グザヴィエ・ドラン監督が、TVドラマに初挑戦した『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』。彼が脚本・監督・製作・出演の4役を務め、30年前に起きた事件に翻弄される家族の姿を全5話にわたって描くサスペンスだ。
「家族」や「嘘」といったこれまでの作品に通ずる要素を内包しつつ、ジャンル映画の表現を使いながら新たなフィールドへと歩を進めたドラン監督。彼はどのようにして、この作品にたどり着いたのか。ドラン監督のファンである、映画『少女邂逅』などを手がけた枝優花監督が、対談形式で彼の軌跡を紐解きつつ、クリエイターとして の思考に迫る。
Text : SYO
お話を聞いたのは・・・
グザヴィエ・ドラン Xavier Dolan
1989年生まれ、カナダ・ケベック州出身。長編デビュー作『マイ・マザー』(2009年)が世界的に評価され注目を集める。監督作に『胸騒ぎの恋人』(’10年)、『わたしはロランス』(’12年)、『トム・アット・ザ・ファーム』(’13年)、『Mommy/マミー』(’14年)、『たかが世界の終わり』(’16年)など。『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』が初めてのテレビドラマ監督作品。© Shayne Laverdière
聞き手は・・・
枝 優花 Yuuka Eda
1994年。映画監督/写真家。2017年初長編作品『少女邂逅』を監督。主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎え 劇場公開し高い評価を得る。香港国際映画祭、上海国際映画祭正式招待、バルセロナアジア映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2019年日本映画批評家大賞の新人監督賞受賞。また写真家として、様々なアーティスト写真や広告を担当している。最新監督作はオムニバス映画『イカロス 片羽の街』内「豚知気人生」(U-NEXT配信)、ドラマ25「クールドジ男子」(テレビ東京)。
作品と作品の間に自分や身の回りで起きた出来事が、次に進む場所を決定してきたように感じます。
枝優花(以下、枝):ドラン監督、今日はよろしくお願いします! 実は3年ほど前にInstagramでやり取りさせていただいたことがあるのですが、高校生のときから監督の作品を観ていて大ファンです。
グザヴィエ・ドラン(以下、ドラン):なんと! こうしてお会いできて光栄です。ありがとう。僕のほうこそ、よろしくお願いします。
枝:早速お話を伺いたいのですが、私はドラン監督に対して「いま撮りたいものを撮っている方」という印象を持っています。『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』を観て、よりそのように感じました。監督自身が現在進行形で興味を持っている事象と、根底にずっと在り続ける作家性(母子関係やアイデンティティとの対峙)がどちらも存在しており、さらにこれまで以上にサスペンスやスリラー要素を強く感じました。『Mommy/マミー』以降、監督としての興味は、本作に至るまでどのように変遷していきましたか?
ドラン:僕は自分が作りたい映画に関して、頭の中だけで計画を立てないタイプです。『たかが世界の終わり』についてもそうで、この映画は前もって構想していたわけではなく、状況に導かれたところがありました。
まずはカンヌ国際映画祭に参加した際にギャスパー・ウリエルに数年ぶりに再会でき、レア・セドゥやマリオン・コティヤールにも会えたことがきっかけでした。その後、故郷のモントリオールに戻ったときに『Mommy/マミー』の主演でもあるアンヌ・ドルヴァルが僕に渡してくれた『たかが世界の終わり』の戯曲のことを思い出しました。「この物語を彼らと映画化したらすごくいいものになるだろうな」と思ったんです。
そして『たかが世界の終わり』の撮影が終わる頃には、映画業界についての物語を作りたいと思っていました。自分が目撃した意見や現実、問題だと思うことを共有したかったのです。例えば、現代と言われる時代に俳優がまだカミングアウトできないことなどです。
そして『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』(’18年)が生まれましたが、それを含め何作か興行的に失敗する経験をしたこともあって、もう少し個人的でミニマルなものに立ち戻りたいと思いました。昔のように、自分の故郷で友人たちと一緒に映画を撮りたかった。それが『マティアス&マキシム』(’19年)でした。
『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』含めた4作品を見ると、作品と作品の間に自分や身の回りで起きた出来事が、次に進む場所を決定してきたように感じます。『マティアス&マキシム』の場合は、出演作『ある少年の告白』(’18年、ジョエル・エドガートン監督)をアトランタで撮影中、友人たちから遠く離れていたのがきっかけとなっています。彼らを恋しく思うなかで、ある出来事によって引き裂かれた、とても親しい友人たちのグループの姿をふと思い浮かべました。そのアイデアを基に、撮影中に脚本を書き上げました。友人たちに会いたい気持ちがあったのと、次作がどんなものであろうと、(規模が)より小さく、ずっと親密なものになるだろうし、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』よりも自分の人生に近いものになると無意識にわかっていたからだと思います。
枝:すごくわかります。私も監督になって生活というものがいかに自分のものづくりにつながっているかを痛感しました。最初の頃は映画を作ることに必死でしたが、3年、4年と続けていくうちに自分のプライベートがゼロになってしまい、なかなか作品を作れない時期を経験して……。そんななか、先ほどドラン監督がおっしゃっていたように、一人だったり友人と過ごしたりする時間がものづくりに与える影響に気づいたんです。ドラン監督は仕事とプライベートのバランスをどのように取っていますか?
ドラン:自分はバランスを取ることがうまくできない性質で、枝さんと同じようにある程度大人になってからその必要性に気づきました。あれはコロナ前の2019年ごろだったかと思いますが、「自分の中にまだ語りたい物語はあるのか? そしてそれは他者に伝える意義のあるものなのか?」と自問したときに、答えられない状態に陥ってしまったんです。
そこからは自分のものづくりのサイクルを見直して、旅をしてみたり友人たちと過ごしたりする時間をきちんととるようにしました。いまはこうやって作品のプロモーションを行なってはいますが、よりプライベートの時間を優先していて、地方に自分でデザインした家を建てて、友人や家族と過ごせる場所づくりをしています。また、僕は未来に対しても楽観視はしていないので、これから来る新しい変化の波に備えておきたい、とも考えています。
先ほどお話ししたとおり、僕は自分の見聞きしてきたものが創作に反映されるタイプですから、 生活そのものをしっかり送ることで、自分の人生をつぶさに反芻することができ、結果的にクリエイティブにもつながっていくと思えるようになりました。充電期間を過ごしながら「今すぐ撮らないといけない! これを外に出さなければ死んでしまう」という緊急性を伴った衝動が生まれるのを待ってもいいんだと。それはきっと、観てくださる方にとっても価値のあるものだとも思います。
枝:私もドラン監督と一緒で、「これを撮らなければ死んでしまう」という想いを持てないとなかなか動き出せません。2年くらい前までは「次の作品はいつ撮るの?」「どんな作品を撮るの?」と人から言われるなかでどんどんプレッシャーがたまってしまい「撮らなきゃ」と焦っていたのですが、「自分が本当に撮りたいと思っているものじゃないと人に届かない」と気づき、考え方を変えました。ようやく最近「撮りたい」と思えるものができましたが、プライベートとのバランスも考えていたタイミングだったので、ドラン監督のお話を聞けてすごく嬉しいです。
ドラン:僕たちがやっている仕事って、人生とごっちゃになってしまいがちですよね。「そもそもどこが違うの?」という境界線を見つけるのも難しい。人生は仕事の一部だし、仕事の一部は人生とくっついていますから。
でもそうやってご自身で言語化して行動に移しているのは、素晴らしいと思います。僕自身はそのバランスを取るのに苦労しましたから。例えば仕事に夢中になって、人生のほうをおろそかにしてしまうこともしばしばでした。
真実をもたらしてくれる役者が好きです。
枝:せっかくの機会ですので俳優演出についても伺いたいのですが、ドラン監督の作品は「泣く」「孤独に耐える」といった感情演技が印象的です。『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』でも1人じっと何も言わず佇むショットや、相手と目を合わせずに会話が進んでいく様など、人は苦しさや孤独と隣り合わせである、ということを感じました。しかし、私たちに与えるそれらの印象は、もちろん技術的な面(撮影技法や音楽)もありますが、それ以上に、精神的演出によって引き起こされているものではないかと考えます。俳優への演出において心がけていること、工夫していることがあれば教えて下さい。
ドラン:僕自身が役者でもあるので、監督としてキャストに接する時は、自分が役者として監督に接してもらいたい方法で接するようにしています。セリフやアイデア、クリエイティブな直感など、俳優の言うことすべてに耳を傾け、考慮すること――つまり、対話です。僕からこうしろ、ああしろとは言わず、現在進行形で対話しながら進めていきます。
大前提として役者は準備万端で、セリフも逆からだって読めるぐらいに頭に入っているし、(演じる役の)すべてを知っていて、どこに向かえばいいのかの基盤は既にできているわけです。そのうえで現場に入ると、役者はそのシーンを「生き」始め、アイデアがどこからともなく湧いてくる。監督は、それも考慮していかなければいけません。そこには自然発生的でクリエイティブな流れがあり、僕らはそこから自分たちが望むものをすべて把握し、掴み取らなければならないのです。そのうえで、対話は欠かせないものです。
僕は、ずば抜けた独創的なアイデアではなくても、真実をもたらしてくれる役者が好きです。巧いとか気持ちのノリがどうとかは関係なく、アイデアと個性、確固たる自分を持った真のクリエイティブな人たちということですね。彼らは(自分が演じる)1人のキャラクターのことを考え抜き、知り尽くし、そのキャラクターが物事にどう反応するかを熟知しています。そして、作品すべてを通して、その一線を守り、外れないようにする。一貫性をもたらしてくれるのです。自分のエゴで目立ちたいとか、シーンを自分のものにしたいとか、そうことではない。クリエイティブではあってほしいけど、作品はそういうことをする「場」ではありませんから。
こういったことが僕にとって最も重要なことです。そして、彼らにとって最も重要なことは、常に話し合いをし、意見が不一致であってもよいと同意できることだと思います。撮影期間中に絶え間なく対話をすることで、お互いに好きに質問し、選択を繰り返す関係性が生まれ、最高のストーリーを作り上げられるのです。
枝:本日は貴重なお話をありがとうございました!
ドラン:こちらこそ! 日本語で「ありがとうございます」に対するお返事は、どう言えばいいのでしょう? (通訳のレクチャーを受けて)「どういたしまして!」。
『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』より © Fred Gervais
『ロリエ・ゴドローと、あの夜のこと』
舞台は1991年、カナダ・ケベック州の郊外。ラルーシュ家のジュリアン、妹のミレイユと、向かいに住むゴドロー家のロリエは仲良し3人組だったが、ある夜の事件を境にミレイユは町を離れていた。そんな中、母マドが危篤という連絡を受けてミレイユは約30年ぶりに帰郷する。家族が再び集まることになり、マドが残した遺言が引き金となって、「事件」の秘密が次第に明らかになっていく。 “あの夜”に起きたこととは? Amazon Prime Video チャンネル「スターチャンネルEX」にて全5話独占配信中。
監督・脚本・製作・出演:グザヴィエ・ドラン
音楽:ハンス・ジマー、デヴィッド・フレミング
出演:ジュリー・ルプレトン、パトリック・イヴォン、アンヌ・ドルヴァル、エリック・ブルノー、マガリ・レピーヌ・ブロンドー、ジブリル・ゾンガほか
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