フランスの地方には、意外と知られていないステキなミュージアムがいっぱい。その土地に根づいた伝統工芸、アート、モードの魅力を発見してみて。

19世紀後半のボビンレースのショール。Cité de la dentelle et de la mode所蔵。
19世紀初頭、イギリスで生まれた革新的なレースの織り機は、職人たちの手によって解体され、密かに海を越えました。辿り着いた先は、フランス北部の港町カレ。ここで受け継がれた技術は、やがて世界のモードを支えるリバーレースとして花開いていきます。
今回、ご紹介するのはカレにある「レースとモードの都市(Cité de la dentelle et de la mode)」。最高級レースとして知られるリバーレースを中心に、様々なレースの製造技術、産業の歴史、ファッションへの応用など、多角的にレースの魅力を伝える博物館です。

館内では、ヨーロッパ各地で発展した多様なレースを時代ごとに展示。
ADのあとに記事が続きます
ADのあとに記事が続きます
リバーレースの誕生秘話
レースとは無縁だったカレに大きな転機が訪れたのは1816年。ドーバー海峡を越え、イギリスから3人の技術者がチュール(六角形ネット)の製造機を持ってやってきたのです。産業革命が始まっていたイギリスでは、職を失うことを恐れた手工業の労働者たちが反乱を起こし、機械を破壊するというラッダイト運動が激化していました。

1580年〜1600年ごろの手工レースと刺繍。左:イタリアを起源とするレティチェッラ(小さな網)様式のニードルレース。幾何学的な模様が特徴的。中:網地にニードル刺繍を施したフィレ刺繍。右:目の粗いキャンバス地にニードル刺繍で模様を描いた飾りバンド。
国に多くの富をもたらす技術の輸出は固く禁じられていましたが、彼らは解体した機械を小さな船に乗せ、逃れるように一番近いカレにたどりついたのです。それから、この地域には瞬く間に多くのチュール工房ができました。さらに1830年代には、薄く質のよいチュールの製造機「リバー」に、リヨンで発明されたジャカード織機のパンチカードを応用し、さまざまな模様の入ったレースが作られるようになります。そのレースはリバーレースと呼ばれ、カレの一大産業になるのでした。


写真上・下:いずれもプント・イン・アーリア(空中ステッチ)と呼ばれるヴェネツィア起源のニードルレース(1600年ごろ)。仮の支持布に模様の骨格を写し、その上にステッチを施す。最後に支持布を取り除くことで、空中に浮かぶようなレースが完成する。

ヴェネツィアの画家・版画家チェーザレ・ヴェチェッリオによるレースや刺繍の図案集(1691年 / 1891年再版)。これらは、ヨーロッパ中で模倣され、レース文様の普及に大きく貢献したのだとか。肖像画の婦人は、当時流行したレースのラフ(襞襟)を着用している。
皇妃ウージェニーとともに広まったレースの流行
リバーレースの製造者が、最初に目指したのは手作りレースにより近づけることでした。今でこそリバーレースは最高級品とされていますが、初めは大衆向けとして扱われていたのです。ナポレオン3世の時代になると、ブルジョアも庶民も流行を追い、ファッションはめまぐるしく変化していました。


写真左:赤いドレスを引き立てる黒いショールは、シャンティイ様式のボビンレースで作られている(1860-1880年ごろ)。 右:豪華なストールはシルクのボビンレース製(19世紀後半)。肩にかけた短いショールは、手工レースと機械レースを組み合わせたもの(1875年ごろ)。
故マリー・アントワネット王妃の賛美者で、当時のファッションリーダーだったウージェニー皇妃は、王妃が身につけていたアランソンやアルジャンタンレースをはやらせ、彼女が着用したクリノリンはすぐに女性たちの間に広まっていきます。大きく膨らんだスカートのドレスには、ゆったりとしたレースのショールや幅の広いレース飾りが必要でした。こうして、大量に安価で作れる機械レースが手作りレースに取って代わるようになったのです。

1760年ごろのボビンレース。中央に展示されるのは、王妃マリー・アントワネットの肖像画の複写。
急速な技術の発達により、驚くほど精緻な模様を生み出せるようになった機械レースは、数々の博覧会でも成功を収めます。特に、種類が豊富で、極細の糸による複雑な模様の表現を可能にしたリバーレースは、著名メゾンのオートクチュールやランジェリーに使われるようになっていきました。


シルクモアレのクリノリンドレス(1865年ごろ)。襟に使われたニードルレースが優美。
フランスから世界へ、人々を魅了し続ける至高のレース
現在、世界のリバーレース機の9割がフランスのカレとコドリーにあり、ここで作られるレース「Dentelle de Calais(カレのレース)」の約8割が海外へ輸出されています。1910年にカレに2708台あったリバーレース機は250台ほどに減ってしまったそうですが、今でも100年以上前の古い機械が使われ、熟練工によってレースが作られているのです。同時に、ストレッチやマイクロファイバーのレース、エコロジーを考えた植物繊維のレースなど、時代のニーズに合わせた製品の生産も、カレにおけるレース産業の発展に寄与してきました。






写真上:博物館では、19世紀にカレで作られた機械レースのサンプル帳を展示。上右:この博物館が所蔵するカレの機械レースのサンプルの中で最も古いレース。中左:波形の縁取りに沿って花綱が表現されたガランド様式のデザインに、フランスの当時の流行が反映されている。中右:ナポレオン3世のカレ訪問を記念して作られたイーグル模様のレース。下左:くじゃくの羽根のモチーフがゴージャス。下右:1900年のパリ万国博覧会のために作られたサンプル。雲と建物が繊細に表現されている。
こうして、19世紀に開花し、モードと共に歩んできたリバーレースは、時代を経ても変わらぬ美しさで、世界中の人々を魅了し続けているのです。



写真上左:古い絵葉書の複製より。フランス・オート=ロワールのレース職人たち(19世紀末~20世紀初頭)。上右:ル・ピュイ=アン=ヴレイ地方の回転式円筒を備えたレース製作用の台(19世紀初頭)。作業台は地域ごとに特徴がある。下:レース製作のための伝統的な四角いクッションとボビン。



館内では、かつてレース製造工場だったころに実際に使われていたリバーレース機のデモンストレーションを見ることができる。滝のように白糸が張られた巨大な機械が、模様を作り上げていくさまは圧巻!この機械では、1時間に約8㎡のレースを製造できる。これは、手工レース職人8万人分の仕事に匹敵するそう。

Cité de la dentelle et de la mode
135, quai du Commerce
62100 CALAIS
公式サイト
Photographs:Chieko Hama
Text:B.P.B. Paris