にはいつも烏帽子に花を挿しているという設定があったので、造花を造りました。また、手紙を渡すシーンで出てくるウツギは本物を求められていたので、四方、手を尽くして本物を手に入れ、最終的には造花と本物の両方で表現しました。

監督の「美は細部に宿る」を体現した美意識が奏効し、細かなところまで見て楽しめる作品になっているのではないかと思います。

伊藤:安摩もとても好きです。面は、いくつかの実在の安摩の仮面をもとに、よりグラフィカルな形に作り替えました。パンツも市松模様にしてグラフィックを強調しています。パンツに使用したのはイタリアのオートクチュールの生地で、コメディ役者が着るようなものが、今回の映像の中では際立ちましたね。身頃は訪問着のアレンジで、模様は雅楽の衣装に似せています。

また、映像や舞台の衣装では、役者が少し飛んだだけでも、うんと飛び上がったように見せるための工夫をします。この安摩の衣装では、袖丈を長くとり短冊にし、腕の動きで迫力が出るようにしました。

伊藤:つい「平安時代」とひとくくりにしてしまいますが、400年もある時代です。当然、簡単にまとめることはできないんですよね。世界に対する国の立場も変化していて、中期は、まだ唐文化の影響が残っていたはずですから、衣装にはもっと中国風を入れる方向もあったと思います。

日本人は、昔から海外のものが本当に好きなんですよね。好奇心が強くて融通がきく、その気質が、布を自分の体に合わせて着せつける、紐をたぐって丈をあわせるといった衣服にも現れているのではないかと思います。そうした衣文化は、精神性や生き方に影響を与えるはずですから。「ノー」と言わずに、いったん受け入れる。それがお金のある身分の高い人の間で終わるのではなく、庶民にも伝播していくことに日本の面白さがあると思います。庶民の力も大きいですね。

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