1970年代
ピストルズがブランドのミューズ!
セディショナリーズのパンクルック
「LET IT ROCK」「SEX」を経て誕生したショップ「SEDITIONARIES」。扇動者たちという名のとおり、社会に抵抗するエネルギーをアナーキーに表現し、パンクブームを起こす。バンド"セックス・ピストルズ"の仕掛け人でデザイナーのマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドによるガーゼシャツとチェックのパンツは、パンクスタイルのアイコン。
1970年代
西洋と東洋の文化をミックス
ケンゾーのフォークロア
プレタポルテを中心にブランドが林立し、世界各地からデザイナーたちが聖地・パリを目指した’70年代。日本からも髙田賢三がパイオニアとして1965年にその地を踏み、1970年に初コレクションを披露する。西洋的な衣服文化の中に入り混じる東洋の様式や思想をミックスしたファッションで、フォークロアムーブメントの牽引者となった。
その土地に根づいた伝統技術をふんだんに盛り込んだ贅沢な民族衣装は、ディテール一つにもデザインのヒントが隠れている。1970-’80年代のリベリアの男性用民族衣装(文化学園服飾博物館所蔵)
1970年の大阪万博での舞踏用に着用されたチェコの民族衣装(文化学園服飾博物館所蔵)
1980年代
モード界のアンファンテリブル!
ジャンポール・ゴルチエの下着ルック
ポワレにより淘汰され、ディオールによりよみがえり、ストリートの勢いに押し出され姿を消したコルセット。その造形美をインナーではなくデザインとしてドレスに取り入れたのが、モード界の恐るべき子どもと称されたジャンポール・ゴルチエだった。ブラジャーやビスチェなどを表層化させた下着ルックは、20世紀モードの自由さを一気に加速させる。
ポインテッドブラやシェイプしたボディラインなど、’50年代の女性がドレスの下に着用していたファウンデーションのデザインをそのままドレスに。1987年春夏のドレス(文化学園服飾博物館所蔵)
1980年代
パワーウーマン現る!
アズディン・アライアのボディコンシャス
こびを売るようなセクシーさではなく、自らの美しさを知り、ヘルシーにボディラインを強調してきた’80〜’90年代のボディコンシャス。流行の旗手となったアズディン・アライアは、張り出した肩に細いウエスト、足にまとわりつくようなタイトなスカートのシルエットで一世を風靡した。彼もまたゴルチエ同様、女性の腰に重点を置いたデザイナーだった。
カール・ラガーフェルドが伝統と今をミックスし、若い世代がフレッシュに着ることのできるスーツを誕生させた。1992年のシャネルのスーツ(文化学園服飾博物館所蔵)
鮮烈な色合いとジャケットの衿や裾のデザイン、身頃の切り替え線など、アバンギャルドな作風が特徴。1988年のティエリー・ミュグレーのスーツ(文化学園服飾博物館所蔵)
一方、日本では、成熟した女性像よりも少女性をまとったファッションやヘア&メイクが流行し、国内独自のDCブランドが流行。『装苑』1987年6月号では、ピンクハウスの金子功が手がけた、特別編集号が発売された。
\文化学園の歩み/
――1972年
―「文化女子大学大学院」を設置。「文化女子大学附属すみれ幼稚園」が開園
――1973年
文化学園創立50周年を迎え、日本武道館に14000名余りが集い、式典が催された。
―法人名を「学校法人文化学園」に改称
―オイルショック
――1974年
―「文化女子大学附属杉並高等学校」が開校
――1976年
―文化服装学院、専修学校制度による専門学校に認可される「文化女子大学室蘭短期大学附属幼稚園」が開園
――1978年
―『ミセスのスタイルブック」を創刊
――1979年
ショーやイベントを開催する大規模なホールを有し、創立者・遠藤政次郎の名を持つ遠藤記念館。その3・4階に「文化学園服飾博物館」が設置された。2003年には学園創立80周年を記念し、文化学園に隣接する「新宿文化クイントビル」に移転。
―「遠藤記念館」完成。「文化学園服飾博物館」が開館
――1980年
加速する国際化に対応するために創設した「文化外国語専門学校」の授業風景。
―「文化外国語専門学校」が開校
―フランスのユベール・ド・ジバンシィ来校
――1982年
タイ、韓国、フィジー、パラオ、パプアニューギニアから、計14名の国費留学生を迎えた。
―文化外国語専門学校の日本語科が文部省による初の国費外国人留学生の日本語教育委託校となる
――1983年
―「文化女子大学附属長野高等学校」と「文化女子大学長野専門学校」が開校
―東京ディズニーランド開園
――1985年
代々木だけでなく、小平にも文化女子大学の校舎が設けられた。建物は黒川紀章設計。
―文化女子大学、東京・小平市に校舎(小平キャンパス)完成
――1986年
―「文化女子大学附属杉並中学校」が開校
――1987年
―国鉄分割・民営化スタート
――1989年
当時、被服学、服装学の分野では認可されていなかった博士課程の開設は大きな意味を持った。
―文化女子大学大学院家政学研究科に「被服環境学専攻(博士後期課程)」を設置
―ベルリンの壁崩壊
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