
『城の庭(Le Parc du château)』1785年、Jean-Baptiste Huet。トワル・ド・ジュイを代表する図案のひとつ。マリー・アントワネットの「王妃の村里」にも通じる田園趣味がうかがえる。Photo : © B.P.B. Paris
フランス語で「ジュイの布」を意味するトワル・ド・ジュイは、のどかな田園風景や優美な花々のプリントが特徴の綿布。18世紀にヴェルサイユ近郊の小さな村ジュイ=アン=ジョザスで生まれ、プリント技師クリストフ=フィリップ・オーベルカンプによって大きな発展を遂げました。この村に佇むトワル・ド・ジュイ美術館は、その豊かな歴史と魅力を今に伝えています。

トワル・ド・ジュイ美術館。華やいだ長方形の花壇は、染めた生地を天日干ししていた風景をイメージしている。
インド更紗の渡来と西洋更紗の流行
ヨーロッパにおけるプリント生地のルーツとなったのは、鮮やかな模様で彩られたインド更紗。そのエキゾチックな布が、フランスへもたらされたのは17世紀のことでした。ルイ14世のもとで発足したフランス東インド会社を通じて、大量に輸入されるようになったのです。

インド・ペルシャ圏で発展した伝統的な染織技法カラムカリによる19世紀のソフレ(食卓布)。曲線的な草花と鳥の模様が木版プリントされている。図柄の複雑さや色の豊かさは、社会的地位を示す役割も果たしていた。

18世紀、インドのパランポール(ベッドカバーや壁掛けとして使われた大型プリント布)。生命力あふれる植物模様に、後のトワル・ド・ジュイへとつながる装飾美を見ることができる。
当時のフランスは宮廷文化の全盛期。ファッションの主役といえば重厚な絹のドレスで、模様の多くは刺繍や織りによって表現されていました。そこへ現れた軽やかで装飾性にも富んだインド更紗は “アンディエンヌ(インドの布)”と呼ばれ、人々に熱狂的に受け入れられます。宮廷における異国趣味や新しいファッション素材への関心とも重なり、時代の気分にぴったり合っていたのです。

『荷車を引く中国人(Le chinois à la brouette)』1760〜1763年頃。オーベルカンプの工場でプリントされた初期のトワル。当時は東洋への憧れからシノワズリが流行し、このようなモチーフが人気を集めた。
やがてヨーロッパ各地でも同様の技法を取り入れた更紗が作られるようになりますが、フランスではあまりの流行ぶりから、国内の絹・羊毛産業を保護するため、70年以上にわたり輸入・製造・着用までもが禁止されました。それでもなお貴族たちは強い憧れを抱き、密輸や非合法流通は続いていくのでした。ルイ15世の寵愛を受けていた公妾ポンパドゥール夫人も室内装飾や衣服にインド更紗を積極的に取り入れていたほどで、その政治的影響力を通じて禁止令撤廃を後押ししたともいわれています。

『マフを持つポンパドゥール侯爵夫人(La marquise de Pompadour en manchon)』1763年、François-Hubert Drouais(複製)。アンディエンヌのドレスをまとった姿が描かれている。その横は木版プリントのトワル・ド・ジュイ『花と鳥(Fleurs et oiseaux)』1783年頃。

『花咲く茎(Tiges fleuries)』1775年頃のトワル・ド・ジュイ。小花柄は人気が高く、衣服に広く用いられていた。インド更紗から発展した植物プリントは、フランスらしい洗練されたスタイルへと昇華されている。
トワル・ド・ジュイの誕生
こうしてジュイ=アン=ジョザスにも転機が訪れます。禁止令が解かれた翌年の1760年、村にドイツ人のプリント技師クリストフ=フィリップ・オーベルカンプが工場を設立したのです。軽快さや優雅さを好んだロココ文化を背景に、インド更紗の流れを汲むトワル・ド・ジュイは、王侯貴族や富裕層を中心に人気を広げていきました。宮廷に近く、染色に欠かせない豊かな水に恵まれたこの土地は、オーベルカンプにとって理想的な場所だったのです。


オーベルカンプの書斎を再現した部屋。壁の絵は、ナポレオン1世が工場を訪れた場面を描いたもの。『ジュイ=アン=ジョザスのオーベルカンプ工場(La Manufacture Oberkampf de Jouy-en-Josas)』1807年、Jean-Baptiste Huet。
オーベルカンプは、ヴュルテンベルク地方出身のアンディエンヌ職人の家系に生まれました。1758年、パリにあったプリント工房に採用され、その後独立。優れた企業家としての才能を発揮し、工場を成長させていきます。


壁もトワル・ド・ジュイのモチーフ。書棚には、プリントに使われていた木版の展示も。
当時のファッションリーダーだった王妃マリー・アントワネットが、1781年にルイ16世とともにオーベルカンプの工場を訪れたこともありました。格式ある宮廷の場では依然として絹の正装が重んじられていましたが、プチ・トリアノンでの自然体の暮らしを愛した王妃は、木綿のドレスを私的な時間に好んで着用していたといいます。こうした時代の変化もまた、トワル・ド・ジュイの流行に影響を与えていったのです。



オーベルカンプ夫妻の寝室。当時の室内装飾やファッションに見られた多様な様式の組み合わせを再現。二人の肖像画やドレスも展示され、ブルジョワジーの優雅な暮らしぶりを想像させる。
革命を乗り越え、栄誉を手に
フランス革命によって王侯貴族中心の社会は大きく変化しますが、オーベルカンプの工場はその激動の時代を巧みに乗り越えていきます。扱いやすい綿のプリント生地は、革命期に広まった簡素で実用的な服装の流れとも相性がよく、トワル・ド・ジュイの人気は衰えることなく続いていったのです。




木版から回転式印刷機用シリンダーまでを展示。銅版は繊細な線描写を可能にしたが、当初は55cm×90cmほどの版の彫刻に2か月以上を要したという。新技術に敏感だったオーベルカンプは、金属製シリンダーの印刷機に改良を加え、生産効率の向上を図った。1805年には、年間生産量が4万メートルに達したと記録される。
工場はさらなる発展を遂げ、1803年にはフランス第3位の企業に成長。1806年、その功績が認められたオーベルカンプは、ナポレオン・ボナパルトからレジオン・ドヌール勲章を授けられます。1802年に創設されたレジオン・ドヌールは、現在もフランスで最も権威ある国家勲章であり、オーベルカンプは企業家として初めて、皇帝自らの手でこの栄誉を授与された人物となったのです。

ナポレオン1世によるオーベルカンプへのレジオン・ドヌール勲章授与の場面(1806年 Jean-Baptiste Isabey)。皇妃ジョゼフィーヌらを伴って工場を訪れた皇帝は、青銅製シリンダーがローマ占領時に押収した大砲から鋳造されたことを知り、感銘を受けたという。


左:オーベルカンプが着用していたシルクベルベットのスーツ三点セット(1770–1780年)。右:ナポレオンから贈られたレジオン・ドヌール勲章。
ストーリーを語る多様なモチーフ
トワル・ド・ジュイの魅力は、良質なプリントと豊かな模様にあるといえるでしょう。オーベルカンプは時代の変化に合わせてモチーフを進化させ、エキゾチックな柄やエレガントな花模様、牧歌的な田園風景など、多彩なモチーフを次々と発表します。その数は3万以上にのぼったともいわれ、なかには大きな成功を収め、何度も再解釈・再版された図案もありました。

『ぶらんこ(L’Escarpolette)』1785年、Jean-Baptiste Huet。無邪気に戯れる女性を描いた優美な図案。
神話や政治、当時の出来事など、人々の関心を反映したモチーフも多く、羊飼いや動物の絵で知られるジャン=バティスト・ユエなど、優れた画家たちとの協働によって、トワル・ド・ジュイは芸術性を高めていきます。デザインから当時の時代背景を読み取れるのも、興味深い点です。
質の向上と技術革新に情熱を傾け、モチーフの構図一つにもこだわったというオーベルカンプは、こうしてフランスで最も名を馳せるプリント工場を築き上げていったのです。


左:『大きな花とパイナップル(Grandes fleurs et ananas)』1790–1800年。当時は珍しかったパイナップルが、南国の花とともに描かれている。右:『イルカと子ども(L’enfant au dauphin)』1765–1774年。花綱や壺花のあいだに、イルカと戯れる子どもの姿を配したロココ様式らしい華やかな図案。

『愛への捧げもの(L’Offrande à l’amour)』1799年、Jean-Baptiste Huet。羊飼いや娘たちが登場する牧歌的な図案。評判の田園風景シリーズだが、ユエは古代風モチーフを取り入れ、寓意的な世界観を作り上げた。
受け継がれるトワル・ド・ジュイ
彼の死後、工場は息子と親族に委ねられますが、時代とともに産業は衰退。1843年に閉鎖を余儀なくされます。しかし、その図版やモチーフは各地に広まり、“トワル・ド・ジュイ” の名は同系統のプリント生地を指す言葉として定着していきました。

『ゴネスの気球(Le Ballon de Gonesse)』ジャン=バティスト・ユエの図案に基づく。1783年の気球飛行を題材にしたトワル・ド・ジュイの図案を、メゾン・ブルジェが現代的な配色で複製したもの。
戦後のファッション界においても、トワル・ド・ジュイは多くのクリエイターたちにインスピレーションを与え、その存在感を示します。クリスチャン・ディオールは、店の内装にジャン=バティスト・ユエによるモチーフ『ぶらんこ』を採用。ディオールの後継者たちもジュイ柄をコレクションに取り入れ、クリスチャン・ラクロワ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、クロエなど、多くの人気ブランドによって再解釈されました。
時代が移り変わった今もトワル・ド・ジュイは確かに息づき、世界中の人々を魅了し続けているのです。


左:クロエ 2019年秋冬のドレス。シルクモスリンにトワル・ド・ジュイ風の柄がプリントされている。右:ヤズブキー 2006年春夏のプラットフォーム。このコレクションは18世紀が着想源になった。
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