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パリコレについて知りたい!
取材歴26年の編集者によるパリコレ徹底解説

2024.09.27

 パリコレの歴史・起源編 

Q:パリコレの始まりって?

FHCMによると、パリ・ファッションウィーク®の創設は1974年。戦後、プレタポルテが台頭するなか、前年に発足した「クチュリエとクレアトゥールのプレタポルテ組合(Chambre syndicale des couturiers et créateurs de mode)」が、クチュリエや新進デザイナーのショーを取りまとめたことから、現在のファッションウィークの基盤が作られました。

Q:1974年から現在まで、発表形式はどのように変化した?

オートクチュールの歴史をたどると、1900年代初頭からすでに年2回のコレクションを発表する習慣があったそうです。カナダ生まれのイギリス人、レディ・ダフ=ゴードン(Lady Duff-Gordon)が、プログラムを用意し、音楽、照明を備えた舞台演出のショーをしていたことが、ファッションショーの起源といわれています。

さらに遡れば、1858年にパリで創業し、モード界に君臨したイギリス人のシャルル・フレデリック・ウォルト(Charles Frederick Worth、英語読みではチャールズ・フレデリック・ワース)が、オートクチュールメゾンの原型を作ったクチュリエとして知られています。1868年にウォルトが立ち上げた最初の組合は、現在に続くオートクチュール組合(1911年設立)のベースになりました。

ウォルトはモデル役の女性に服を着せ、顧客に見せるという新商法を考案。シーズンごとにデザインし、ネームタグを付けることで存在をアピールするなど、匿名の職人だったクチュリエの地位向上にも貢献しました。このようなことから、ウォルトは“オートクチュールの父”といわれていますが諸説あり、こうしたビジネス展開をした最初で唯一の人物ではなかったと解説する研究者もいます。

 メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)2024年春夏オートクチュールコレクション

Q:パリコレが世界の最高峰と言われる理由は?

その理由はいくつかあります。

– 高いクリエイティビティ

– ビッグメゾンから新進気鋭のデザイナーまでの層が厚い

– 国際色が豊か

FHCMはパリをモードの中心地にするために、長い年月をかけて、国内のみならず海外の才能豊かなデザイナーたちにも新作を発表する場を与えてきました。シャネル(CHANEL)のような歴史あるメゾンから、設立されて間もない小さなブランドまで、幅の広いクリエイションを見ることができるのもパリコレの特徴であり魅力です。

パリの公式カレンダーで新作を発表すると、世界中のメディアに取り上げられる機会を得ることになります。それはブランドのアピールに直結しますが、同時に実力が試されることになるので、国際的な評価を得るために挑戦するというデザイナーもいます。

FHCMエグゼクティブ・プレジデントのパスカル・モラン(Pascal Morand)氏はパリ・ファッションウィークを「商業イベントであると同時に文化イベントである」と強調。

シャネル(CHANEL)2024-’25年秋冬ウィメンズコレクションより。Photo : ©︎Chanel

「このイベントで重要なのは、創造性や芸術性。デザイナー、演出家、スタイリスト、ミュージシャンなど、あらゆる才能が集結する場であり、これによってパリのファッションウィークは発展してきました。ビジネス面の影響力はどの都市より高く、メディア・インパクト・バリュー(メディアの影響を価値換算したもの)は約5億ユーロ(約788億円、2024年春夏ウィメンズ時の調査)にのぼります」

実は日本は、公式カレンダーに記載されるブランド数が、フランスに次いで多い国。
「日本から参加している多くのブランドはインターナショナルになって、力をつけていますよ。ケンゾー、イッセイミヤケに続いて、ヨウジヤマモト、コム デ ギャルソンが出てきたときのことをよく覚えています。衝撃的だったからね。サカイ、カラー、アンダーカバー、タークなどもすばらしい。この前、初めて公式でショーをしたオーラリーも。日本のテキスタイルは世界的に見ても秀でていますし、音楽や映画においても独自のカルチャーを持っている。それを継承する彼らは、とてもクリエイティブだよね」

 パリコレのルール編 

Q:ブランド側の参加条件は? 

パリ・ファッションウィークの公式カレンダーは飽和状態。毎シーズン、既存ブランドが抜けた分だけ新規を受け入れています。参加を希望するブランドはFHCMの公式サイトから申請できますが、時には1つの枠に50もの応募があることも。それくらい狭き門なのです。

選考会はウィメンズとメンズのそれぞれの委員会によって毎シーズン開かれ、委員長、役員、会員で構成されたメンバーに加え、入れ替わり召集される国内外のジャーナリスト2名とバイヤー2名によって審議されます。(私も過去に参加)

選考基準でもっとも重視されるのはクリエイティビティ。メディアの記事、取扱店なども参考にされ、ビジネス面や将来性も考慮されますが、デザイナーやブランドの国籍は関係ありません。

「ある国の政府関係者から自国ブランドの参加を相談されることもありますが、プロセスは全員同じ。例外は認めていません。カレンダーのブランドはポジションをキープするのが大変ですが、入るのはもっと大変なのです」(FHCM広報担当者)

リック・オウエンス(RICK OWENS)2025年春夏ウィメンズコレクション。

Q:モデルとしてショーに出るには?

近年の変化といえば、モデルの多様性が挙げられます。性別、年齢、体型、人種といった垣根を超えて、様々なタイプのモデルを起用することがスタンダードになりました。

デザイナー(またはクリエイティブディレクター、アーティスティックディレクター)のお気に入りのモデルがダイレクトに起用されることもありますが、多くの場合、キャスティングで決まります。通常、モデルエージェンシーと交渉するのは、キャスティング担当のプロ。ブランドの意向に沿ったモデルを確保するために、激しい争奪戦が繰り広げられることも。

Q:ショーを観ることができるのはどんな人?

 会場・演出編 

Q:会場の座席はどのように決まるの?

座席がきっちり振り分けられたショーとざっくりと決まっているショーがあり、多くの場合、スタンディング枠もあります。フロントロウを占めるのは、セレブリティや各誌編集長、人気インフルエンサーなどの影響力がある人たち。あるいは有力バイヤーや上得意客などです。

Q:ショー会場はどのように決めているの? 

ショー会場は各ブランドが決めます。そのため、ショーはパリのあちこちで開催されています。FHCMは取材陣がショーをスムーズに回れるように、パリの中心部を推奨していますが、必ずしもそれが守られているわけではありません。ブランドはその時々のコレクションのイメージやコンセプトに合う場所を探し、パリから50キロも離れたお城で開催されたこともありました。一方で、同じ会場にとどまり演出で変化を見せるブランドもあります。アーティストとコラボレーションしたり、趣向を凝らした大掛かりなセットを組んだりと、会場のセットも見どころのひとつになっています。

Q:ファーストルックやラストルックなど、ルックを出す順番の意味は?

コレクション全体の印象を左右するルックの順番はとても重要。ショーにストーリー性を持たせるために熟考されるもので、コンサルティングのスタイリストが決めるブランドも少なくありません。スタイリストは、一歩引いた立場でアドバイスをしてくれて、新たなアイディアをもたらしてくれる存在です。

オートクチュールの場合は、デイウェア、カクテルドレス、イブニングドレスのグループが順に登場し、マリエ(花嫁)がラストを飾るのが一般的でしたが、今は一部のメゾンを残して、その習慣はあまり見られなくなりました。

 近年のパリコレ傾向〜
パリコレを目指す人へのアドバイス
 

Q:最近のコレクションの傾向は?

ウィメンズとメンズを隔てないショー

現在、ウィメンズとメンズで期間を分けているファッションウィークですが、数年前から合同ショーをするブランドが増加傾向にあり、加えて、ジェンダーレス化も加速しています。こうしたことから、ウィメンズ・メンズの統合説も聞かれますが、FHCMはきっぱり否定。

「フランドによっては商業戦略で両者を一緒に発表しているところもありますが、ショーを取材するメディアも観客も同じではありません。市場が別れていて、それぞれのビジネスの生態系の上に成り立っています。ですので、統合することは考えられません」(FHCM広報担当者)

・フィジカルショー+デジタル配信の合わせ技の定着と、過熱するインフルエンサーマーケティング

パンデミックを経て変化したこともあります。一時は公式カレンダーのすべてのブランドがコレクションのデジタル配信を余儀なくされましたが、パンデミックの収束とともにフィジカルショーが戻り、デジタル配信も定着しました。

サカイ(SACAI)2024-25年秋冬のショーに来場したSnow Manのラウールさん

「パンデミック後、ブランドの申請数が以前に増して多くなりました。フィジカルなショー、人とのリアルな交流の大切さが証明されたのでしょう。パンデミックはデジタル化を促進させましたが、こうした“体験”の重要性を確信させたのです。数シーズン前に、ショーとプレゼンを一つのカレンダーに統合させ、全体の数を減らしたのは、それまでブランドの数が多過ぎたから。詰め込むことで、参加ブランドの会場に行けない人を増やしたくはないからです」

こうした状況を背景に、インフルエンサーマーケティングの高まりも如実に表れています。今ではショーの会場前に、個々にお気に入りのインフルエンサーを持つ大勢のファンが詰めかけ、入り口付近を取り巻くという光景が当たり前になりました。時にはその数の多さに圧倒されることもあります。

ディオール(DIOR)2024年秋冬ウィメンズコレクションの会場前。

Q:ファッションウィークを取り巻くイベントも行われているの?

パリコレ期間に行われているのは、ショーとプレゼンテーションだけではありません。ファッションウィークには世界中からバイヤーやジャーナリストが集まるので、取引先の開拓、セールス、コレクションの紹介などを目的に、大規模なトレードショー、中規模のマルチレーベルのショールーム、ブランド独自の展示会なども開かれます。ブランドによっては展示会場にデザイナー自身がいるので、彼らとコミュニケーションを取ることも可能です。

トレードショーの「トラノイ(TRANOÏ)」と「プルミエールクラス(PREMIER CLASSE)」。

また、ショーの翌日か数日後に“リシー(RE-SEE)”という、文字どおり“再び見る”ための催しも行われます。ここにもメディア関係者が招かれ、ショーピースをじっくり間近で見ることができます。ランウェーでは見えなかったディテールや素材の感触などを確認でき、コレクションの説明も聞きけるので、気になるブランドはぜひ足を運びたいところ。ショー会場がそのまま使われていることがあるので、空間演出のリマインドにもなります。

FHCMが支援する若手ブランドの合同展「スフェール(SPHERE)」。

Q:パリコレに関わる仕事には何がありますか?

パリコレの花形はデザイナーやクリエイティブディレクター。ショーの最後に登場し、観衆から拍手喝采を受けるのは彼らですが、ひとつのコレクションを作り上げるには、多くの人の力が不可欠。彼らの協力なくしては、完成しません。コレクション製作を担うのはデザインチームとアトリエ。刺繍や帽子製作など、社外の職人が担当することもありますし、アーティストとのコラボレーションも盛んに行われています。プロダクション、ディレクター、ミュージックプロデューサー、スタイリスト、ヘアメーク、キャスティング、モデル、アタッシェ・ド・プレス(PR)など、様々な職業の人たちが携わり、会場のレンタル、照明・音響の設置も必要。これらの総力を集め、多大な資金と時間をかけて行うショーを持続していくことは、本当にすごいことなのです。

 パリコレを取材する編集者が答える 
 【Q&A!】
 

装苑読者からいただいたパリコレに関するリアルな質問を、パリで長年取材を続ける編集者が答えます!

多数ありますが、記憶に新しいのは今年6月に開催されたドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)の引退ショー。ドリスのコレクションは、メンズとウィメンズともに長年取材をしていたので、会場に流れていた過去のショーの断片映像を見て、フラッシュバックのように記憶が蘇ってきました。拍手喝采のショーの最後には、巨大なミラーボールが現れ、パーティー会場になるというドリスからゲストへの贈りものも。周囲への気遣いも含め、最後まで自身の美学を貫いた唯一無二のデザイナーでした。

ドリス・ヴァン・ノッテンの引退ショーに際し、会場に流れていた映像。

近年では、実物の招待状ではなく、Eインビテーション(メール添付)が増えています。招待状が届くのは早くて1週間前、ショーの前日にしか届かないこともあります。
インビテーションには、とても凝ったものがあって、これから発表するコレクションを暗示させるデザインになっています。

左 ラコステ(LACOSTE)2024-’25年秋冬は、実際に使っていたテニスコートのネットが招待状になった。右 ケンゾー(KENZO)2023年春夏コレクションは、カレッジペナントがモチーフに。

左  ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)2024-’25年秋冬のメンズはアメリカ西部がイメージされ、ハーモニカ付きの招待状が送られた。右 ヴェトモン(VETEMENTS)2024-’25年秋冬の招待状はVIPパス風。

ショーに遅れて(前のショーの遅延や渋滞で)全力で走ったにもかかわらず、目の前で会場の扉が閉められる、という悔しい経験が複数回あります。ファッションウィークはあるところで体力勝負!

FHCMがこの期間に手配をしてくれる小型バス。ショー会場の間を繋いでくれるのでとても便利ですが、渋滞には要注意。

1990年代後半でしたが、残念ながら誰のショーだったのか覚えていません。会場はパリコレの中心地だったカルーゼル・デュ・ルーブル(CARROUSEL DU LOUVRE)で、しかも一番大きなホールだったので、著名ブランドのショーだったことは間違いないのですが…。たまたま知人の誘いでショーを観た私は、そこに集まる人たちの熱気に圧倒され、イマジネーションを掻き立てる舞台に釘付けになりました。その時に「またここに戻ってきたい!」という気持ちが芽生え、徐々に実現していったのです。今思えば、その時が私のリアルなファッションウィーク歴の始まりでした。

朝から晩まで8つのショー、プレゼン、リシーをまわり、途中で合同展に立ち寄りデザイナーにインタビュー。夜はイベント取材とSNSの投稿、というのが直近で一番ハードな日でした。移動には、シャトルバスか地下鉄を利用しています。

ノート、ペン、スマートフォン。最近はセレブインタビューのための小型マイクも。

同じものもありますが、製品化されないものもあります。

超ハイクラスのメゾンでは、シンプルなものでも一着500ユーロ(約800万円)、凝った装飾のものではその10倍をも超えるといわれています。クライアントは世界中の富裕層で、顧客リストに名前が載る名家の子女もいれば、2000年代から加わったニューリッチも。

東京で発表するブランドは、基本的には東京が拠点。けれどパリコレはパリという都市名がついているものの、世界レベルのワールドコレクションなのです。パリコレの時期には、世界中の主要都市のバイヤーやプレスがパリに集結。この街から世界中に向けて最新モードが発信されます。(パリコレ取材歴のある東京の編集者)

Photos : B.P.B. Paris

Text : Mariko Mito(B.P.B. Paris)
文化出版局パリ支局 支局長。東京の企業のアタッシェ・ド・プレスを経て、1994年に渡仏。1998年よりファッションエディター兼スタイリストのマリ=アメリー・ソーヴェに師事。独立後、フリーランスで活動し、2006年より現職に。

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