『パラサイト 半地下の家族』や『TITANE/チタン』、『逆転のトライアングル』『落下の解剖学』といったエッジーかつ国際的に評価された作品の米国配給を次々と手がけるNEON。日本でもヒットを記録した『ロボット・ドリームズ』や『聖なるイチジクの種』(2月14日公開)、『ANORA/アノーラ』(2月28日公開)、『ロングレッグス』(3月14日公開)と話題作が立て続いている。そのNEONが見出した才能、テア・ヴィスタンダル監督が『ぼくのエリ 200歳の少女』で知られる小説家ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストと組んだ異色のホラー『アンデッド/愛しき者の不在』が、1月17日(金)に劇場公開を迎える。
家族や恋人など愛する存在を失った者たちの前に、故人が物言わぬ死体の姿で蘇った“事件”を静謐さとそこはかとない不穏さを絡めて描いた本作。いわゆるゾンビ映画の文脈とは一線を画す独特なムードは、いかにして生まれたのか。ヴィスタンダル監督と同い年である「rurumu:」のデザイナーにしてアートディレクター・スタイリスト・映画監督の東佳苗さん、装苑オンラインで「偏愛映画館」を連載中の映画ライターSYOさんの3人による鼎談をお届け。
interview & text : SYO
お話を聞いたのは
テア・ヴィスタンダル Thea Hvistendahl
映画監督。1989年生まれ、ノルウェー出身。短編映画やミュージックビデオで多数の賞を受賞し、SWSWで上映された短編映画『Virgins4Lyfe』(2018年)や、シッチェス国際映画祭でメリエス・ダルジャン賞を受賞した短編映画『Children Of Satan』(’19年)、そして’17年にノルウェーの映画館でプレミア上映され、高い評価を受けたハイブリッド映画『The Monkey and the Mouth』など。本作『アンデッド/愛しき者の不在』は長編デビュー作。
映画は、美学やトーン、雰囲気によって“物語る”ことができる。
『アンデッド/愛しき者の不在』より
SYO:僕自身が本作に強く興味を抱いたのは、喪失感が画面全体に広がっているような美しくも悲痛な静寂です。ヴィスタンダル監督ご自身が余白や沈黙のある映画がお好き、というインタビューも目にしましたが、こうしたトーンへのこだわりを教えて下さい。
テア・ヴィスタンダル(以下、ヴィスタンダル):観客がその映画を生きる経験をするにあたって、作品に流れる雰囲気はとても大切です。だからこそ、自分は毎回その作品にふさわしいトーンを見つけるための時間を取るようにしています。本作においては、「不穏さ」と「エモーショナル」の両方を常に持った作品、ということをゴールに設定しました。原作はもう少しユーモアがありましたが、とはいえ今回の映画は喪失や悼みを描くものですから、その部分を中心に構築しなければいけません。ただここで注意したいのは、悼みの気持ちだけに注力して描き続けると、観客に一方的に押し付けるような作品になってしまうことです。そこで、映像的には逆に引くようにしました。客観的な視点を入れることで、観客が自分の想いを投影するスペースを作りたかったのです。いわば、瞑想のように観てくれる方々が自己と対話できる映画にしたいと思っていました。
もちろん、原作の雰囲気からそうした静かなトーンに自然に行きついた部分もあるかとは思いますし、先ほどおっしゃっていただいたように私自身が元々メランコリックな感情をたたえた作品が好きなこともあります。しかしそうした手段を用いても「悼み」の感情があまりに大きく、ある俳優に「『Handling the Undead(英題)』じゃなくて、『Handling the Grief』では?」とからかわれるほど物悲しい作品になってしまいました(Grief=死別などによる深い悲しみ)。それほど、身近な人を失う哀しみは強い存在でした。
『アンデッド/愛しき者の不在』より
東佳苗(以下、東):第三者視点から演者を覗いているようなカメラワークでしたよね。何者かに見張られているような不気味な感覚がずっと漂いつつ、孤立感を高める作用ももたらしていましたが、それはこれまで手掛けられたMVやCMも含めてご自身の美意識の中で特に大切にされている部分なのでしょうか。
ヴィスタンダル:そう思います。ここでいう第三者は神か悪魔か、というような感覚を持って撮影に臨んでいました。私たち人間は誰かを亡くしたときに「戻ってきてほしい」という気持ちを強く感じますが、実際に戻ってきたらどうなんだということを突き付けられるのが本作です。私の頭の中に「お望み通り連れてきたよ」と言ってその後の経過を観察する神様のようなイメージが前提として浮かんでいたため、あのようなカメラワークになりました。
作品全体でいうと、大きな出来事ではない日常風景を映したシーンが繋がっていきますが、ずっと不穏な感覚を宿らせたかったため、撮影やサウンドデザインで工夫を凝らしていきました。現場に入る前に、画角や照明をどうするか、アップの場合はこういう風に撮る、カメラワークは基本的にこう動くといったことを記したスタイルガイドを作って臨みましたね。本作は日中のシーンが多いのですが、不穏さを出すために画面の3分の1ほど影や闇でおおわれているようにしたり、或いは壁や見えないところで何かが起きているようにしていきました。全貌が見えないと観客も「フレーム外で何が起きているんだ?」と居心地が悪くなりますよね。そういった形で、すべての情報を見せずにコントロールすることで、観客が自主的に考えられる作品を目指したつもりです。
ストーリーが素晴らしい映画は確かに素敵ですが、自分がなぜ映画が好きなのかと考えたときに、美学やトーン、雰囲気によって“物語る”部分があるからなのだと感じています。映画に出来るあらゆる要素を使ったストーリーテリングを行うため、常々バランスには気を配っています。本作でいうと超自然的な要素がありますが、リアルに感じられる世界にもしたかったため、誇張しすぎないように美的感覚をもって抑制を施していきました。
撮影中のヴィスタンダル監督
亡くなった誰かに戻ってきてほしいという気持ちがあまりに大きいと、脳が勝手に自分を騙すことがあるそうです。
SYO:ヴィスタンダル監督は制作にあたり、葬儀屋やカウンセラーなど様々な職業の方々に取材したそうですね。虚構性が強いゾンビ映画の系譜にも連なる作品で、そこまでリアリティを重視したアプローチを行ったのは驚きでした。
撮影中の様子
ヴィスタンダル:私は、本作を身近な人を失う喪失感についての映画だと思っています。それをどう乗り越えるのか、あるいは受け入れていくかをしっかりと描きたいと考えました。ですが私は、年齢がかなり上の人以外は身近な人を失った経験がなかったのです。そこで、愛する人を早く亡くしてしまった当事者の方々や、喪失のカウンセリングを行う専門家であるグリーフ・カウンセラーの方にお話を伺ったり、喪失を経験したときに脳内でどんな働きが起こるのか、そのメカニズムについての専門書を読んだりしました。自分自身が経験していないとなかなか想像しにくいかとは思いますが、亡くなった誰かに戻ってきてほしいという気持ちがあまりに大きいと、脳が勝手に自分を騙すことがあるそうです。
そうしたリサーチの中で特に印象に残ったのが、ジョーン・ディディオンさんの回想録『悲しみにある者』です。夫を亡くした後の約1年間を記したノンフィクションですが、その中に「夫の靴を1年間捨てられなかった」というエピソードが出てきました。理由は、「夫が戻ってきたときに靴が全部なくなっていたら驚くだろうから」。その心理が、身近な方の喪失を経験された人々を理解するカギになりました。
亡くなった人が物理的に戻ってくることは不可能ですが、それとどう向き合うのか、受け入れてゆくのかといったプロセスが気持ちの問題だけではなく身体全体と関係していると知ることができ、知見が広がりました。
『アンデッド/愛しき者の不在』より
東:ヴィスタンダル監督が先ほどおっしゃったメランコリックさを持ったファンタジーは、日本人にも共感しやすいものかと個人的には思います。どのようにしてその部分に行きついたのでしょう? 監督の故郷であるノルウェーには、プロテスタントの方が多くを占めていると伺いましたが、ご自身の表現の根源に宗教観が影響している部分はありますか?
ヴィスタンダル:確かにノルウェーの一部には敬虔な部分はまだ残っていますが、私が生まれ育った首都オスロには厳格な感覚はありません。私自身、教会には年に1回行くくらいでした。もちろん学校で宗教について学びましたが、信仰というほど大きな影響を受けてはいません。それよりも、昔から人間の関係性に興味を抱いていました。本作に通じる部分でいうと、身近な人とちゃんと話し合っていないからこそ傷つけあってしまうようなディスコミュニケーションについてなどです。ただ考えてみれば、この部分にノルウェーの環境が無関係ではないようにも感じます。昔から農民の国であり、家々が離れていたこともあって他者とのコミュニケーションをあまり取らない土地柄でした。
全体的な感覚として、同調意識といいますか、みんなと同じように混ざりたい、大きな声を上げたくない、自分の感情を伝えたくない、といった意識が強いようには思います。礼儀正しいけれどもあまりオープンではない国民性は確かにあるかもしれません。私はイタリアに住んでいた時期もありますが、ノルウェーとは全く違っていました。あちらでは皆が身近な人としょっちゅうワイワイ騒いで、コミュニケーションを密に取っていて驚いた覚えがあります。私が最もインスピレーションを受けているのは孤独感や孤立、コミュニケーションの難しさですが、知らず知らずのうちに自分が生まれ育った土地の影響を受けているのかもしれません。
日本もノルウェーと同じくメランコリーな感覚を抱えていることは知っています。両国とも自殺率が高いし、寒い冬という共通項もありますね。また、はっきりした四季があるからこそ時間の過ぎ方がクリアに感じられるところも似ているように感じます。
東 佳苗 Kanae Higashi
1989年生まれ、福岡県出身。文化服装学院ニットデザイン科卒業。2009年、一点物のニットブランド、縷縷夢兎を設立。’19SSより、rurumu:を本格始動。活動は多岐に渡り、空間演出やスタイリストとしても活躍する。映画『Heavy Shabby Girl』『My Doll Filter』『21世紀の女の子』内「Out of Fashion」では監督も務める。
SYO
映画をメインとする物書き。1987年生まれ。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション映画情報サイト勤務を経て独立。インタビューやレビュー、オフィシャルライターのほか、映画にまつわる執筆を幅広く手掛ける。2023年公開の映画『ヴィレッジ』をはじめ藤井道人監督作品に特別協力。装苑ONLINEで「偏愛映画館」を連載中。
『アンデッド/愛しき者の不在』
原作・共同脚本:ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
監督・共同脚本:テア・ヴィスタンダル
出演:レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ビヨーン・スンクェスト、ベンテ・ボシュン、バハール・パルス
1月17日(金)より、東京の「ヒューマントラストシネマ渋谷」ほかにて公開。東京テアトル配給。© 2024 Einar Film, Film i Väst, Zentropa Sweden, Filmiki Athens, E.R.T. S.A.