「サヴィル・ロウで働きたかった」
鈴木さんがファッションを学び始めたのは25歳の時。決して早いスタートではない。大学時代はアルバイトをしてブランドものを買っては満足していた。しかし、値段に見合わない品質にいつしか疑問を持つようになる。そんな折、出会った書物でサヴィル・ロウの存在を知り、質の高い注文服への興味を深めていったのだ。
サヴィル・ロウにあるエリザベス女王御用達の生地屋さん「J&J MINNIS」のプレート。鈴木さんの作業台の上に置かれている。
「テーラーになるために僕はイギリスに行きました。サヴィル・ロウで働きたかったんですよね」。その夢をみごとに叶えた鈴木さんだが、最初から順風満帆だったわけではない。2005年にロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学した鈴木さんは当時をこう振り返る。
「その頃の僕はデザインすることが嫌いでした。タイムレスでクラシックなものが好きだったので。デザインの授業もあったけど、サボって縫ってばかりいましたね。それが、よくこんな風に変わるものだと思います。1年目はテーラリングの基礎を習い、2年目はパターンコースを受けて帰国するはずでした。資金的にそれ以上滞在できなかったので。ところが、すごく運がよかったんですよ。実は進学の面接に遅刻したんですが、たまたま当たった面接官が、通常は3年かかる学士課程(ファッションデザインのコース)の最終学年に飛び級させてくれたんです。仕立ての生地サンプルやスーツの写真を貼ったスケッチブックを気に入ってくれて。ヘンリー・プールにも繋いでくれました。僕の恩師です」
最終学年に編入した鈴木さんは、デザインすることにも興味を覚えた。また、学士号を得たことで就労ビザが下り、次のステップに進むことができたのである。
「彼のおかげです。あそこで出会っていなかったら、一生デザインのおもしろさを知ることもありませんでした」
作業する鈴木さんの手。
念願のサヴィル・ロウ。その中でも最古の仕立屋「ヘンリー・プール」の扉が開き、見習いとして働き出した鈴木さんは異色のアジア人。最初は周囲との壁を感じたが、助けてくれたのは言葉だったという。
「できるだけ現地の表現を使って話すようにしました。外人が関西弁をしゃべるようなもので、おもしろいですよね。話せば話すだけ心を開いてくれましたね。あと、僕はすごく質問をするので、おじいちゃんくらい年上の人たちからも気に入られて、色々教えてもらえるようになりました。彼らの一員になった気がしましたね。そのうち鍵までもらって、好きな時に好きなだけ服作りをさせてもらい、一人で徹夜することもありました。奇天烈なファッションの製作をしていても怒られることもなく、逆にみんな興味を持ってくれて応援してくれました。人と人との関係がすごく濃かったですね。後の学費も出してくれて、ヘンリー・プールには感謝しかないです」
使い慣れた道具。写真上:年季の入った大きいハサミ3丁とL字型定規は、「ヘンリー・プール」を引退したカッターから譲り受けたもの。下:イギリスから持ってきたチョークシャープナー。これを作る職人はもういないそう。
「働いていると色々な刺激を受けるし、学ぶことがある」
今でも連絡を取り合い、ロンドンに行くたびに店を訪れるという鈴木さんは「ヘンリー・プール」に約6年在籍し、信頼関係を築いた。その間には、働きながら名門校ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに通い、数々のコンクールにも応募。デザインでも優秀な成績を収めた鈴木さんは、欧州最大のファッションコンペティション「ITS(International Talent Support)」でのグランプリ受賞を機に「メゾン マルジェラ」で働くことになった。
ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの修了年に制作した作品。このコレクションで「ITS」のグランプリを獲得した。©Ichiro Suzuki
「ICHRO SUZUKI」2013年のコレクションより。©Ichiro Suzuki
「ICHRO SUZUKI」2016年のコレクションより。©Ichiro Suzuki
「マルジェラ(メゾン マルジェラ)ではブランドの理念などがあるので、自分がやりたいことができるわけではありません。長くこの業界にいると何かに感銘を受けることが少なくなってきますが、マルタン*3が創造した遺産に囲まれ、ジョン*4と働いていると色々な刺激を受けますし、デザイナーとしてとても恵まれた環境だと思います。ジョンのビジョンや思考、語られる言葉など、彼から学ぶことは今でも多々あります。あたり前ですが感性が全く違うので、彼は僕が絶対やらないようなことをする。それが見たいんですよね」
*3「メゾン マルジェラ」創業者のマルタン・マルジェラ。
*4現クリエイティブディレクターのジョン・ガリアーノ。
「ヘンリー・プール」と「メゾン マルジェラ」のハンガー。
「メンズのスーツには色々な可能性がある」
一方で、2012年から自身の名前で展開するメイド トゥ メジャーのスーツは、伊勢丹新宿店メンズ館で取り扱われ、年2回のペースで採寸会を行う。イギリスで学んだ正統派英国スーツの体にぴったり沿ったシルエット、肩は広めでウエストが絞られたカットが特徴だ。
「僕のメイド トゥ メジャーのスーツは着る人を限定するほど、割と攻めているほうです。スーツ好きな人や業界人が見たら違いがわかる、という程度ですが。メンズのスーツには色々な可能性があると思います。一般の人が見ても気づかないくらいの小さな変化でしょうが、不易流行とゆう感じで。いつかみんなに僕のスーツだとわかってもらえるようになるといいですね。服の中でも特に制約が多い分野なので、なかなか難しいことですが、どんな風に新しいものがつくれるかと常に考えています」
どこまでも前向きな鈴木さんは、パリ生活で一度も苦労したことがないと言う。
「もともと語学が好きなので、フランス語を覚えるのも苦ではありませんでした。苦労という苦労はしたことはないです。好きなことをやらせてもらっているだけなので。どの仕事も楽しいです。デザイナーとして今のスタンスで仕事や創作活動ができていることは幸せだと思います」
それは、誰よりも努力し、何よりも服作りに情熱を注いできた、彼ゆえの言葉のように思える。
「これからも自分の感情が赴くままに、服を作り続けていきたい」と鈴木さん。
鈴木一郎(すずき・いちろう)
1979年生まれ、大阪府出身。2005年に渡英。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを経て、サヴィル・ロウの老舗テーラー「HENRY POOLE」でアンダーカッターを務める。働きながら2012年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートのファッション科で修士号を取得。同年、イタリアのコンペティション「ITS」でグランプリを受賞し、「ICHRO SUZUKI」の名前でメンズコレクションを発表しながら、伊勢丹新宿店メンズ館のメイド トゥ メジャーと協業。2014年からパリに本社を置く「MAISON MARGIELA」のメンズデザインチームに加わる。
Photographs:濱 千恵子 Chieko Hama
Text:水戸真理子 Mariko Mito(B.P.B. Paris)