2023年に創立100周年を迎えた文化服装学院。文化の100歳をお祝いした好評連載の8回目では、前回に続き、文化服装学院で服作りの技術を身につけ、現在はパタンナーとして活躍する卒業生にフォーカス。憧れのデザイナーズブランドでパタンナーを務める3名の方々に、技術職のやりがいや、文化で学んだことを尋ねました。
photographs: Jun Tsuchiya (B.P.B.)
ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)
技術 原田 昂
イッセイ ミヤケ本社の仮縫い室で。
見たことがないものをチームで生み出すのが、イッセイ ミヤケの技術の仕事。
自ら創造しながら作ることで、様々な発想が蓄積されていくことが面白い。
大分県から上京し、文化服装学院に入学する時には夢をパタンナーに定めていたという原田 昂さん。明確な将来像を持って入学し、卒業後は、目標どおり日本を代表するブランド、イッセイ ミヤケにパタンナーとして就職。その歩みだけを追えば順風満帆と映るが、決して平坦な学生生活を歩んだわけではない。
「2年生の夏、課題の進みが遅くなってしまい補習を受けることになりました。学校に行って、先生も見てくださっている中で課題を進めていて。その時、先生から『将来、何になりたいの?』と聞かれたんです。当時、僕はメンズのパタンナーになりたかったのでそのように伝えたら、教え子に5人、メンズのパタンナーがいるから、どこに行きたいか選びなさいと。その中で自分が最も好きな服を作っている方を先生にご紹介いただき、定期的にお手伝いをするようになりました。そこで、魅力的なデザイナーの服のパターンと、そのテクニックを目の当たりにしたんです。どうしたらこんな線が引けるのだろうと強い憧れを持ち、少しでもその方に近づけるようにと努力するようになりました」
“憧れの人”がイッセイ ミヤケの出身だったことから、就職先として同社を意識しはじめたそう。
「テキスタイルを開発し、『一枚の布』から発想する革新的なものづくりをしてきたこの会社で経験を積むことで、自分の知識や引き出しが増えるのではないかと思いました。高いレベルのクリエイションを行う会社で、自分がどれだけ通用するのかも知りたかったんです」
思考実験を繰り返す創造性と、
お客さま目線を併せ持つバランス感覚で
入社後は「衝撃の連続」。実験的なものづくりを浴びるように体験する。
「入社当初はプリーツ プリーズの配属でした。縫製後にプリーツをかける『製品プリーツ』の技術にも驚きましたが、平面的な服にひだを入れることで生まれるドレープの美しさに打たれましたね。最初に手がけた製品プリーツのシャツは、先輩に教えてもらいながら何度も作り直した記憶がありますし、多くのことを学びました。現在はイッセイ ミヤケを担当しています。創作の始まりは、企画チームが考えるテーマから。例えばテーマが『彫刻』なら、彫刻に対する様々なスタディ──自分たちで、実際に粘土で彫刻を作ることなども含めて──を行います。さらに布でも彫刻を作ってみるなど体験をする過程で、その一部が袖になったり、そのままワンピースの形に応用されていくなど。今まで見たことがないものを目指して作ることが多いため、パターンもまったく見たことがないものになる。毎回毎回、手を動かしながら自分たちで創造し、実験しているような作り方です。イッセイ ミヤケの技術を担当する上では、抽象的なものも自分の感性で表現することが必要です。そのためには、仮縫いなどの制作過程で、デザイナーの表情やぽろっと出る一言などを逃さないようにしています。ただ、どんなに手をかけて作られたデザインやコンセプトの服も、実際にお客さまに着てもらえなければ意味がありません。着て素敵に見えるのか、着心地は良いのかなどを大切にしています。手に取ってくださった方の心が豊かになり、長く愛用していただけるような服を作りたいのです」
Q&A INTERVIEW
① パタンナーに興味を持ったきっかけは?
ファッションが好きで、高校生の頃に服飾の仕事がしたいと職業を調べる中で「パタンナー」という職種を知りました。手に職がつくことに魅力を感じたのと、もともと作ることが好きだったこともあり、高校の先生のすすめで文化服装学院に入学した時からパタンナーを志していました。
② 学生時代に目指したパタンナー像は?
オールマイティにどんな服のパターンも引けるパタンナー。なので、最初はOEM会社に就職することも考えていました。
③ イッセイ ミヤケに就職したきっかけは?
文化服装学院の2年生の頃に知り合った、憧れのパタンナーさんがイッセイ ミヤケ出身でした。それで同じ道を歩みたいと思ったんです。
④ イッセイ ミヤケの技術として大切にしていることは?
ジャケットやシャツ、パンツなどベーシックな服のパターンを完璧に引けることはもちろん、イッセイ ミヤケの技術として務める上では抽象的なデザインも自分の感性で表現しなければなりません。その両方を追求することと、お客さま目線です。デザイン性の高いものも長く愛用していただけるように考えます。
Takashi Harada
1991年生まれ、大分県出身。2013年、文化服装学院アパレル技術科卒業。卒業後、イッセイ ミヤケに入社し、プリーツ プリーズの技術(パタンナー)を経て、現在はイッセイ ミヤケの技術を担当する。
ISSEY MIYAKE
1971年、創設者のデザイナーである三宅一生がニューヨークにてコレクションを発表。「一枚の布」という概念をもとに、西洋・東洋の美意識や価値観にとらわれない普遍性を持った衣服で世界を席巻する。一本の糸からオリジナルの素材を開発するものづくりが特徴で、現在、近藤悟史がデザイナーを務める。
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