個人的に大きな発見だったのは、
「綺麗すぎなくていい」ということです。
――必ずしも順撮り(※脚本の順番通りに撮影すること。転じて、時系列順に撮影する意も)ではないわけですから、なおのこと「感じる」能力が必要とされるかと思います。
順撮りではない作品は多いですが、毎回難しさを感じます。撮影期間が中盤から後半に差し掛かると「こういう方向なら試したり、失敗しても大丈夫」が見えてきますが、撮影が始まって数日間は一歩間違えると全部崩れてしまう。時には序盤にクライマックスのシーンを撮る場合もあるので、緊張感はあります。
でも『エゴイスト』はできる限り順撮りに近づけて撮ってくださっていました。そのうえで「龍太と浩輔は出会って何日目だからこれくらいの関係値」という“幅”を決めて、その中で自由に演じていますね。とはいえ前後のシーンとのつながりで「ここは嬉しくても素直に出し過ぎちゃいけないな」という意識はしていました。今回はアドリブが大半だったので大きくシーンから外れてしまわないように、ある程度のルール決めは必要でした。
映画『エゴイスト』より
――アドリブの部分、ぜひ伺いたいです。
基本的に台本に基づいたアドリブなのですが、例えば松永監督が僕には内緒で亮平さんに「こういうことを言ってみて」と耳打ちするんです。どうしても初めて聞くワードや表現をされると、素のリアクションが出てきますよね。松永監督はそういった部分も求めていたので、逆に決め打ちだと鮮度が失われてしまう。
僕が印象的だったのは、お寿司を浩輔さんにもらって階段を上がっていくときに「浩輔さん」と呼び止めるシーン。何テイクか撮った後で松永監督に「『亮平さん』と言ってみて」と耳元で言われたんです。「本番だよ!? 大丈夫?」と思ったのですが(笑)、やってみたら亮平さんから素のリアクションが出てきた。それを見て「これが欲しかったんだな」と理解できました。何回撮っても新鮮味を再現するのが役者の仕事ではありますが、松永監督の演出を体験して「リアル」について考えを深められたように思います。
今回のようにドキュメンタリー手法を用いるやり方を好む監督もいれば、ライティングやカメラの角度、役者の立ち位置をしっかり決めて台本通りのセリフで撮りたい監督もいるし、どっちのやり方にもそれが好きな視聴者がいる。もし自分が監督だったら、何が起こるかわからず不安だから『エゴイスト』のような撮り方は避けてしまうと思います。
――撮影部・照明部・録音部なども臨機応変な対応が求められますもんね。
それをできちゃう監督やスタッフの皆さんがいるからこそ成立できた作品ですよね。そして個人的に大きな発見だったのは、「綺麗すぎなくていい」ということです。例えばライティングがちょっと暗めだったとしても、それが逆に日常っぽさを醸し出していく。『エゴイスト』はそういうリアルを証明できた作品だと感じています。とても貴重な体験でした。
――浩輔が龍太とある方法で再会するシーンは、撮影にかなり時間がかかったと伺いました。
あれは印象的な出来事でしたね。多分、普通だったら「OK」が出ていたと思います。悪いお芝居でもないし、気持ちが通じ合っていないわけでもない。でも、監督や亮平さんも僕も「もっといいものが撮れる」と感じたんです。
そこで、まず別のシーンを撮ってから再びそのシーンに挑んだのですが、すんなりいくわけもなく……。何回も何回も気持ちを整理して高めていって、色々なパターンを試してようやくみんなが納得いくものが撮れました。体力的にも精神的にも消耗しましたが、そこで妥協しなかったからこういう作品になったと思います。
「良いものは撮れているから、あとは編集や音楽等で調整すれば成立する」という考えもあるかとは思いますが、僕たちが撮りたかったのはただ成立するものではなくて、それ以上の何とも言えないリアルさや生々しい感じが漂っているもの。いま挙げたシーンだけでなく、全てのシーンで妥協のない現場でした。
――ものづくりの現場として、非常に健全ですね。
どうしても映像の現場って時間もなければ予算の問題もあるので、「その日のうちに撮りきらなければいけない」と決まっているものなんですよね。そうするとちょっと光がイマイチだったり、もう少し芝居が出来たかもと思っていても、成立していればOKが出てしまう。でも編集でつないでみると、妥協しなかった作品とはクオリティが明らかに違っています。
ただ、そうした妥協を許さない現場は監督はもちろん、理解してくれる周りの人がいるからこそ成立しているのだと思います。きっと監督は皆さんいいものを撮るために粘りたいものでしょうし。『エゴイスト』は明石直弓プロデューサーをはじめ皆さんが同じ“熱”を持ってくれていたから、ここまで贅沢な環境になったのだと感じています。
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