デザイナーの仕事のリアルとは?
メゾンには、クリエイション全体を統括するアーティスティックディレクター(あるいはクリエイティブディレクター)とデザイナーたちがいる。コレクションのアイデアを発展させ、デザインするのが、彼らが所属するステュディオ(デザインスタジオ)の仕事。そして、そのデザインを実際の服へと形にしていくのが、モデリストやお針子たちが所属するアトリエである。
「まずはブリーフィングがあって、テーマごとにムードボードを作っていきます。これも、私たちデザイナーの仕事です。リサーチして集めた、何百枚、何千枚ものビジュアルをカテゴライズしていき、合わないものは抜くなど、エディティングをしていくんです」
「デザインをする時、リファレンス(参照するもの)になるのは服しかないです。たとえば、アーカイブで見つけたリボンやある時代の服のシルエットなど。そこから、似たようなものを集めたり、ほかのアイテムに展開したりして、アイデアを広げていくんです。その過程で作ってもらったマケットをフィッティングして、デザインが決まっていきます」



デザイン画を描く大森さん。フィッティング時のマケットやリファレンスの画像を見ながら、自分の中でコラージュしていくのだそう。下絵を写し取るライトテーブルも仕事の必須道具。
絵を描くのは最後
アーティスティックディレクターとのミーティングで使うのも、このマケットである。
「絵じゃわからない、って言われるので。もちろん、時代やメゾンによっても違いますが、今のやり方はだいたい共通しています。最初からデザイン画を描くことは、まずないですね。絵を描くより、リサーチとエディティングに大部分の時間を費やしています」
大森さんにとってデザイン画は、出発点でもなければ、イメージを自由に表現するためのものでもない。具体化された服のデザインを、実際に製作するアトリエへ伝えるためのものなのだ。その一枚一枚には、見る人が理解しやすいよう、ディテールまで丁寧に描き込まれている。
「ちゃんと図にして、アトリエにお渡しするのが、私のやり方です」

大森さんの過去のポートフォリオより。
プロデザイナーのシビアな現実
試行錯誤を重ねた末、時には、すべてが不採用になることもある。それほど厳しい世界なのだ。さらに、ファッションはビジネスであるというシビアな現実もある。
「マーケティングチームから、アイテムごとの点数や素材の価格帯などが書かれた予算計画が提示されます。私たちは、その範囲内に収めるようにしなければなりません。デザイナーの仕事は皆さんが思っているより、このように決められたプロセスに沿って進む、システマティックなものなんです」
「売上目標があって、たとえば5年契約のクリエイティブディレクターでも、達成できなければ2年で終わることもある。そのあたりは、はっきりしています。ターゲットの客層にどれだけ訴えられ、買ってもらえるかが重要です。だから、自分のやりたいことや気分より、時代のムードや世の中の人が何を求めているかを意識しながら作っています。それに、ブランドのDNAやクリエイティブディレクターの得意分野もあるので、それらを総合して、どうするかを決めています」
服を知らなければデザインはできない
大森さんがメゾンで手がけるのは、1シーズンにつき多い時で十数体のウィメンズのルック。春夏・秋冬に加えてプレもあるため、年間4シーズンのコレクション制作に携わることになる。
「好きでデザインしているように見えるかもしれませんが、そんなに気楽なものではありません。どんなコンディションでも、アイデアが出なくても、出すのがプロの仕事だから。3か月に一度は試されるわけです。だから、貯金しておかなくちゃならない。空から降ってくるのを待っていても、降りてきません。自分で行動して、見つけにいくしかないんです」
蚤の市やブティックに通い、話題のモード展には必ず足を運ぶ。インタビューの翌日にはロンドンに行くというが、その目的はスキャパレリ展を見ることだけだ。


マレ地区の骨董市にて。写真:本人提供
「服を知らないでデザインはできません。だから、古着から最新のものまで見るようにしています。実物を見ないと、どういう風になるのか、わからないじゃないですか。だから学生たちにも、とにかく服を見るように言っています。着想源が建築でもいいんですが、きちんとリサーチして、最後には服に落とし込まないと。服は生活の一部で、人が着て動けるものでないといけないから」


「自分の教えたことが参考になって、学生たちが業界に羽ばたいていく姿を見ると、やっぱり嬉しいですね」
夢をひとつずつ叶えながら
自身の経験を生かして学生を指導する大森さんは、『note』でも若い日本のデザイナーたちにアドバイスとエールを送っている。
「ファッションも含め、カルチャー的なものが十分に評価されていないと感じます。その価値をもっと認めてもらうために、私の経験を発信して、死ぬまでに何かのお役に立てたらと。そして、皆んながしたいことを素直にできる、生きやすい世の中になればいいなと思っています」
紆余曲折を乗り越えて、夢をひとつずつ叶えてきた大森さん。小さい頃の憧れだったモデルの仕事も53歳にして実現した。

リック・オウエンス2025年春夏のショーで、堂々とランウェイを歩く大森さん。Photo : B.P.B. Paris
「思わぬところで夢が叶ってきました。アンテナが向いていたんでしょうね。数年先の目標はいつも立てていて、そこに向かう方法を考えています。それに、プランA、B、Cって、3つぐらいのオプションも。経済的に余裕がなかったので、そうしないと行きたいところに行けないと思っていたんです」
情報を集め、思考をめぐらし、かたちにする。それは、服をデザインするときのプロセスにもどこか似ている。
「結局、やりたいことしかやってないんですよ」と大森さんは笑う。運は待つのではなく、つかみに行くもの。そうして道を切り拓いてきた彼女は、これからも思い描く未来へと歩み続けるだろう。

大森美希(おおもり・みき)
1971年、栃木県宇都宮市生まれ。文化服装学院アパレルデザイン科卒業。仙台の服飾専門学校で教員として勤務した後、2000年に渡仏。パリのモード学校を経て、複数の企業でインターンを経験する。’02年からバレンシアガ、’06年からランバンでデザイナーとしてのキャリアを積み、’11年にはニナ リッチのヘッドデザイナーに就任。’15年、コーチのシニアデザインディレクターに迎えられ、ニューヨークへ。’19年にパリへ戻り、現在はパーソンズ・パリ修士課程のアソシエイトディレクターとランバンのデザインコンサルタントを務める傍ら、SNSや『note』で発信するなど、インフルエンサーとしても活動している。
Instagram:@mikiomori_
X : @_omori_miki
note : https://note.com/mikiomori
Photographs:Chieko Hama
Text:Mariko Mito (B.P.B. Paris)
関連記事:
パーソンズ・パリの卒展で、大森美希先生に聞く「削ぎ落とすことが大切」
【From パリ支局】パーソンズ・パリ、卒展2021とポストコロナに向けて教えたいこと