衝撃作『インフィニティ・プール』
監督のブランドン・クローネンバーグに尋ねた、
創作を薄めないための方法論、今の時代に必要な表現者とは?

2024.03.28

セレブが集まるリゾート地。そこでは、重罪を犯しても大金と引き換えに身代わりのクローンが罪をあがなう闇のルールが存在していた――。なんとも独創的で悪魔的な設定が効いている『インフィニティ・プール』は、現代社会にはびこる格差を痛烈に風刺した一作でもある。

本作を作り出したブランドン・クローネンバーグ監督は、どのように発想が生まれる環境を作り、自身のカラーを担保してきたのか。そして、混沌とした現代社会をどう見つめているのか――。単独インタビューで作品の舞台裏を尋ねて彼の脳内に迫る一方で、次世代のクリエイターに対するメッセージをいただいた。

interview & text : SYO

ブランドン・クローネンバーグ

『インフィニティ・プール』予告編

社会が誰かを罰したいと何故思うのか、その裏にある感情とは?という疑問が発端だったように思います。

——『アンチヴァイラル』『ポゼッサー』『インフィニティ・プール』と、ブランドン監督の作品の「発想の斬新さ」「内面描写の生々しさ」にいつも圧倒されます。本作は短編小説からスタートし、ドミニカ共和国のリゾートを訪れた経験も活きていると伺いましたが、物語づくりにおいて、「設定」「イメージ」「セリフ」「キャラクター」など、どういったところを取っかかりにしていくのでしょう。

ブランドン・クローネンバーグ:企画によるところはありますね。僕が以前作った短編『Please Speak Continuously and Describe Your Experiences as They Come to You』(2019)は、自分が見た夢や他の人が見た夢を混ぜ合わせて、夢を連続して見せるような内容にしていきました。

ただ、抽象的なアイデアから始まることがやはり多く、それを形にしていこうとストーリーやキャラクターを中心に据えて、作り上げていきます。つまり前提として、抽象的なアイデアや思考、ぼんやりしたテーマがあり、そこから具体的なシーンやキャラクターが生まれてゆくのです。

『インフィニティ・プール』の場合は、「罪の意識」とはどういうものなのか、そして社会が誰かを罰したいと何故思うのか、その裏にある感情とは?という疑問が発端だったように思います。よく「罰を与える理由は再発を抑止するため」と言われますが、感情面に目を向けると「社会や集団の中で悪事を働いたら罰を与える」行為の裏側には「正しくなければならない」という心理が働いているのではないかと。いまの時代に生きている者としての肌感も含みますが、そこには論理的ではない感情が潜んでいるように前々から感じていたのです。

映画『インフィニティ・プール』より

——非常に共感します。犯罪行為だけでなく、規範や道徳から外れたものを罰したいという欲求にあふれている時代の空気は、僕自身も常々感じています。

ブランドン・クローネンバーグ:僕は、罰を必要とすること、そして罪悪感をおぼえるとはどういうことか、それらが個人のアイデンティティにどう影響するのか——という部分に興味がありました。この映画の中では、個々人の中に罪を犯した記憶はありますが、自分とそっくりな存在に罪を負わせることで記録には残らなくなります。我々が暮らす社会とは異なる司法に則った地域でクローンが処刑された際に、社会は同じように機能してゆくのか——と考えながら作っていきました。

映画『インフィニティ・プール』より

現在の特徴といえるのは極端な二極化です。

——罪を肩代わりしてくれるシステムを知ったとき、個々人の行動がエスカレートしていきモラルが欠如する、という展開に震えました。同時に、「セレブだけがその特権を享受できる」という部分に「格差」を感じたのですが、監督ご自身は現代社会をどのように捉えて、その中で映画がどのような役割を果たせるとお考えでしょう?

ブランドン・クローネンバーグ:壮大な質問ですね(笑)。なかなかまとめるのは難しいですが、僕が生まれ育ったカナダを含めた北米社会の現在の特徴といえるのは極端な二極化です。精神的にも文化的にも何においてもそうで、会話もできないような状況になっていると感じます。

ちょうど先日、友人とカウンターカルチャーについて話していたのですが、今はそれすら存在できません。というのも、以前であればある種の“メインストリーム”という括りが存在し、同じようなニュース・考え方・文化に触れている人々が一定数いたからこそ、それに対するカウンターという手段が成立し、それをカルチャーとして受け入れる土壌がありました。でもいまは「敵か/味方か」という極端な見方をされてしまう。チームスポーツ的な対立構造になってしまっていて、ある問題について意見をかわそうとしても対話すらできない状況だと感じます。

——先ほどの「正しいか/正しくないか」の二元論にも通じますね。

ブランドン・クローネンバーグ:こうした状況は、クリエイティブの面でも破滅的だと思います。集団としてのアイデンティティを過剰に求めすぎてしまい、個々人の多様な思考を共有できないわけですから。

そんな中で映画がどんな役割を果たせるか――なかなかパッとは答えが思いつきませんが、映画というものはものすごく没入できるメディアですし、一人の人間を掘り下げて見せることには長けていると感じます。そういった形で、皆を一つにすることができるのではないかと。映画の中で描かれるのは他者の体験ですが、そこに思いやりを感じたり共通性を見い出したり、共感性を抱くことで連帯を生み出せるのです。ただ、この部分もいまの二極化した状況では「あれは敵側の映画だから観ない」となりつつあるんですよね……。

——集団→個人ではなく、個人→集団であるべきですよね。素晴らしいご回答をありがとうございます。そして答えづらい壮大な質問をしてしまい、失礼しました。

ブランドン・クローネンバーグ:いえいえ!

『インフィニティ・プール』撮影中のブランドン監督

——なぜその質問をさせていただいたかというと、僕自身が本作を遠い世界のフィクションではなく、自分事化して観てしまったからなのです。確固たる映画表現としてのカラーに加えて社会性・時代性・現代性を強く感じたのですが、この部分に付随して伺いたいのはブランドン監督がどのような作り手から影響を受けてご自身のスタイルに到達したかです。

ブランドン・クローネンバーグ:なかなか具体例を挙げるのは難しくて、僕は触れたものがすべて糧になっていくタイプなのです。そして、興味を持つ範囲が雑多なんですよね。昔から、小説を書いたりバンドをやりたかったりして、結果的にビジュアルアーティストになりたいと思い映画監督にたどり着きました。興味のある要素をひとつにまとめられる仕事だったからなのだろうなとは感じています。

——なるほど。描写についても伺いたいのですが、本作にはサンダンス映画祭で上映された<過激バージョン>と、<劇場公開バージョン>が存在すると伺いました。僕が拝見したのは後者ですが、とはいえショッキングな描写はありますよね。しかしそこに「この表現でなければならない」という物語上の必然性を常に感じていました。

ブランドン・クローネンバーグ:ありがとうございます。前者には射精シーンがあったのですが、アメリカだとそのままでは商業的な公開が望めなくなってしまうのです。配給を手掛けてくれたNEONも大変だったかと思いますが、同社は非常にうまく対応してくれましたし、映画作家を大事にしてくれるので、僕も安心して信頼を寄せていました。

映画『インフィニティ・プール』より

ユニークな視点やアイデアを持っている方はとても少ない。次の映画界を作るのはそうした人たち。

——ちなみに、本作の制作において「これいけるか……?」と思ってチャレンジしたり、「もうちょっとやりたかった……」というような描写における試行錯誤・調整はありましたか?

ブランドン・クローネンバーグ:面白い質問ですね(笑)。今回は全部やりきっています! いまは自分がどんな作品を作るのか周りが知ってくれているので、驚かれたり「それはちょっと……」と反対されることはなくなりました。

むしろ『ポゼッサー』のときの方が大変で、終盤にある「子どもが命を落とす」表現にOKを出してもらうため、プロデューサーたちにプレゼンを行いました。ジョー・コッカーの「You are so beautiful(美しすぎて)」の楽曲に合わせて、映画史の中で子どもたちが殺されたシーンを数多くモンタージュして、最後にそれぞれの映画がいくら興収を上げたのかをまとめた映像を用意したんです。それを観たプロデューサー陣には「君はアグレッシブだね」と言われました(笑)。

——そんなアプローチを! 『インフィニティ・プール』を拝見して「日本の若いクリエイターたちはここまで思い切った表現をできるだろうか、そのためにどう立ち回ればいいのか」と考えたのですが、いまお話に挙がったプレゼンもそうですし、NEONのような理解者を見つけることが自分の表現を守るためには不可欠なのですね。

ブランドン・クローネンバーグ:まさしくそう思います。自主映画であればまた別かとは思いますが、ある程度の規模になるとどうしても自分の懐では賄えない予算で作ることにはなりますよね。カナダはまだカナダ・カウンシル・フォー・ジ・アーツ等の助成が充実しているため恵まれていますが、とはいえ商業的な映画の製作費に見合う額ではありません。業界の常として金銭/予算感によって様々なことが決定していくのは事実ですから、そんな中で映画を作ろうと思うとインダストリー・ファースト、アート・セカンドになってしまう。つまり採算が取れることが最重要になり、作家性は二の次になってしまうのです。

となるとまずは出資者たちに「これはお得です、収益が出ます」と納得してもらわなければなりません。逆にいえば、そこをクリアできればある程度の自由は得られるわけです。そういった意味では、映画制作はちょっと複雑なゲーム化してきていますよね。それに、ある程度予算があれば技術面でも役者も自由は得られますが、クリエイティブな面で好き勝手出来るかと言われればそうではない。昨今のスーパーヒーロー映画がいい例で、3億ドルをかけた作品は“体感型”であることを求められます。出資者たちの要望に合わせて作られているぶん、作り手に完全な自由があるのかと言われれば僕にはそう思えません。

そんななかで、NEONやA24はアーティスティックな映画を作っている印象です。もちろん彼らもビジネスとして取り組んでいますが、それ以上に映画文化のことを思っているし、一緒に働くスタッフにシネフィルの方が多いので、すごく支えられています。

映画『インフィニティ・プール』より

——本日は貴重なお話の数々、ありがとうございます。装苑オンラインには、10~20代のクリエイターの卵である読者も多くいらっしゃいます。今のうちにやっておくべきことなど、アドバイスをいただけますでしょうか。

ブランドン・クローネンバーグ:まずはやはり「自分は作ることができる」という能力を証明しなければなりません。まだこれからの方で年齢も若いのであれば、いまは一緒にものづくりをしながら共に学ぶ仲間をたくさん見つけて下さい。お金で集まってくるような人ではなく、自らものづくりを行い、自分と同じような考え方をする人々をね。僕は、「ある程度の人数がいる」ことに力があると思っています。学校でも映画サークルでも、場所は問いません。志を同じくする仲間を見つけられたら、まずは短編を作ることから始めて下さい。

ハリウッドという場所は、若い才能に対して制作費という金銭でジャッジすることはありません。彼らが求めているのは——そしてこれが最も大事なことでもありますが——ユニークなコンセプトやアイデアなのです。素晴らしいビジョンや独創的なクリエイティビティがあれば、自分がやりたいこと・面白いと思う表現へと続く門戸は開かれていますし、道はちゃんと通じています。

良質でお洒落なCMや映像を作るのに長けている方は、本当にたくさんいらっしゃいます。でも、ユニークな視点やアイデアを持っている方はとても少ない。次の映画界を作るのはそうした人たちだと僕は信じているので、ぜひご自身の個性や創造性を育てていってください。


『インフィニティ・プール』
高級リゾート地として知られる孤島“リ・トルカ島”を訪れたスランプ中の作家ジェームズ(アレクサンダー・スカルスガルド)は、裕福な資産家の娘である妻のエム(クレオパトラ・コールマン)とともに、バカンスを楽しみながら新たな作品のインスピレーションを得ようと考えていた。ある日、彼の小説の大ファンだという女性ガビ(ミア・ゴス)に話しかけられたジェームズは、彼女とその夫に誘われ一緒に食事をすることに。意気投合した彼らは、観光客は行かないようにと警告されていた敷地外へドライブに出かけ、それが地獄の始まりを告げる。その国では、観光客はどんな犯罪を起こしても大金を払えば自分のクローンを作ることができ、そのクローンを身代わりとして死刑に処すことで罪を免れることができるという身の毛もよだつルールが存在しているのだった。

監督・脚本:ブランドン・クローネンバーグ 
出演:アレクサンダー・スカルスガルド、ミア・ゴス、クレオパトラ・コールマン、トーマス・クレッチマン、ジャリル・レスペール
2024年4月5日(金)より、東京の「新宿ピカデリー」「池袋HUMAXシネマズ」「ヒューマントラストシネマ渋谷」ほかにて全国公開。トランスフォーマー配給。
WEB:https://transformer.co.jp/m/infinitypool/
© 2022 Infinity (FFP) Movie Canada Inc., Infinity Squared KFT, Cetiri Film d.o.o. All Rights Reserved. 

ブランドン・クローネンバーグ Brandon Cronenberg
1980年1月生まれ。カナダ・トロント出身。カナダを代表する鬼才デヴィッド・クローネンバーグを父親に持ち、ライアソン大学で映画を学ぶ。2008年のトロント国際映画祭学生映画部門でプレミア上映され、HSBCフィルムメーカー賞最優秀脚本賞を受賞した短編映画『Broken Tulips(原題)』や『The Camera and Christopher Merk(原題)』のほか数々のミュージック・ビデオを手掛けた後、2012年にケイレブ・ランドリー・ジョーンズ主演のSFスリラー映画『アンチヴァイラル』で長編映画監督デビュー。第65回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され大きな話題を呼んだ。8年ぶりの長編映画となる2020年公開作『ポゼッサー』はサンダンス映画祭でプレミア上映され、第33回東京国際映画祭でも上映が行われるなど数々の映画祭で絶賛された。J・G・バラードの小説「スーパー・カンヌ」の映画化のほかSFホラー映画の企画を進行中。